第2話 出会

 二日目は雲が多く、ちょうどよい気温で順調に距離を稼いでいた。結局一日目は色々とあったため、投宿は予定の大宮宿ではなく浦和宿となった。その遅れを取るべく黙々と歩を進める雪之丞の前方を、横にまとめた癖のある緋色の髪が小気味よく揺れている。横では前髪で片目が隠れている青龍が、例の道中記とにらめっこをしていた。後ろでは白虎が拾ってきた大きな石を手にして、真綿色の火消装束から見える筋肉を上下させていた。腕の金の籠手が、隙間から差す陽の光にきらきらと輝いている。山と田畑の風景が単調すぎて、雪之丞の瞳が色を求めて四獣たちに向かっていた。そうでもしないと、眠気が襲ってくる。大きなあくびをした雪之丞に、青龍が声をかけた。

『今夜の宿は鴻巣辺りでしょうか』

「もうそんなに進んだか」

 初日に比べ、あまりにも順調なので一抹の不安を覚える。占いの才はからっきしの雪之丞だが、嫌な予感と言うものは割と当たる方ではあった。それはすぐに現実のものとなる。


 日中の曇り空から一転して、雲一つない西の空は山吹色と茜色が混じった美しい色をしていた。たどり着いた鴻巣こうのす宿の宿屋は、そんな空と同じ色に染まっている。

「どこも宿が空いていない…」

 そんな鴻巣宿は謎の浪士集団であふれていた。訪ねる宿はことごとく満員で断られる。次の熊谷宿までは一里半(六キロ)。最悪野宿か、などと考えながら通りを歩いていると、前から青龍がやってきた。

「青龍?」

 雪之丞は傍らの男を見上げた。翡翠色の髪、同じ色の瞳。いつもの青龍だ。対面の男は黒髪に羽織袴、腰には二本の刀を佩刀はいとうしている。だが面影は青龍そのものだ。

「何だ、俺の顔に何かついてんのか?」

と青龍もどきが詰め寄ってきた。

「すみません。知り合いにあまりにもそっくりだったので驚いてしまいました」

 男の迫力に気おされながらも、雪之丞は毅然と答えた。見た目は小柄で頼りなさそうに見える雪之丞だが、だてに物の怪を相手にしていない。度胸は人並み以上に持ち合わせている。

「やめろよ、とし。お嬢さんが怯えているぞ」

 青龍もどきの横には仲間だろうか、いかつい顔の男がいて青龍もどきを「歳」と呼んだ。

「私はれっきとした男です!」

 幼い頃から女の子と間違われてきたので、いい加減辟易している。だが声変わりもまだだし、いかんせん美少女なのでしかたがない。怒った顔も迫力は皆無だ。

「そ、そうなのか。それはすまないな」

『絶対信じてないな、この強面こわもて

 この人も、強面の白虎に言われたくはないだろう。

「詫びと言っては何だが、宿を探しているなら紹介しよう」

 怖そうな顔だが、言葉の端々から人の良さそうな感じが見て取れる。雪之丞は正直に、空いている宿がなくて困っていると告げた。

「そうだろう。大所帯が押しかけてしまったからね」

 強面の男は近藤勇と名乗り、この大所帯集団は将軍上洛の警護のために江戸で集められた浪士の集団で、自分もその一人だと教えてくれた。集団は総勢で二百名を超えるという。それでは満員の宿が出ても仕方がない。

『どこの馬の骨とも分からないやつらを、将軍の警護につけるとはねぇ』

『不逞浪士が混じっていなければ良いんだがな』

 朱雀や白虎の言う通り、これだけの人数がいれば尊王攘夷の意志を隠して行動している浪士がいてもおかしくはない。身元を確認しているとは思えないような風体の浪士が、そこら辺をうろついている。

『京の不逞浪士と結託して、良からぬことをしでかさないとも限りませんね』

 そうともなれば将軍警護どころか、やすやすと襲撃されかねない。京都守護職の松平容保が身元引受人となる雪之丞も、他人事ではなくなってくる。

 そんなことを目の前の少年が思っているとは露とも思っていない近藤は、浪士が宿泊していない宿を教えてくれる。それは素直にありがたかった。

「助かります。ありがとうございました」

 雪之丞は近藤に礼を言いつつ、

「差し出がましいようですが」

と続けた。

「顔に火難の相が出ています。お気をつけください」

「どういうことだ」

 言うや否や、歳こと土方が詰め寄った。この男は気が短い。雪之丞の説明を待たずに訳を問いただした。まずは自分の正体から説明をしなければ、と雪之丞は「自分は陰陽師である」と名乗った。

「陰陽師ってぇと、辻で占いとか胡散臭い商売やってる奴か?」

 土方の陰陽師に対する印象に苦笑する。もっとも世間ではそのように思われても仕方のないほど、市井には陰陽師と名乗る偽陰陽師が跋扈ばっこしているのも事実だった。まして見た目が少女のようで、腰には大小の刀を佩刀した武士然のいで立ちときている。どこからどう見ても陰陽師らしくはない。

「占いより、どちらかというと物の怪と闘う武闘派とでも言いますか…」

 土方はそう言った雪之丞をまじまじと見ながら、胡散臭そうに言った。

「武闘派ねぇ」

「まぁ当たるも八卦、当たらぬも八卦と言うじゃないか。気を付けよう」

 信じている顔ではなかったが、近藤が気を遣ってそう言ってくれた。そんな近藤なので、

「もし火難に逢ったら【土】で回避してみてください」

と、雪之丞はつい助言をしてしまう。この人の良い近藤という男のために、少し力になりたくなってしまった。

「火を消すなら水じゃねぇか」

 土方は笑いながら去って行った。


『晴家の言っていた三月四日というのは、家茂様上洛の日でした』

 近藤に教えられた宿に着いて食事を終えると、ちょうど浪士集団の調査から青龍が帰ってきて報告をする。朱雀は空から白虎は地からと、いつものように四獣の姿で夜の見張りにつかせていた。

「まったく、そんな大事なことをお楽しみで済ませるか、普通」

『晴家の性格は今に始まったことではありませんから、気にするだけ無駄です』

 青龍が茶を淹れながら、ばっさりと言う。青龍は父に対して遠慮がない。容赦なく切り捨てるので、雪之丞は苦笑いをするしかなかった。

『今の行程では、家茂様が上洛する前日に京へ着く予定です。着いてから時間があまりありませんね』

「二百二十九年前の結界って、もちろん残ってないよなぁ」

 出された茶をすすりながら、独り言のように言う。前回二条城を使ったのが三代将軍家光、ということが青龍の調べでわかっていた。

『あなたが全力で張った結界は何年持ちますか?』

「頑張っても二十年が限界です」

 結界は残っていない。諦めて張り直すしかない。

 それにしても江戸を出てまだ二日目というのに、色々ありすぎて先が思いやられる。

「ちょっと外の空気を吸ってくる」

 雪之丞は刀を腰に差して、気分転換に宿の外に出た。

 昼間は雲が多かったが、空を仰ぐと満天の星が綺麗にまたたいている。

「さてと。明日の天気はどうかな」

と気合を入れて、宿灯りの少ない路地へと入った。目が暗闇に慣れてくると、数多あまたの星々が頭上に広がっていく。雪之丞は空に吸い込まれてしまいそうになる、その瞬間が好きだった。

貪狼とんろう巨門こもん禄存ろくそん文曲もんごく廉貞れんちょう武曲むごく破軍はぐん七曜ななよの星が全部よく見える」

 北斗七星の七つの星を数えひとりごちた時、背後に人の気配を感じてとっさに腰の刀の柄を握った。

「へぇ。武闘派ってのも、まんざら嘘じゃねぇようだな」

 声の主は土方だった。宿の二階から外を眺めていたら、雪之丞がふらふらと路地に入ったので心配になって後を追ってきたらしい。この男は短気ではあるが、近藤同様なかなかに面倒見が良いようだ。

「こんな所で何してやがる」

「明日の天気を見てました」

 陰陽師には占いや呪詛、病気の平癒祈願、物の怪退治など色々な仕事があるが、天文観測をして天変地異を予測したり、暦を作成することも仕事としていた。星を見て天気を予測することも、農作物の豊作不作を見極めることへと繋がり、飢饉対策のためにも重要な仕事の一つだ。と説明する。

「へぇ、陰陽師ってぇのは天気まで占えるのか」

「占いではないです。昼は空の色や雲の形、風や動物の行動、夜は星の見え具合などを見て予想します」

 よくわからねぇな、と言いながら土方は空を仰いだ。

「で、明日の天気はどうなんだ?」

「西風が少々吹きますが、晴れるでしょう。ですが朝は冷えて霜が降りそうです。暖かくなってくると足元がぬかるみますから、替えの足袋を用意しておくと良いですよ」

「おいおい、何でそんなことまでわかる」

「西の空の夕焼けがきれいでしたから、今日の西方は晴れだったと思われます。ならば、明日はこちらも晴れるでしょう」

「なるほど。風はどういうことだ?」

「夕方の西の空に雲がありませんでしたし、こちらは昼間に雲が多かったです。雲は強い西風に流されていると思われます」

「へぇ。でも霜が降りるってぇのまでわかるもんか?」

「星がこれだけ見えるということは、雲が全くないということです。大地の熱が空高くまで持っていかれてしまうので、地面は冷たくなります。この時期、この場所なら霜が降りるまで冷えると思いますよ」

「すげぇな。まぁ当たれば、だがな」

 まだ占い程度に思われているのだろう。雪之丞は苦笑した。

「だけど、農民にとって天気が分かるってのはありがてぇことだ」

 聞けば土方は農民の出だという。腰に大小を下げているので、少し意外だった。

 土方は大きくあくびをすると、宿に戻ると言って背を向けた。そうだ、この機会に聞いておかなければ、と雪之丞はその背中に問いかけた。

「明日はどこに泊るんですか?」

「明日は本庄、その次は確か、松井田とか言ってたな」

 宿を取り合うのは、もうこりごりだ。そこは絶対に避けよう、と雪之丞は思った。

そうなると次に土方と会うとしたら京だろうか。いやもしかすると、もう会うことはないかもしれない。

「そういや、まだ名前聞いてなかったな」

 そういえば陰陽師とは名乗ったが名は名乗っていなかった、と気が付く。

「失礼いたしました。私は安倍雪之丞と言います」

「雪之丞、またな」

と、また出会うかのような口ぶりで土方は去って行った。


 翌朝。雪之丞の予想通り、頭上には清々しい春の青空が広がっていた。だが空気は冷たく、足元には霜がまばらに降りている。雪之丞たちが宿を後にする頃には、土方たち浪士集団はきれいさっぱりいなくなっていた。

 今宵の向こうの宿は本庄だ。であれば。

「今夜の宿は深谷宿だな」

 深谷宿は本庄宿の一つ手前の宿場町だ。

『深谷か。今日は十日だから市が立つ日だ。うまいもん出てるかなぁ』

 安定の朱雀である。それにしても、いつの間に宿場町の情報を手に入れたのだろうか。普段の仕事も、そのくらい熱をもってやってもらいたいものだ。

「天気は良いが、深谷までは十里(四十キロ)弱。気を引き締めていこう」

 雪之丞は足取り軽く一歩を踏み出した。


 その後は何事もなく順調に進み、日没前には深谷に到着をした。今までは色々あったが、その分この後はこのまま順調に京に着くのかもしれない。そう思いながら雪之丞は布団に入った。

 当然そんなに物事は甘くない。それが身に染みるのは次の日のことであった。


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