第1章 灰のように燃え尽きて

第3話 放課後の高校にて

 晴歴二〇一三年、五月。 


 オルタンシア女子高校は、エテルノ王国王都シレンシオ市に君臨する歴史ある私立女子校だ。付属中学と大学が存在し、ほとんどの生徒は付属大学ではなく外部の著名大学に進学する。


 新しく清潔な校舎はどこを見回してもほこり一つなく窓も床もぴかぴかで、中庭では季節の花々が凜と咲いている。

 黒いブレザーに膝丈のスカート、胸元を彩る真っ赤で大きなリボンの制服姿の乙女たちが、それぞれの青春を謳歌していた。


 そんなオルタンシアの最高学年である三年生のとあるクラスにて。

 今日の授業の終了を告げるチャイムが軽やかに鳴り、担任のベテラン女性教師による帰りのSHRショートホームルームが始まった。


 世は五月上旬。初夏の到来を知らせる爽やかな風が、新緑の香りをまとってカーテンを優しく揺らしている。


 ――なんだか、具合が悪いな。


 一七歳の女子高生となったポラリス・クライノートは自席で姿勢を正したまま、目眩めまいによるふわんふわんとした浮遊感に襲われていた。


 背のなかほどまである銀糸ぎんしの髪はすっかり色せてしまっていて。

 かろうじて退廃的な光を宿した真紅の瞳は、まるで廃墟や戦場跡を照らす夕空のよう。

 血色けっしょくという概念を忘れ去った肌は、もはや人工的に作られたように白い。顔立ち自体は整っているので、余計に人形のような印象が強くなってしまっている。


 冬の枯れ枝もかくやというくらいに細い体は、どう考えても栄養が足りていない。入学したての新入生でもないのに、着ているシックなデザインの制服が妙に大きく見えた。

 まるで燃え尽きてしまったかのような出で立ちだった。


 極東の島国『大和皇国やまとこうこく』と同じく、四月が年度始まりのエテルノ王国。

 高校三年生の五月とあって、担任教師が粛々しゅくしゅくと進路に関わるらしい話をしているのが耳に入ってくる。いま目眩めまいに苦しむポラリスはそれどころではない。


 まあ、ポラリスはもう卒業後の進路が決まっている。大学進学ではない。


 目眩めまいに加えて、右腕が主張するようにずきりと痛んだ。最低最悪の二重奏デュエット


「起立」


 成績優秀・品行方正・容姿端麗の三拍子を揃えたクラス長リーヴィア・トルメンタの号令が響いた。豊かな亜麻色の髪に紺色の瞳の、大人びた美人だ。

 この学校には将来世界レベルで活躍しそうなエリート少女たちも数多い。リーヴィアもその一人だ。


 ポラリスも慌てて立ち上がると、くらりと立ちくらみがする。表面上はなんともないように振る舞ったが、少しよろけてしまったかもしれない。


 起立、礼、ごきげんよう。

 由緒正しき女子校ならではのご挨拶と共にSHRショートホームルームが締めくくられる。


 次の瞬間には、教室の中は放課後仕様のゆるりとした空気に切り替わっていた。オンオフの切り替えは大事だ。それぞれ部活や塾に急いだり、友人同士のお喋りに花を咲かせたり。


 ポラリスの元にも、二人の友人たちがやって来た。


「大丈夫ポラリス。さっきよろけていたけど、具合悪いんじゃないの?」


 ハスミン・フォンテはボーイッシュな気風の少女だ。


 すっぱりと潔く短い紅葉もみじのように色づいた赤毛に、秋に実る柿の実と同じ朱色の猫目が鮮やかだ。女性にしては一七〇センチオーバーという長身をしている。


 涼やかで整った容姿とさっぱり嫌みのない性格から『女子校の王子様』ポジションに着いていた。

 学年問わずファンが多く、実際に王子、と呼びかけられていることも多い。


 そんな友人の姿に、ポラリスはふと『姫』と呼ばれていた男の子のことを思いだすこともたびたびあった。


「いいえ、大丈夫ですよハスミン。少しダイエットをやりすぎてしまったようです」


 自分以外なら誰に対しても、ポラリスは敬語を用いて話をする。 


「えーアヤシイ。本当に?」

「ほんとうのこと、ですよ」


 おそらくばれているであろうであろう透き通った嘘で、ポラリスはハスミンの心配をぼやかす。


「次期聖女に選定されてから、特に体調が悪そうに見えるのよねポラリスは」


 くりっとした琥珀こはくの瞳に蜂蜜はちみつ色の巻き毛、そばかすの顔が愛らしく見えるラウレッタ・セラスが、肩をすくめた。

 飴色あめいろのフレームの古風な印象の丸眼鏡をかけて、いかにも文学少女といった風貌だ。


 事実ラウレッタはかなりの読書中毒者だ。中毒まではいかないが本好きのポラリスとは、附属中学時代に学校の図書室で知り合っていた。

 ラウレッタは今日もこっそり教師の目を盗み、授業中にミステリー小説のページをめくっていたほどだった。


「お二人とも、ご心配をかけて申し訳ありません。私はこの通り大丈夫ですので」


 ポラリスが唇のはしを持ち上げて微笑みを作っても、二人の友人は釈然としない様子だった。


 不健康な自分を心配させて本当に申し訳なかったが、ポラリスとするとその理由は決して人に話してはいけないことだった。

 だからこうして、心配をかけていることをただ謝罪するしかないのである。


「謝るくらいなら、ふらつかないで最初から真面目にやってよね」


 嫌みたらしく、取り巻きを引き連れ現れたリーヴィアがポラリスに文句を言う。この手の意地悪な女子というのは、常に取り巻きを連れている印象が強い。


「さすがリーヴィア嬢。具合悪い人を心配もせずに責めるとは、やりますねえ」


 ハスミンが嘲笑して反撃した。

 性格以外は完璧な令嬢リーヴィアに逆らえる者はこの学校にほとんど存在していない。


 大人たちはリーヴィアの父親が官公庁のお偉方だと言う理由で、生徒である少女たちは下手に逆らって自分がいじめられるのが嫌だという理由で、リーヴィアの言うことを聞き入れたり受け入れたりしている。


 不動の『女子校の王子様』ポジションで家柄もそこそこよろしいハスミンは、リーヴィアに真っ向から張り合える数少ない逸材だった。ラウレッタはかばうようにして、ポラリスの肩に手を添えている。

 守ってもらっているが、リーヴィアが堂々としすぎているせいでどこか心許ない。


 ――私が言い返せないせいで。


 ポラリスが一言何か言おうものなら十倍にされて攻撃されてしまうので、何も言わずにただ耐えることでしか防御できない。


「あのねフォンテさん。クライノートみたいな美しくないやからに生きる価値なんてないの。心配する必要なんてないんだから」

「あんた……ポラリスに死ねって言うの?」


 あまりに酷すぎるリーヴィアの発言。ハスミンは不快極まりないと言いたげに言い返した。


「だってその娘は次期聖女にふさわしくないわ。聖女は神聖なる美しい神殿で暮らして、きっとこれまた美しい守護騎士さまが付くものなのよ。でも肝心の次期聖女サマがみずぼらしいんじゃ、ねえ……。こんなのを守護するだなんて守護騎士さまが可哀想。ほんとうに神殿騎士って大変なお仕事よね」


「だったらあんたがポラリスの代わりに聖女やれば?」

「あたし、聖女候補でもなんでもないのだけれど?」

「どうだか。お偉いお父様の名前使えば、案外いけるかもよ?」


「……王子だからって、調子乗らないでよ」


 捨て台詞を置き去りにして、リーヴィアは亜麻色の巻き毛と若干短い気がするスカートを翻して去って行く。取り巻きたちが慌てて追っていくのをなんとなく見送って、ポラリスはようやく息を吐いた。




 リーヴィアのこともあっていまだ心配顔のハスミン、ラウレッタと別れて。

 ポラリスは学校から歩いて一五分ほどで家に着いた。


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