第2話

 なんだ?

 なんなんだ?

 一体あの人間のガキはなんなんだ!

 猫は心の中で強く悪態をついた。塀を乗り越え、茂みの中をくぐり、パイプを伝って屋根に登ってもなお、しつこくついてきた。

 人間のガキに追い回されるのなんて慣れたものだ。人間のガキってのはそういうもんだ。へらへら近づいてきては強引に触ってくる。こっちが抵抗すると、勝手にがっかりする。

 しかし、迫ってくる手をひらりとかわし、素早く距離を取ってやればすぐに諦める。これはガキに限った話でもない。人間はのろまで、オレたちに追い付くことなんて出来っこない。

 屋根から降りて塀の上で後ろを振り返る。ようやく撒いたかと思ったが、さっきのガキはまだついて来ていた。茂みをかき分けて転び、すぐに立ち上がって――力のこもった眼でこちらを見つめてくる。

 頭がおかしいってわけでもない。目的を達成するための意思と計算を宿した、力強くも冷静な眼だった。

 人間が真っ直ぐにこちらを追って来れるはずがない。余裕がないように見えても、意外と状況判断ができる上に、どうやら土地勘もあるらしい。

 厄介この上ない。オレが人間なら舌打ちをしてるところだ。

 そもそも、なんであのガキはこうまで必死にこちらを追ってくるんだ?

 最初は普通だった。突然振り返ったのには驚いたが、こちらを見つけて目を丸くするのは、人間なら珍しくもない普通の反応だった。その後にこちらに手を伸ばして反応を伺い、抱こうとしてくるのも普通だ。

 それをかわして距離をとれば、大抵の人間はそれで諦める。ガキの中にはたまにしつこく追ってくるやつもいるが、こちらが逃げれば残念そうに去っていく。そもそも、人間にはそうまでしてオレを捕まえようとする動機がないし、それが無理だってことを奴らは自覚してる。

 だが——走りながら後ろをちらと振り返る。あのガキまだ追って来てやがる!——距離をとったオレを、あのガキはしつこく追ってきた。逃げても逃げても、いつの間にか追い付いてきて強引に迫ってくる。

「これ以上相手してられるか」

 ちょっと悪い気もするが仕方ない。しつこく追ってくるほうが悪いのだ。せいぜい大怪我をする程度で済むだろう。死にはしないはずだし、まぁ、死んだところで別に困らない。人間なんてこの都市にはいくらでもいる。多少減ったからってなんだというんだ。

 方向を変える。ガキがまだついて来てるのを足音で確認し、木を駆け上がって壁に跳んだ。窓枠から窓枠に飛び移り、目的地目掛けて再度跳ぶ。

 選んだのは倉庫だった。ちょうど今のタイミング、人間たちが外に荷物を積み上げている。案の定、あのガキもついてきた。階段の柵から塀に跳び、その上を駆けてさらに別の塀へ飛ぶ。人間の中ではかなり身軽なやつみたいだ。

 わざと地面に降りてガキを誘うと、ガキは塀から跳んで木を蹴り、一気に距離を詰めてくる。その動きを誘導しつつ、前準備のため首輪に魔力を込め、術式がうっすらと光るのを感じ取る。

 ガキがついてきたところで積み上げてある木箱に駆け上がり、揺らしてバランスを崩してやった。何を考えているのか、あのガキはオレを捕まえようと手を伸ばして木箱にぶつかり、大きく体勢を崩す。

 とどめとばかりに首輪の術式を発動し、木箱の山をガキのほうへ弾き飛ばしてやる。大人の背よりも高く積み上げられた木箱がゆっくりと倒れ、派手な音を立てながら、ガキの上に降り注ぐ。

 木箱の山の上から下敷きになったガキを見下してやる。思わず鼻が鳴る。

「はっ、ざまぁみろ」

 崩れた木箱の一つが、ゆっくりと地面に倒れこむ。一度だけ派手な音を立てて、それきり黙る。

 ——静かになった。

 人間のガキが何人減ろうとオレは困らない。とはいえ、後で主に小言を言われる可能性はある。一応、生死を確認するために近寄ってみた。ガキは箱の下から上半身だけが出ていて、例え意識があっても身動きはとれなさそうだ。

「おい、生きてるか?」

 親切に声をかけてやる。返事はあまり期待していなかった。呻き声でも聞こえればそれでよかったし、返事が全くなければ近寄って呼吸を確認すればいい。

 そう思っていたから、ガキが顔をあげて口を開いた時には少し驚いてしまった。

「あの……キミ、喋れるの?」

 その時、ガキの握りしめている紙が見えた。人間の文字はほとんどわからないが、オレの姿が書かれていた。

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