21 お父さん
話を聞き終えると、俺は言った。
「ありがとう、母さん」
「ユーリ……」
母さんは、はにかむようにほほ笑んだ。
「俺さ、向こうで幸せだったよ。でも、これからどんどん記憶は消えて行く。でも、でもさ、異世界にいたって思うだけで、胸の辺りがほっこりあったかくなるんだ。これは、これからも、ずっとそうなんだと思う。全部忘れても。俺は、それでいいんだと思う」
「そうね。そうね、ユーリ」
俺が肘掛けに乗せていた左手に、母さんは自分の右手を重ねた。あたたかい手だった。
「ところで、母さん」
俺は気になっていたことを尋ねることにした。「その俺が湖に落ちたときにしていた深刻な話って、なんだったの?」
「ん? ああ、あれね」
母さんは俺の手の上から自分の手をどかした。そして自分の膝の上に両手を置いて、どこか居心地悪げに何度かスカートをこすってから話を続けた。「実はね、あなたのお父さんのことを、話していたの」
「お父さん? そう言えば、父親のこと、俺に誰も話してくれてない。どんな人? 今どこにいるの?」
俺は周りを見回した。居間には暖炉があって、その前に椅子があった。俺は、父親って人がその椅子に座って、パイプでタバコを吸ったりするところを想像した。
「ここにはいないわ」
母さんが言った。暗い声だった。
「え、何、離婚?」
俺が率直に問うと、
「違うの、違うのよ、ユーリ」
母さんは苦しげな表情で首を横に振った。「今から話すわ」
そして、再び語り出した。
「ユーリ、あなたのお父さんはね、王都の宮廷楽士だったの。バイオリンやピアノがとても上手で、作曲もして詩も作って。演奏も歌声も人々をうっとりさせる、それはそれは華やかで素敵な人。私とお父さんは知り合ってすぐに恋に落ちたわ。そして結婚。そのころ若くしてすでに魔法研究所の所長だった私は、お父さんの実家に挨拶に来て、つまりこのコルゲニアにね、ドラゴンに出会って、ぜひ研究したいと思ったの。お父さんは賛成してくれたわ。そして私たちは王都から移住したのだけれど、ただひとつ困ったことがあってね、あなたのお父さんはすごくモテる人だったの。音楽学校の教師の職に就いたんだけれど、たびたび貴族や商家の、演奏会やら詩の朗読会やら何やらの仕事を頼まれてね。そうなると、ご婦人の知り合いが増えるでしょ? 誰それと歩いてたとか、話していたとか、噂でやたらと聞くようになって。何しろお父さんはここが地元だから、昔からの知り合いって女性も多くてね。私はやきもきしてばかり。あの日も、知り合いが私に知らせてくれたのよ、どこそこの夫人と手をつないでたって噂になってるわよって。それが、あのときの深刻な話よ。
ふう。ユーリ、あなたがいなくなる前から私とお父さんはそういう問題でケンカばかりしていたけれど、いなくなってからはもっと増えたわ。ほら、その手をつないでいたことだって、結局誤解だったけれど、日頃のお父さんの行動のせいで噂ができあがったんだと私はつい責めてしまったし、お父さんの方も、君だって魔法学校の同僚と噂になっているじゃないか、あと、魔法塾の父兄とも、なんて言って。私、研究の傍ら、魔法学校で教えたり、子供のための魔法塾を開いたりしていたのよ、今もだけど。もちろん私は浮気なんてしてなかったわよ。だから、だって魔法のことを聞かれたら丁寧に教えたくなるものって反論したら、僕が嫉妬することを忘れないでほしいな、なんてあの人が言い返したりしてね。
でね、ここはお父さんのいいところだったけれど、ユーリのことで私を責めたりしなかったの。でも、事件は起こってしまった。ある日、お父さんが幼馴染みの女性と話しているところを私が偶然見てしまってね、あの人とてもにこにこしていて、そのとき、突然思ってしまったの。この人がこんなふうに笑っていられるのはユーリが消えたのは私のせいだと思っているからだわ、自分はちっとも悪くないと思っているからだわって。あとでその女性に話の内容を聞いたら、お父さんはこう言っていたそうなの。ユーリは大丈夫。幸せになっている。そうなるように、最高の魔法使いであるアリシアが魔法をかけたからって。
でも、そんなことをちっとも知らない私は、かっとして魔法をお父さんにかけてしまった。研究中だった
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