第24話 嵐の前触れ
晶の返答は簡潔だったが、無声の雷のように澪の耳朶で炸裂した。
(いいだろう……だと?)
(あの苛烈で挑発的な条件を、彼は眉一つ動かさず、こんなにもやすやすと?)
澪はテーブルに突いた指を握りしめる。爪が滑らかな表面に食い込みそうだ。彼の平静な顔を凝視し、偽装や嘲笑の痕を探す。
ない。
その眼差しは深遠ながら、恐ろしいほど平然としている。彼女の提示したものが取るに足らない小事であるかのように。この予想外の反応は、綿に打ち込む重拳のようで、彼女の攻撃と試探を空振りにさせ、かえって彼女をより深い恐慌に陥れた。
(彼は何を考えている?なぜこれほどの権限を私に渡せる?絶対的な信頼?それとも……もっと危険な罠?)
「貴方……」声は驚愕で震える。「今、何て?」
晶はコーヒーカップを置き、ナプキンで口元を拭う。動作は優雅で落ち着いている。
「いいだろう、と言った」繰り返す口調には、微かに、ほとんど感知できない遊び心さえある。「独立した主導権、研究所の最高権限。他に要求は?」
澪は完全に言葉を失う。口を開くが、声が出ない。頭は混乱の極み。この常軌を逸した快諾に、全ての予行演習と防御策が土崩瓦解する。
晶は彼女の驚愕と狼狽を愉しむかのように、微かに身を乗り出す。
「どうした?受け取る勇気がないのか?」
声は軽いが、致命的な挑発を帯びる。
澪の心臓が縮み上がる!
(勇気がない?とんでもない!)
侮辱された怒りと、もうどうにでもなれという覚悟が、理性の堤防を押し流す。彼女は猛然と体を起こし、顎を上げ、眼差しを刃のように鋭くする。
「氷室社長が与える勇気があるなら、私が受け取れないはずがない!」
「結構だ」
晶の唇端が、かすかに、捉えがたい弧を描く。
立ち上がり、ジャケットを手に取る。
「九時、研究所で」
もう彼女を見ることなく、立ち去る。
澪は一人ダイニングに硬直し、心潮が激しく波打つ。
九時きっかり。氷室グループ新材料研究所。
研究所は工業団地の奥深く、セキュリティは最高レベル。幾重もの認証を経て、重厚な合金のドアが開く。
冷たく清潔な空気。未来感溢れる広大な空間。無音で稼働する精密機器、白い防塵服の研究員たち。厳格で効率的な雰囲気。
晶はすでに到着している。防塵服を着て、背が高く、白髪の老教授と低声で話し合う。澪を見て、微かに頷く。
老教授も振り返り、一瞬驚いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「リネア様?かねがね噂は。研究所責任者の周 振華です」
「周教授、初めまして」
澪は心の波乱を押し殺し、前に出て握手する。態度は謙虚でも傲慢でもない。
晶が簡潔に言う。
「周教授、本日よりリネアにA+級権限を与える。プロジェクト一号の全資料を無条件公開。彼女の指示は私の指示と同等とする」
周教授の驚きは深まるが、すぐに収まり、恭しく頷く。
「承知いたしました、社長」
澪に向き直り、態度を改める。
「リネア様、ご参加歓迎します。ご指導のほど、お願い申し上げます」
(A+級権限!晶の指示と同等!)
澪の心臓が激しく打ちつけられる。
(彼は本気だ!核心メンバーの前で、私にこれほどの権力を!)
続く数時間、澪は周教授の案内で研究成果に没頭する。新型スマート繊維の性能と応用前景は想像を超え、デザイナーとしての血を沸き立たせる。彼女は一時的に全ての疑念を忘れ、可能性の海に身を投じ、構想を提案し、熱く議論する。
晶はほとんど静かに傍観する。時に一言二言、要点を突くか、彼女の思いもよらぬ大胆な方向を示す。最先端技術への深い理解と恐るべき先見の明は、澪を再び震撼させる。
(この男……その能力と野心は、底知れない。)
昼食は研究所の休憩エリアで。
周教授は電話で席を外す。
澪と晶、二人だけになる。
沈黙が広がり、微かな緊張を伴う。澪は俯いてコーヒーをかき混ぜる。興奮と、晶の常軌を逸した行動への疑念が交錯する。我慢できず、顔を上げ、対面で黙って食事する晶を見る。
「なぜ?」
声は掠れる。
「なぜ私にこれほどの権限を?あなたの心血を台無しにされるのが怖くない?それとも……私が何かを企むのが?」
晶は箸を置き、ナプキンで口元を拭う。ゆっくりと落ち着いている。顔を上げて彼女を見る。その視線は深く、彼女の質問を最初から予測していたようだ。
「お前がそうするか?」
答えずに問い返す。声は平静。
澪は言葉に詰まる。
「権限を与えるのは、このプロジェクトにお前の才能と狂気が必要だからだ」
晶の声は低く、明確。
「その他については……」
微かに言葉を止め、背もたれに寄りかかる。視線は品定めと……「期待」と呼べるものを帯びている。
「むしろ知りたい。鋭い剣を手にしたお前が、どのような選択をするかを」
その言葉は稲妻のようだ。瞬時に澪の心の霧を切り裂く!
(彼は隙を見せているのではない!試探しているのだ!権力と武器を与え、冷たく傍観し、この両刃の剣をどう振るうかを見ている!敵へ向けるか、それとも……彼自身へ?)
(これは極限の自信か、狂気か?!)
澪の背筋に冷たいものが走る。同時に、名状しがたい燃えるような興奮が血を駆け巡る。
(この男は狂人だ!)
(そして私は、この狂人に、より危険で刺激的なゲームへと引きずり込まれている!)
その時、晶の私用スマホの画面が光る。彼は澪を避けず、直接手に取り一瞥する。
ただ一瞥しただけなのに、澪は彼の平静な顔色が瞬時に険悪になるのをはっきり見た!瞳の奥に、冷たい鋭い殺気がよぎる!
表情はすぐに消える。だが、澪は捉えていた。
心臓が音を立てて跳ね上がる。
(何が起こった?)
晶はスマホを置き、立ち上がる。口調はいつもの冷徹さだ。
「午後、緊急会議だ。周教授が引き続き付き添う。必要なことは直接彼に命じろ」
それ以上言わず、大股で去る。背中には、嵐の予感のような緊張感が漂う。
澪はその背中が消えるのを見送り、不安感が再び広がる。
(あの緊急会議……急変した顔色……母に関すること?それとも、氷室悠斗にまた問題が?)
(まさか……私、心配している?)
この発見に、彼女はぞっとする。
強く自分の掌を抓る。
(目を覚ませ、篠塚澪!彼はお前を利用し、試探している!どうしてそんな感情を抱けよう!)
深く息を吸い、無理に冷静さを取り戻し、目の前の研究データに集中する。
晶が何を企もうと、彼女は今、かつてない資源と権限を持っている。これが重要だ。
彼女はこの機会を掴み、強くならねばならない。
強くなってこそ、この危険な駆け引きで活路を掴める。
いや、それどころか……客主を逆転させることさえ。
一つの大胆で、狂気じみた考えが、彼女の心底で静かに芽生える。
氷室晶、貴方は私に鋭い剣を与えた。
ならば、私が……その剣で、すべての霧を切り裂くのを咎めるな。
貴方の霧をも、だ。
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