part.5


──ブーブーブーブー。


手のひらに伝わる振動で目が覚めた。


気づけば部屋は真っ暗で、スマホの画面だけが灯りのように揺れていた。


変な姿勢で寝ていたせいか、首と肩が重だるい。


じんわりとした痛みが体の奥まで沈み込み、深呼吸するたびに眠気と一緒に重さをかき混ぜる。


目を細めて画面を覗くと、親からの不在着信が残っていた。


時刻は夜の八時を少し回っている。


完全に寝過ぎたことだけは、回っていない頭でも理解できた。


親に連絡を返したあと、私は無意識にチャットアプリを開いていた。


水稀からのメッセージをどこかで期待しながら。


けれど、通知はない。


そこには何もなかった。


何度も通話をするような関係でもないのに、たった一度きりの会話でこんなにも何かを求めてしまっている。


そんな自分に驚きつつも、欲に抗えず、私は水稀に通話のリクエストを送ってしまった。


──数十分後。


返信は、思ったよりも早くやってきた。


「ごめん、今日早く寝なきゃいけないからできない」


その短い言葉を見た瞬間、胸の中の何かがすとんと落ちていった。


文面はいつも通り簡素で、感情はどこにも宿っていない。


“ごめん”の3文字に、無数の期待が押しつぶされた。


私だけが一方的に、何かを期待してしまっていた。


意味のない希望や、根拠のない自信。


どれもこれも、たった一言で行き場を失った。


でも水稀には水稀の時間があるのだから、これは仕方のないこと。


それは聞くべきじゃない、詮索するべきじゃない──


同じ気持ちじゃないことを落胆するなんて、高望みが過ぎる。


そう分かっていながら、それでも心は小さく傷ついていた。


私はスマホをぽんと手元から放り、静まり返った部屋で小さな溜息をついた。


たった一度、断られただけなのに。


たった一言、否定されただけなのに。


私はこんなにも弱い。


そんな弱さすら誰にも見せられない夜が、また静かに更けていく。





数時間後。


お風呂にも入り夕食も済ませた私は、やることもなくベッドに寝転んでYouTubeを眺めていた。


流れる動画にぼんやりと意識を預けていると、いつの間にかあくびの数が増えていて、瞼もだんだん重くなる。


指先で画面をスワイプしながら、ふとスマホに映る時刻に目をやった。


もうすぐ、日付が変わろうとしていた。


この時間になると、なぜだか人のぬくもりが恋しくなる。


なにも特別な出来事があったわけじゃない。


ただ、水稀と話せなかったその寂しさが、夜の静けさにまぎれてひっそりと膨らんでいくだけ。


その気持ちをかき消すように、私はチャットアプリを開いた。


誰でもいいから言葉を交わしたい、そんな気持ちだった。


しかしその瞬間、目に飛び込んできた光景に心臓が跳ねる。


「え……」


水稀のアイコンが、オンラインになっていた。


早く寝る、なんて嘘だったんだとそこで初めて気づく。


震える指で水稀のアイコンをタップしプロフィールに飛ぶと、更新された投稿が目についた。


"気になる人に限って話続かない、諦めて勉強します"


たったそれだけの文が、胸の中に静かに突き刺さった。


私がその“気になる人”でないことは、誰が見ても明らかだった。


昨日の夜はそんな素振り、一度だって見せなかったのに。


いや、そもそもそんなわけなかったんだ。


見知らぬ誰かと少し話したくらいで舞い上がっていた私が、ただバカみたいだっただけ。


ふと、笑みがこぼれる。


苦くて浅い、自嘲の笑み。


惨めだな、と思った。


私はしばらく動けず、水稀のアイコンの隣に灯る緑色のランプをじっと見つめていた。


やがて、それもふっと消える。


そして──音沙汰はない。


チャットの通知が届くかもしれない。


そんな淡い期待をしていた自分が、ひどく恥ずかしかった。


胸の奥がじわじわと焼けるように痛む。


手で押さえても何ひとつ変わらない。


見なければよかった、知らなければよかった。


そう思ってしまう。


明日が来るのが、どうしようもなく怖い。


ようやく色を取り戻しはじめた世界は、また無機質で冷たいまま、何事もなかった顔でやってくる。


いや、昨日よりももっと乾いているかもしれない。


眠れない夜は、ときどきやさしい。


心の奥をえぐるような痛みの代わりに、「まだ心は生きている」と教えてくれるから。


私は押し寄せてくる不安を噛み殺すように、強く目を閉じた。



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