12
俺は歩いて旅をすると決めたのだ。馬車か馬を用意すると言われたけれど、聞けば馬車は御者付きだそうだし(それってタクシーで旅する感じじゃないか!? 大富豪だよ!)、馬はクラウスさんが乗り方を教えてくれたけれど、一人で扱えるとはとても思えない。ならポニーやロバは? ポニーは馬場の一角で出会ったけれど、こっちが背中に乗せてやりたくなるようなかわいさだったから無理だよ、となったのだった(ロバにはまだ出会っていないけれど、同じ心境になるだろう)。
「でも歩くのって大変よ」
「分かってる。でも、この服も動きやすいしさ。本当にありがとう」
俺は、昨日の夜に届けられた服とブーツを身につけていた。エレノアねえさんとクリスティーナさんからのプレゼントだ。長めの上着、ベスト、シャツ、ズボン、ブーツ。薄くて軽いけれど保温性の高い外套は、トランクにしまってある。どれも良い品だと、向こうの世界でオーダーメイドなんて着たことのない普通の高校生だった俺にだって分かる(ちなみに寝間着は迎賓館で着ていたものを二着もらった)。
「俺、そろそろ出発するよ」
ここでいつまでも話していたい気分になりそうだから。
「そうね」
エレノアねえさんが頷く。「気をつけてね。悪いやつに騙されないように」
「異世界に突然連れて行くエレノアねえさんみたいな人に?」
俺はからかう。
「私は騙される方!」
エレノアねえさんが頬をふくらますと、クリスティーナさんが小さく笑った。
「ユーリ。何にせよ、街道を行けば大丈夫です。でも、あなたはアリシア様に似てきれいな顔をしているから、人買いにはちゃんと用心するんですよ」
「人買い!?」
「そうよ、いきなりさらわれて売り飛ばされるわよ」
エレノアねえさんが眉間にしわを寄せて言う。
「え、ええっ」
俺が
「冗談ですよ。我が国の治安はいいですから。でも、詐欺などには注意してくださいね」
「は、はい」
「ふふ。そうね、詐欺とかもだけれど、ユーリは黒い目、黒髪、白い肌。本当に顔がきれいで行く先々でモテるだろうから、その辺りの誘惑的なことにも注意しなさいよね」
「はは。きれいな顔って言えばさ、俺、向こうの世界でもけっこうモテたんだ。黙ってると、どっか憂いのある、儚げな美少年に見えるらしくてさ。実際は、ただぼけっと夕飯のおかずのこと考えてたりしてただけなんだけどね。だから話すと、なんか普通の人だよね、ってよく言われた。残念そうに」
「あははは!」
「いや、笑ってるけど、エレノアねえさんも、けっこうそういう残念がられるタイプだと思うよ」
「ええ!?」
「あはは! 冗談冗談!」
俺は笑い返してから、二人に頭を下げた。「エレノアさん、クリスティーナさん、今までありがとう。俺、もう行くよ」
「そうね」
エレノアねえさんが頷く。やけにまばたきをしながら。
「ユーリ。道中の無事を祈ります」
クリスティーナさんが俺につっと寄って、杖を持っていない方の手を伸ばした。指先が、そっと俺の額に触れる。そして手を離すと、ささやくような声で言った。「窓から落ちたとき、あなたにかすり傷ひとつなかったのは、クラウス、彼のおかげですよ」
「……分かっています」
俺も小さな声で言って、
(そうだ、クラウスさんってクリスティーナさんのことを好きなんだよな。はっきり聞いたわけじゃないけど、エレノアねえさんが敵視してるし)
とにかく、伝えるべきだと考えた。エレノアねえさんとクリスティーナさんの仲を壊したいわけではないけれど、クラウスさんのために、何かしたい。
「あの、クリスティーナさん。クラウスさんは、すごく優しくしてくれました」
これで、クラウスさんの株が少しでも上がるといいな。
「ええ、そうですね」
クリスティーナさんはにっこりとほほ笑んで、一歩下がった。
今度はエレノアねえさんが、俺の額に触れた。
「道中の無事を」
ねえさんの目は、潤んでいた。
「ありがとう、エレノアねえさん。クリスティーナさんと、幸せに……(ごめん、クラウスさん、と俺は心の中で謝った)。じゃあ、行って来ます」
俺は二人に背を向けた。馬車の御者の人に会釈をしてから、歩き出した。
振り向かずに、歩いた。前に向かって歩いて歩いて、しばらくしたら、後ろからエレノアねえさんの声が聞こえて来た。
「ユーリー、歩き疲れたら乗合馬車に乗るのよー」
「悪い人についっていっちゃ駄目よー」
「落ちている物食べては駄目よー」
「適当なところに寝転がっちゃ駄目よー、服新品なんだからー」
「寄り道しないでよー」
「ちゃんと水分とってー……」
声がなくなって、少しして、俺はとうとう後ろを見てしまった。遠くに、エレノアねえさんとクリスティーナさんは、まだ立っていた。俺は手を振った。二人も振り返した。俺は前を向き、また進んだ。
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