第15話「暗雲の前線」
――エウロパ本国・ノルデン地方軍技術開発総局。
無機質な白い廊下を、革靴の音が静かに響いていた。
歩くのはミハエル・ファフナー少佐。
その表情は冷静でありながら、どこか深い思索の影を宿している。
研究棟の奥――厳重なセキュリティを抜けた先に、局長室があった。
中ではリヒャルト・シェザール少将が、分厚い報告書を前に腕を組んでいた。
「まさか初戦で敗走するとはな……」
「コロンゴ軍のACEに対応するには、ゴブリンを元のスペックへ戻せば叶いましょう。」
「うむ。だが問題はそこではない。」
リヒャルトは机の引き出しを開け、機密封筒を差し出した。
「ACE設計思想――我々の研究資料と酷似している。いや、ほとんどコピーだ。」
「……つまり、内部からの流出ですか?」
「何者かの関与は決定的だろう。――闇は、深い。」
ミハエルは一瞬だけ表情を硬くした。
「閣下は、この戦争をどう見ておられますか?」
「偶発を装った戦闘開始、ACEの機密漏洩……。コロンゴとエウロパの戦争を仕組んだ者がいる。」
「“ACE戦争”を演出した誰か、ということですか。」
「あるいは、ACEそのものの性能実験を望む者かもしれん。」
「軍産企業……。確かにその線もありえます。」
「私の方でも調査は続けよう。――君は現地で真実を掴んでくれ。」
ミハエルは静かに敬礼し、踵を返す。
去り際、リヒャルトの声が背中に届いた。
「――ミハエル。この戦争の裏には、確実に何者かがいる。くれぐれも気を付けてくれ。」
「心得ています。……閣下こそ。」
静かに扉が閉まる。
リヒャルトは一人、窓の外の雪景色を見つめて呟いた。
「“彼ら”の懸念が、現実になりつつあるのか……」
――同刻、バーミッカム前線基地。
ホワイトファング隊ブリーフィングルーム。
ホログラムに映し出された司令部通信官が、通達を読み上げる。
「ホワイトファング隊、再出撃命令。目的地――ヴァレン峠東域。残存敵部隊の掃討および機体データの回収。」
ざわつく一同。
キースが口を開く。
「……また、あそこに行くのか。」
「まだ冷めてねぇ現場だぜ。」とレイが眉をひそめる。
ミリィは静かに息を吐いた。
「命令は命令、でしょ。」
その時、通信・情報班から一人の中尉が入室してきた。
整った黒髪に冷静な眼差し――いかにも几帳面な男だ。
「情報班付、リュウ・ダゴダ中尉です。新たに現地通信の担当に加わります。」
「リュウ? 見かけねぇ顔だな。」
「異動で来ました。……前任地は――」
「俺が呼んだ。」
オセリスが割って入る。
その言葉にキースが一瞬だけ目を細めた。
「大佐のスカウト、というわけですか。」
「彼は優秀だ。報告があるそうだ。」
リュウは軽く頷き、端末を開いた。
「実は、最初の越境行為の記録に、いくつか気になる点があります。」
「気になる?」
「我が軍の通信記録に、解読不能な暗号データが一部混入していました。」
ブリーフィングルームが静まり返る。
オセリスが皆を見渡しながら口を開いた。
「つまり――最初の越境行為そのものに、何者かの“仕掛け”があった可能性がある。
だからこそ、再度ヴァレン峠を調査する。」
――そして数日後。吹雪の中ヴァレン峠へ向かうエウロパ軍輸送機。
機内には漆黒のACEが静かに眠っていた。
機体名〈ナイトメア〉。エウロパ軍最新型の試験機である。
そのコックピットから、ミハエル・ファフナー少佐が姿を現した。
「少佐、ナイトメアはまだ完全ではありません。本当に宜しいのですか?」
「私はテストパイロットを辞めたつもりはない。この機体を一刻も早く完成させ、前線の仲間たちを救わねば。」
「会敵した場合、戦闘継続は五分が限界です。それ以上は危険です。」
「心得た。」
彼は端末を開き、前回の戦闘ログを再生した。
激しい銃撃の中、アサルトライフルを構えた一機のACEが映し出される。
「……敵ながら、見事だな。…だが」
映像を見つめるミハエルの瞳が、わずかに光を帯びる。
(このパイロット……まだ迷っている。だが、次に会えば――)
小さく息を吐き、吹雪の中へ歩み出した。
「……この戦争、長引くことは許されない。真実を知らなければ、すべてが崩壊する。」
突然、通信が入る。
「少佐、シェザール少将から至急電です!」
「何があった?」
「最悪です!軍令部はノースブリッジ、タロン方面の部隊に二方面同時侵攻を命令しました。――これは、明確な侵略行為です。」
「ばかな! 軍令部は何を考えている!? 政府の承認は?」
「逆です。政府が正式に、コロンゴへ宣戦布告を行いました。
少佐にもノースブリッジへの救援要請が出ています。」
「……全面戦争、か。」
ミハエルは雪を踏みしめ、空を見上げた。
灰色の雲が、音もなく前線を覆っていた。
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