第7話 無声の硝煙

釈明も、理解も、もう要らない。


氷室晶の冷酷が、かえって篠塚澪を覚醒させた。彼女は思い出した——ここは庇護を乞う場ではなく、戦場なのだ。


そして晶のような男は、實力と結果だけを信じる。


それでいい。


誤解されたままで構わない。彼が傍観を決め込むなら、それが最大の「慈悲」だ。


澪は全てを計画に注ぎ込んだ。感情を捨て、精密機械と化す。


「涅槃」が発表した新シリーズは、業界に衝撃を与えた。そのデザインは、高級ジュエリー業界の華美な虚構を、鋭くえぐり出す。


伝統ブランドの既得権益が揺らぐ。


真っ先に直撃を受けたのは、氷室悠斗が担う「瓔珞」だ。四半期決算は惨憺たるもの。株主総会で、悠斗は初めて公然たる非難を浴びた。


彼は「涅槃」の二番煎じ企画を急ぎ発表するが、それは「東施效顰」とメディアに嘲笑され、評判は地に落ちた。


焦燥する悠斗は、ますます狂暴になった。


「全部お前のせいだ!あの時、お前が……!」


電話口で、彼は白石華蓮に怒鳴り散らす。


華蓮は爪を立てて手机を握りしめる。「今さら私のせい?自分を制御できなかったのは貴方でしょう!」


「あの女……リネアは間違いなく望月だ!どこかの金持ちに取り入って、復讐に来たんだ!」


恐怖と怒りが悠斗を歪ませる。


「あの子だ……あの子供を徹底的に調べろ!奴の弱点を握りさえすれば……!」


この動きは、氷室晶の目を逃さなかった。


夏目秘書の報告を聞きながら、晶は机の上で軽く指を叩いていた。


「……氷室部長は、かなりの非公開資金を動かし、海外の調査チームにある子供の動向を探らせているようです」


「子供」という言葉で、晶の指の動きが微かに、しかし確かに止まった。


彼は、窮鼠猫を噛む悠斗と、あの子供が澪の絶対的な急所であることを知っていた。


愉悦を感じるべきだ。あの女が、その代償を払う。


だが——。


脳裏をよぎるのは、病床の火照った小さな顔。そして、オフィスで「彼は何も悪くない!」と叫んだ、彼女の絶望的な意地。


苛立ちが、再び胸を締め付ける。


「氷室社長?干渉いたしましょうか?」


「必要ない」晶の声は冷たい。「調べさせろ」


彼は見たかった。あの女が、どう這い上がるかを。


秘書が続ける。「リネア様は、汐見東部の土地入札を急いでいます。『瓔珞』も、旗艦店用地として狙っている物件です」


晶の瞳が動いた。


その土地は、悠斗が社運を賭けているものだ。望月結衣は……とどめを刺す気か。


容赦ない女だ。


沈黙の後、晶は突然、何気なく言った。


「あの土地の環境評価追加報告書を、『誤送信』で『涅槃』のデザイナーに送れ」


夏目秘書は一瞬、息をのんだ。


社長が……助けている?


晶は窓の外の暗雲を見つめ、淡々と付け加えた。


「迷惑メールは多い。誤送信も……仕方あるまい」


「……かしこまりました」


ドアが閉ざされ、執務室に静寂が戻る。


晶は重く垂れ込める雲を見上げた。


望月結衣……


俺を、失望させるな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る