第12話 心の壁の亀裂

電話の向こうが、一瞬、墓場のような静寂に包まれた。


数秒後、白石華蓮の声が、信じられない驚愕と歪んだ狂喜を帯びて炸裂した。


「望月結衣?!あ、あなた……まさか生きていたの?!よくも戻ってきたわね?!」

「叔父様の所にいるって?彼が気づいた?!ハハ……もう終わりよ!あなた、今回は本当に終わりだわ!」


篠塚澪は、金切り声を聞きながらも、顔には微塵の動揺も見せなかった。

瞳の奥に灯るのは、計算尽くされた氷の冷静さだけ。


彼女は泣き声を濁らせ、さらに油を注ぐように続けた。

「どうしてこうなったのか、私にもわからないの……彼、すごく怒っていて……私とコウちゃんをここに閉じ込めたの……」


「華蓮、昔、私がひどいことをしたのはわかってる。でも、私たち、一度は友達だったじゃない……お願い、助けに来て?あるいは……ただ、会いに来てくれない?一人でいるのが、すごく怖くて……」


白石華蓮は短い衝撃と悪意に満ちた喜悦の後、口調を焦燥と陰湿な憎しみへ変貌させた。


「閉じ込められた?自業自得よ!待ってなさい!今すぐ行くから!」

「あなたが、あのペテン師が、叔父様にどう引き裂かれるか、この目でしっかり見届けてやる!」


電話は乱暴に切られた。篠塚澪は静かに受話器を置く。


顔から、弱々しい無力な表情は瞬時に消え、氷のように鋭く、決然たる眼差しが浮かび上がった。

魚が、針にかかった——。


氷室晶の息苦しい絶対支配を打ち破るための、外部からの火種。

白石華蓮こそ、最適な火付け役だった。


二階の子供部屋のドアが、そっと開かれた。


氷室晶は温かいお湯と、小さく切られたフルーツの皿を手にして入ってきた。


コウちゃんは泣き止んでいたが、大きな瞳はまだ赤く、膝を抱えて絨毯に座っている。

天井に映る星空をぼんやり見上げる小さな後ろ姿は、ひどく孤独に見えた。


晶は湯のみとフルーツを傍の小卓に置く。「何か食べろ」

口調はぎこちないが、必死に穏やかさを装おうとする意志が感じられた。


コウちゃんは顔を上げ、フルーツを見て、そして晶を見た。

小さな声で言った。「ありがとう……パパ」

その一言に、かすかで探るような、期待と不安が混じっていた。


氷室晶の心臓が、何か柔らかいものでそっと握られたような感覚を覚える。

長年氷に閉ざされてきた心の防壁を、微細な温度差が押し破ろうとしていた。


彼は沈黙して、傍らの子供用椅子に腰を下ろす。

長身の威圧感は変わらないが、この部屋の無邪気さに、どこか場違いに見えた。


「なぜ……もっと早く教えてくれなかった?」

彼は子供の柔らかな髪を見つめ、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にした。


コウちゃんは困惑してまばたきした。

「ママが言ってた。パパは……すごく遠い遠いところに行っちゃったんだ。コウちゃんが大きくなって、すごーく強くなったら、もしかしたら帰ってくるかもね、って」


氷室晶の喉仏がぐっと動く。胸の奥に、酸っぱい痛みが広がった。


「彼女……ママは、元気にしていたのか?」

声を低くして問う。


「ママはね、すごく頑張ってた……よく夜遅くまでお仕事してて、時々、こっそり泣いてた……」

「でも、コウちゃんには絶対見せないんだ。コウちゃんが世界で一番の宝物で、コウちゃんさえいればそれでいいって」


氷室晶は膝に置いた手を、無言でぎゅっと握りしめる。

異国で、幼子を抱え、必死に踏ん張る彼女の姿が、鮮烈に脳裏をよぎる。

意地張りで、そして……痛ましいほどに。


その時、スマートフォンが再び震えた。マンションセキュリティからの内線だ。


「氷室社長、白石華蓮様が一階にいらっしゃいます。大変ご立腹で、至急お目にかかりたいとおっしゃっております。リネア様に関して、非常に重要なご用件があると……」


氷室晶の眉が瞬時にひそめられ、瞳の奥に冷たい嫌悪が走った。

彼女がなぜ来た?そして、なぜ望月結衣がここにいることを正確に知っている?


視線は無意識にドアへ向き、一瞬で全てを悟った。


階下の女……やはり、一瞬たりとも静穏ではいられない。

怒りが込み上げるが、傍らでおとなしくフルーツを食べるコウちゃんを見て、必死に抑える。


電話口に向かって冷然と言い放った。「追い返せ」

「ですが社長、彼女がどうしても帰ろうとしまして、それにまだ——」

「二度言わせるな」

氷室晶の声は絶対零度の冷たさを帯びていた。

「……はい!直ちに対処いたします!」


電話を切り、コウちゃんの大きな瞳を見つめる。

冷たい口調に、少し怯えた様子が残る。


氷室晶は表情をわずかに緩め、不器用に話題を変えた。「フルーツは……甘いか?」


コウちゃんはうなずく。

彼は小さなフォークでリンゴをひと切れ刺し、ためらいがちに晶に差し出した。「パパ……食べる?」


氷室晶は完全に硬直した。

子供の小さな手が握る、きらめくリンゴ。恐る恐るの、そして期待に満ちたまなざし。


彼の心の最も硬い部分が、不意に音を立てて崩れ落ちる。

数秒の沈黙の後、ゆっくり頭を下げ、コウちゃんの手からリンゴを口にした。


とても甘かった。

舌先から心臓へ、未知の甘さが染み渡り、彼を当惑させる。


当初の計画は、すべてを冷酷に掌握し、女の欺瞞を罰し、子を取り戻すことだけだった。

しかし今、この小さなリンゴ、コウちゃんの声、そして母の苦難の物語が、長年凍りついた彼の意志を、静かに侵食し始める。


階下の叫び声がかすかに聞こえるが、氷室晶はもはや聞いていなかった。

視線はコウちゃんに注がれ、その深淵は計り知れない。


おそらく、狼を引き入れてまで反抗する階下のあの女とは、別の方法で「話し合う」必要があるのだろう。

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