12 旅立ち

 母親に会いに、翌日の朝、出発することにした。名前のおかげか、とりあえず会ってみたいという気持ちが強まった(やたらと食べ物っぽい名字に衝撃を受けたが、聞くと、この世界にアクアパッツアという名の料理はないそうだった。ブイヤベースという名の料理はあるが、ブイヤベースという名字の人はいないそうだった。元からブイヤベースはあるのか、異世界から伝わったのかは分からないそうだった。エレノアねえさんは、ユーリ、あなた変なことばっかり聞くわねえ、と呆れ顔をした)。

 午後は準備に明け暮れた。と言っても、王宮の人が部屋に運んでくれた旅に必要な物を、俺は荷造りしただけだったけれど。トランクは用意された三個のうち、一個だけを受け取って、持って行く物を最小限にした。

 夕方に、近衛隊の宿舎に行ってみた。クラウスさんがいないことは分かっていた。二日前から、急な仕事のために王都の外に行ってしまっているのだ(だから、クラウスさんに街を案内してもらうことができなくなって、俺は王宮の庭を散歩したり、部屋で本を読んだりしていたのだった)。明日の出発を決めたとき、クラウスさんにお別れの挨拶ができないな、とつぶやいたら、どうせまた会えるわよ、とエレノアねえさんに言われたけれど、やっぱり、何か伝えてから旅立ちたかった。

 宿舎のそばをうろうろしていたら、もう一人の近衛隊の副隊長のヨハンさんに出会った。近衛隊の鍛錬を見学させてもらったときにお互いに自己紹介をしていたから、俺はヨハンさんにクラウスさんへの言伝ことづてを頼んだ。母親に会いに行くこと。いろいろとありがとうございました。お世話になりました。俺の名前はユーリです。他にも何か言いたかったけれど、また会える、のだから……。


 翌日の早朝、王宮の馬車で、エレノアねえさんとクリスティーナさんが、王都の外れまで送ってくれた。

「ねえ、ユーリ。本当にそれだけなの? コルゲニア地方の旅に、私たちなら一人最低四つはトランクを持って行くわよ」

 馬車から降りると、エレノアねえさんが言った。

「大丈夫だよ。迎賓館の管理の人に、宿には洗濯できる場所があるって聞いたよ。トランクの中を見せたら、これで十分ですって言ってくれたし。なるべく軽い方がいいし」

 俺は、手にしていたトランクを上下させた。

「まあ、道々、パーティーやディナーに招待されるわけでもないしね」

「何か必要な物があったら、もらったお金でどこかで買うよ」

 馬車の中で、俺はお金の入った袋を二つ渡された。大きいのと小さいのを。小さいのはエレノアねえさんとクリスティーナさんからの餞別。もう一つは王様からだった。

「良い旅を、公務で忙しくてもう一度会えないのが残念だ、とおっしゃられていたわ」

 エレノアねえさんは、真面目な顔つきで王様の言葉を口にした。

「こ、こんなに。これ、大金だよね。申し訳ないよ」

 中には札束と金貨。俺は図書館で借りたクリスティーナさんのおススメの異世界帰還者向けの本、『今読もう、暮らしの常識』を読んでいたので、大体金の価値は分かっていた。

「そうね、大金よ。でも、宿賃・食事代なんかは銀貨と銅貨で事足りるわ。私たちの袋はそればかりにしてあるから、懐にしまいなさい。王様のお金はトランクへ。ちゃんと鍵をかけるのよ」

「分かった。二人とも、本当にありがとう。王様にも、ちゃんとお礼が言える日が来るといいんだけれど」

「王様にはユーリの代わりに私たちがきちんとお礼を言いましたから、そんなに気にしなくていいですよ」

 クリスティーナさんがほほ笑んだ。「それに、母親がアリシア様と知って、多めにくださったのかも」

 その言い方は、俺には悪戯っぽく聞こえた。

「え、まさか、俺の母親と王様、つき合ってたの!?」

「ちがうわよ」

 エレノアねえさんは、ものすごく呆れたような顔をした。「アリシア様はね、まだ十代半ばの若かりし頃、従軍して、その卓越した魔法でまだ太子だった王様が率いていた軍を救ったの。そのことを王様は今も大変感謝されているのよ。王立魔法研究所の所長の席を空席にさせておくほどにね」

「そっか……」

 そんな訳で、俺は旅費を有り余るほど持っているのだった。


「そうねえ、必要な物は買えばいいけれど」

 と、エレノアねえさんは、まだ納得が行かないというふうに首を傾げる。「ねえ、ユーリ。あなた、本当に歩いて行くの?」

「うん。言っただろ、この国を自分の目で見たいんだよ」

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