20 お母さん

 街の中に入ってしばらく歩くと、家並みの屋根の向こうに小高い丘が見えた。

 クラウスさんが指をさす。

「あの丘の上にある家が、ユーリの家です」

 そこに行くには、街を突っ切らねばならないそうだった。クラウスさんは途中、知り合いだという家に馬を預けた(応対したのはクラウスさんと同じぐらいの年の男の人で、親しそうだったから友だちなのだろう。荷物や剣も預けていた)。街から出て、歩き進むと、丘のふもとに着いた。そばに小さな湖があった。

「クラウスさん。この湖は深いですか?」

「ええ。……何か気になりますか?」

「いえ、なんとなく聞いただけです」

 そう答えたとき、

「ユーリ!」

 と俺の名前を呼ぶ女の人の声がした。

 振り向くと、道の先に女の人が一人立っていた。

 年はいくつくらいだろうか。俺の母親と言っていい年齢に見える。いや、十中八九、そうだろう。顔も似ているような気がするし。

 女の人はこちらに駆け寄って来た。笑っているような、泣きそうであるような、半々の表情。

 どうやら感動の再会だ。

 抱き合うために、持っているトランクは放り捨てるべきだろう。が、

「えっ、ちょっ、ちょっとっ」

 俺を抱きしめようとした女の人は、つんのめったところを、クラウスさんの腕に抱きとめられた。

 女の人を、俺はするりとよけたのだ。トランクの持ち手をしっかりと握ったまま。

「すみません、また何かの間違いだといけないので」

「そんなっ、そんなことないわよ。ねえ、……あなたも、そう思うでしょ?」

 女の人、まあ、母さんと呼ぼうかな。母さんは、後半、クラウスさんを見上げて言った。

「ええ、そうですね。さあ、もう大丈夫ですね」

 クラウスさんは、母さんから腕を離した。

 母さんは、さて、と仕切り直すように言って、俺に笑いかけた。

「お帰り、ユーリ。もっと早く着くかと思ったけれど。旅は楽しかった?」

「うん。クラウスさんと一緒だったから」

 すんなりと、会話ができる。どうやら、俺はこの人になじんでいるようだ。距離を感じない。きっと四年間を一緒に過ごした実績があるからだろう。

「それはよかったわ。さあ、家に入って積もる話をしましょう。こちらの記憶がないんでしょう? 話しているうちに何か思い出すかも」

「うん」

「では、私はこれで」

 クラウスさんが会釈をした。

 母さんも頭を下げた。

「クラウス様。ここまで息子を送ってくださってありがとうございました。またいずれ」

「あのっ、クラウスさんっ」

 立ち去ろうとするクラウスさんを、俺は呼び止めた。「あ、あのっ」

 何を言えばいいのか分からなかった。旅が終わったあとのことなんて、これまで考えていなかった。でも、とにかく、何かを言わなければ。

「あ、あの、お世話に……」

「ユーリ」

 クラウスさんが一歩近づいて、俺と向き合った。「お母様と、よく話し合ってください」

「は、はい」

「では、私は行きます」

 頷いた俺にほほ笑みかけてそう言うと、クラウスさんは行ってしまった。

 俺は、なんだかちょっと泣きそうな気持ちで、その背中が小さくなるのを黙って眺めていた。

 すると、母さんが笑いながら言った。

「さあさあ、もういいでしょう。また会えるわよ。どっちかが異世界に飛ばされない限りね!」

 はあ!?

 俺は、開いた口がふさがらなかった。このババア、何を言いやがるんだ、と。


「いつまでむくれた顔をしているの? そろそろ許してよ。謝るから」

 居間の肘掛け椅子に俺を座らせると、母さんは肩をすくめるようにして言った。

「あのさ、異世界に飛ばされることがどれだけ大変か、俺知ってるんだよ。もう飛ばされたくないし、クラウスさんには絶対にそんな目に遭ってほしくないよ」

「ごめんごめん」

 母さんは両手を顔の前でぺちんと合わせた。カルい。この人、エレノアねえさん系のような気がする。

 丘を上る間、俺はろくに口を利かなかった。家に入ってからも、何か飲む? いらない、お腹すいてない? すいてない、だった。まあ、確かに良くない態度だな。

「分かったよ。母さんも座ってよ」

「え、ええ、そうね」

 母さんは、そそくさ、といった感じで俺の隣の肘掛け椅子に座った。なんだか照れくさそうだ。俺が母さんって呼んだからかな?

「母さん。俺、どうして異世界に飛ばされたのか知りたい」

 俺は早速、本題を切り出した。

「分かったわ」

「あと、どうして失踪届は出したのに、捜索願は出さなかったのか」

「そうね。大事なことだわ」

 母さんは手を伸ばして俺の背中をそっとさすった。

 そして語った。


「ユーリ。ごめんなさいね。あなたが異世界に飛ばされたのは事故。でも、私のせいでもあるの。あの日、私は新しい魔法陣の研究をしていたの。あの丘の下の湖でね。私の魔力は水と相性がいいの。だから通り名も水色の魔女に。ちなみに、エレノアたちの魔法陣を見ているのなら、魔力に色がついているのは知っているわよね。あれって、徐々に自分に合った色になって行くのよ。

 でね、あの日、湖に魔法陣を張ったとき、知り合いに声をかけられたの。とても深刻な話をすることになってね、私はそれに集中してしまった。あなたがそばでボール遊びを始めたことに気づかないぐらいに。ふと気配に気づいて振り返ったとき、あなたは湖に転がり落ちたボールを追って、魔法陣の中に勢いよく飛び入るところだった。

 もう間に合わない。自分で作った魔法陣だもの、それの性能がどれだけすばらしいものか分かっていたわ。

 だから、私はあなたに魔法をかけた。研究していた過去へ行く魔法を。異世界でのあなたの人生が過去から始まるように。必死に。大急ぎで。

 本当の子供として両親から生まれたあなたが、素直ないい子に育ち、みなに愛されることを願って。ふふ。これは魔法ではないわね。祈り。けれど、祈りという名の魔法かしらね。

 捜索願を出さなかったのは、ごめんね。自分が所長だった魔法研究所に、恥ずかしくて情けなくて頼めなかったの。研究所のみんななら、いつかユーリを見つけてくれると信じていたし。思ったより時間がかかったけれど。それに、近ごろは痺れを切らして自分でユーリを探してもいたのよ。王都を訪れる度に、知人に頼んで異世界通信玉を覗かせてもらってね」

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