第25話 暗流うごめく
晶が去った後、澪は無理やり全精力を研究に注ぎ込んだ。
周教授とそのチームは、高いプロ意識を見せた。彼女の若さと突然の着任にも微塵の怠慢もなく、すぐに彼女のペースに適応し、指示を効率的に実行した。
澪は新材料の可能性に没頭し、一時は外界の騒動と内心の葛藤を忘れた。干からびたスポンジのように知識を貪り吸い、思考の火花を散らし、大胆なデザインの原型を次々と描き出す。この純粋な創造の快感は、久しぶりだった。
しかし、平静な水面下で、暗流は渦巻き続けていた。
午後三時頃、澪が周教授と光感知繊維の織り方を議論している時、ポケット中の暗号化スマホが無音で震えた。
心臓が激しく跳ねる。手元の実演を止め、周教授に申し訳なさそうに頷く。
「失礼します、緊急の連絡が」
休憩室へ足早に向かい、ドアを閉め、深く息を吸ってからスマホを取り出す。画面には、期待と恐れが交錯する番号——私立探偵からだ。
「話せ」
声は低く、緊張を帯びる。
「新情報です。氷室晶の今日の緊急会議について」
澪の息が止まる。
「何が?」
「会場は氷室家本宅。参加者は当主、氷室悠斗、古参重鎮数名。内容は極秘ですが、外部観察と断片情報から——氷室悠斗の近時の重大な職務怠慢と、グループへの損害が議題のようです。会議中、悠斗は感情的になり、晶と激論。当主を動揺させるほどでした」
(悠斗の失態?重大な損害?激論?)
澪の眉がひそむ。あの土地入札の連鎖反応か?それとも晶が裏で手を回したか?
「それと」探偵が続ける。「会議中、晶が約十分間単独退席。捕捉した音声データによると、バルコニーで誰かと通話し、『蘇女士』と『安全』の二語を発していました。口調は……脅迫とは異なるようです」
(蘇女士?安全?)
澪の心臓が、見えざる手で強く掴まれる。
(母のことを話している?『安全』とは?彼は何をしている?!)
「さらに」探偵の声に微かな躊躇が混じる。「蘇玉芬のK市帰還後の動向を追跡しましたが、彼女は転居したようです。新居のセキュリティは高く、しかも——氷室晶の人間が周囲に監視網を敷いている形跡があります。目的は不明ですが、保護のようです」
(保護?!)
この言葉が爆弾のように澪の脳裏で炸裂する。
(晶が母を保護?なぜ?午後の電話は安全確認?彼は脅していない?守っている?)
(……そんなはずが!)
途方もない衝撃と混乱で、思考が停止する。これまでの全ての推測が、足元から揺らぐ。
「もう一点、お伝えすべきことが」探偵の声はさらに低く、厳しくなる。「蘇女士を監視していた別集団を逆追跡したところ、氷室悠斗の影を発見。彼も密かに蘇女士を調査しているようで、動機は不明ですが、善意ではあり得ません」
(悠斗も?!彼が母に何を?)
氷のような恐怖が、瞬時に澪の全身を覆う。
(もしこれが真実なら、晶が保護し、悠斗が狙うなら——私の晶への怒りと非難は、全て……?)
(違う!あり得ない!これは晶の、より巧妙な欺瞞だ!)
スマホを握りしめ、指関節が白くなる。歯を食いしばり、叫びを押し殺す。
(晶!貴方は、何がしたい?私の恐怖と足掻きを弄ぶのが、そんなに楽しい?!)
猛然と水道をひねり、冷水を顔に叩きつける。震えを押さえ、冷静さを取り戻す。
(ダメだ!受動的でいられない!手を打たねば!仮面を剥がさねば!)
数度、深く息を吸う。瞳の恐慌が、背水の陣の冷たい憎悪へと変わる。
感情を整え、休憩室のドアを開ける。顔には冷静さと集中力が戻っている。
「周教授、続けましょう」
作業台へ歩み寄る。口調は落ち着き、しかし鋭さを帯びる。
周教授は顔を上げ、彼女を一瞥する。瞳の微かな赤みと隠された緊張を鋭く察するが、何も聞かず、頷く。
「はい、リネア様」
その後、澪はさらに狂気のように仕事に没頭する。ほとんど寝食を忘れるほど。高強度の作業で自分を麻痺させ、渦巻く感情を抑え込むためだ。
夕方、周教授が退社を促すまで、時が経ったことに気づかなかった。
研究所のビルを出ると、外はもう暗い。工業団地の街灯が、彼女の孤独な影を長く引き伸ばす。
晶の車は、いつも通り待っていない。夜風に立ち、ガランとした駐車場を見つめる。心も虚ろで、言い知れぬ喪失感と不安が静かに広がる。
(彼はまだ本宅?悠斗との衝突は?彼は……何か巻き込まれた?)
スマホを取り出し、彼の番号に指を懸ける。長く躊躇うが、結局ダイヤルしない。
(私に、彼を問い詰める立場も資格もない)
スマホを仕舞い、冷たい空気を深く吸い込む。ちょうど車を呼ぼうとした時、一台の黒いセダンが無音で滑り込み、停車する。
窓が下り、運転手の恭しい顔。
「リネア様、氷室社長のご指示でお迎えに」
澪は息を呑む。
「彼は?」
「社長はまだ処理中です。先にお戻りになり、食事を。お待ちいただく必要はございません」
「……分かった」
車のドアを開け、乗り込む。車は工業団地を離れ、街の流れに合う。
澪はシートに寄りかかり、窓外の煌めく夜景を見つめる。しかし、心は沈み続ける。
(晶……貴方はどこで、何をしている?)
(母の周りに『保護』の網を張ったのは、本当に貴方?)
目を閉じる。かつてない疲労と迷茫。
その頃、氷室家本宅の書斎では、空気が氷点下だった。
晶は紅木のデスクの後ろに座り、冷徹な顔で、向かいの青ざめた悠斗、そして主賓席の沈鬱な当主を見つめる。
「氷室晶!貴様、俺をここまで追い詰める気か?!あの出所不明の女と、あの卑しい私生児のために?!俺という甥に、生きる道すら与えぬのか?!」
晶の眼差しが、瞬時に骨髄まで凍る冷たさに変わる。
「言葉を選べ」
「言葉だと?!」悠斗は嘲笑うように猛然とドアを指差す。「さっきの女だ!あのリネアという卑しい女が!貴様に何の幻薬を飲ませた?!あそこまで庇い、核心研究所の権限まで与える?!知っているのか、奴は望月結衣かもしれぬ……」
「悠斗!」当主が猛然とテーブルを叩き、鋭く遮る。濁った瞳に警告の光が走る。
悠斗は猛然と口を閉じ、胸を激しく上下させる。顔は不满と憤恨に歪む。
晶はゆっくりと立ち上がる。全身から恐ろしい低気圧が放たれる。悠斗の眼前へ歩み寄り、見下ろす。声は低く、危険だ。一言一句が氷の錐のように刺さる。
「氷室悠斗、よく聞け」
「今から、彼女とその全ては、俺が引き受ける」
「手を出してみろ。試してみろ」
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