第4話 未来なんて見えない

 オルタンシア女子高校の近隣にある高級住宅地の中に、ポラリスの生家であるクライノート邸は存在する。


 白とライトグレーを基調とした現代的な外見の屋敷は、大人数のパーティーが開ける広間やミニシアター、ジャグジーにサンルームも備える豪華さだ。


 もっともポラリスは、そういった安らぎや楽しみの場への立入を禁じられている。両親いわく、ポラリスは使用人にも満たないできそこないだから、らしい。

 小学校までもおもに母イヴォンから叩かれたり突き飛ばされたりしていた。


 だが中学受験に失敗して、たまたま家の近所にあった国一番の難関校の入学試験に落ちてからは。ポラリスは屋敷内の家事を押しつけられるようになった。


 最初こそ通いの優しい使用人たちが気を遣ってくれていたが、中学を卒業する頃には全員がいなくなっていた。AI技術の進歩がいちじるしいエテルノ王国だ。今では家の中の大体のことが機械化されている。


 それでもポラリスが毎日両親の食事を作らねばならない。たとえ皿ごと床に叩きつけられてもだ。

 それ以外は基本、自室として与えられた物置部屋で過ごさねばならなかった。


 それでも。一応は大学までの学費は親が出すというので、ポラリスなりに日々勉学に励んでいた。

 大学に行けば、世界がまた広がる。もしかしたら救いがあるかもしれない、この酷い環境から少しでも良い方面に向かうことができるかもしれないという、わずかな期待もあった。


 だけど。

 ポラリスはこの一月に、大水晶によってシレンシオの次期聖女に選ばれた。選ばれて、しまったのだ。


『ポラリス・クライノート嬢を、シレンシオの次期聖女とする』


 玲瓏に告げた大水晶の『お声』を、ポラリスは何度も生まれ変わっても忘れられないかもしれない。


 やはり一七歳で次期聖女に着任したという現聖女ハンネローレ・プルマスは現在三〇代半ば。優秀な聖女として評判だ。

 彼女が引退を考えるようになってから数年かけて、ようやく次期聖女の選定に至ったといえる。


 聖女の主な仕事は、魔獣出現を予知することと担当地域に結界を張ること。市民の命に直結することだけに、常に本気が求められる。


 次期聖女は基本的に神殿に住まい、しばらくは現聖女らの指導の元で多くの時間を修行に費やすこととなる。


 結界はほぼ毎日張り直す必要があるので、正式に聖女となれば自分の持ち場を離れることは難しい。ポラリスの場合なら、シレンシオを出るのが厳しくなる、ということだ。


 一度着任すれば、引退が認められ後任を育成して正式に聖女の座を退くまで結構な不自由を強いられる。それでも時代と共にだいぶ楽にはなってきているそうだが。

 大勢の市民のために犠牲になる存在、と嘲笑されても反論は難しいだろう。


 少なくともポラリスも、大学進学は諦めねばならなかった。受験生になる前に選定されたことが唯一の救いだ。

 今までかけてやった教育費が無駄になったと母親がわめいていたが、もはやどうでもよかった。


 次期聖女として神殿に入れば、家から離れることはできる。神殿での暮らしがいくら厳しい生活だとしても、この家にいるよりはましになる可能性が高い。


 だがそこでの新しい生活が上手くいくかどうかは、また別だ。

 間違っても『失敗』などできない。だってポラリスはこれから聖女となる身なのだから。


「リヒトさん……」


 物置部屋でスクールバックを下ろして、ポラリスは大好きな男の子の名を口にした。


 リヒトは今どうしているだろう。彼もまた苦労が耐えなかった過去を有しているから、せめて今は幸せでいて欲しいと思う。


 話しかけてくれて、嬉しかった。

 一緒にいてくれて、嬉しかった。

 結婚しようと言ってくれて、嬉しかった。

 救いになってくれて、嬉しかった。

 生きていて欲しいと言ってくれて、嬉しかった。


 ――あなたを好きになることができて、嬉しかった。


 リヒトはたくさんの『嬉しい』をポラリスにくれた。

 虐げられている少女は今もあの頃と変わらず、リヒトを想い続けている。


 もしかしたら。聖女となれば神殿にリヒトが会いに来てくれるかもしれない。一目でいい、会いたい。

 たとえこの恋が、叶わないものだとしても。


 最悪向こうがポラリスを覚えていないかもしれなかったが、それでも希望を捨てきれない。


 ――リヒトさん。私、生きています。


 ――いつかまた、あなたとまた出会うために。



 次いでポラリスは、聖女となる人物には必ず一人付く守護騎士について考えた。

 公私に渡り聖女を守り世話する守護騎士。現代でこそ女性の場合もあるが、その大半が男性である。


 かつては聖女は必ず守護騎士と結婚するよう定められていた時代もあったという。


 さすがに恋愛結婚が一般的になったこと、結婚の強要は人権侵害だと問題になったこともあって廃止となったようだ。

 それでも。現代社会においても聖女と守護騎士が結婚するケースは多いと聞いている。それだけ深く親しい間柄になるということなのだろう。


 ――守護騎士さまが、私に付く。

 ――リヒトさんではない男性が、私のそばに付くんだ。


 自分に対して自信というものが欠落しているポラリスは、女性としても自信がない。必然的に自分に結婚なんて無理だと思い込んでいる。


 ――私、美しくないもんね。


 でも自分の守護騎士となる男性と将来恋仲となる可能性を、完全には否定できないわけで。


 もしそうなったらずっとすがりついている幼い初恋の夢は、手放さなければならないだろう。

 たとえポラリスがその想いのおかげで、生き地獄の中でなんとか呼吸ができていたのだとしても。


 これからポラリスが所属することとなる、王都にあるクレアシオン神殿からの連絡はない。

 次期聖女として選定されたむねを記した公的な通知書が届いたのみだ。

 その際に神殿長はトリシャ・アレグリアという女性であることだけ知っている。


 ポラリスはスマートフォンや携帯電話の類を所持していないので、自分から神殿へ確かめようもなかった。クライノート邸に固定電話はないし、公衆電話に頼れるほどの小銭もない。


 ――これで本当に、私は次期聖女になれるのかな。


 実はポラリスは聖女になりたくないわけではなかった。

 シレンシオには愛着がある。聖女として街を守り、人々のお役に立てるのなら全力を尽くしたいと心の底から望んでいる。 


 贅沢な話だが、もしすべて夢だったというのならちょっと残念だとすら思っていた。 



 そんな風に。ポラリスが物思いにふけっていたら。


 何の前触れもなしに、物置部屋の鍵が外側からがちゃりと閉められた。

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