第6話 手紙と魔術師 2

 境界町を出て半日。

 街道はやがて山道へと変わり、足元の石畳は苔に覆われていった。

 「霧の尾根」と呼ばれるこの一帯は、昼でも薄暗く、谷間から立ち上る白い靄が視界を奪う。

 木々の間を抜ける風は冷たく、どこか湿った匂いを運んでくる。


「うわ……なんか、じっと見られてる感じがする」

 フィオナが肩をすくめる。

「実際、見られてる」

 レオンは淡々と答え、視線を霧の奥へ向けた。

 ルゥが小さく唸る。


 次の瞬間、霧の中から影が飛び出した。

 四足の獣——背には骨のような突起が並び、口からは青白い光が漏れている。

「霧牙獣か……」

 レオンが短く呟く。


「フィオナ、右から回り込め。正面は俺が引きつける」

「了解!」

 フィオナは素早く側面へ回り込み、短剣を構える。

 ルゥが翼を広げ、霧を切り裂くように飛び上がると、小さな火球を獣の顔面に叩きつけた。


 その瞬間、レオンの足元に淡い光の魔法陣が展開される。

 水の奔流が巻き上がり、獣の脚を絡め取る。

 続けざまに風が鋭く吹き抜け、突起の間を正確に打ち抜く。

 雷光が閃き、獣の動きを鈍らせた。

 最後に吐き出された冷気が足元を凍らせ、逃げ道を塞ぐ。


「今だ!」

 フィオナが跳び込み、関節の隙間に刃を突き立てた。

 獣が低く唸り、霧の中へと崩れ落ちる。


 静寂が戻る。

 レオンは近づき、足元の土を一瞥した。

 そこには、獣が踏み荒らす前からあったらしい、古い焦げ跡と円形に広がる魔力痕が残っていた。

 淡く残る魔力の匂いは、今も霧の中に溶けている。


(……あの時と同じだ)

 胸の奥に沈んだ記憶が、霧の冷たさと共に蘇る。

 塔の前で交わした魔力の衝突、鋭い視線、そして——

 レオンは短く息を吐き、その記憶を押し戻した。


 霧の中を進みながら、フィオナがふと思い出したように口を開く。

「そういえば、さっきの戦いも前の港での戦いも……火、水、風、雷、冷気の5属性全部で戦ってたよね?」

 レオンは前を向いたまま答えない。


「普通できても二属性じゃん。五つも使えるなんて、やっぱり実はすっごい魔法使いだったりする?」

 半分冗談めかして笑うフィオナに、ルゥが小さく首を傾げる。

「別に隠してるわけじゃないけど、あの人はそういうのを自慢しないんだよ」


 レオンはため息をひとつ吐き、霧の奥を見据えたまま言った。

「必要だから使っただけだ」

 それ以上は語らず、歩調を崩さない。


 フィオナは「ふーん」と肩をすくめたが、その目にはほんの少しだけ好奇心が宿っていた。


 やがて霧が切れ、黒い石造りの塔が姿を現す。

 高くそびえるその塔は、まるで霧の海から突き出た孤島のようだった。

 レオンは足を止め、わずかに息を整える。

 懐の封書が、衣の内側でひそやかに重みを主張していた。

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