第7話 手紙と魔術師 3

 黒い石造りの塔の前に立つと、重厚な扉がひとりでに開いた。

 ここまでの道は険しかったが、フィオナは尻尾を揺らしながら笑う。

「ほら、やっぱり楽勝だったじゃん」

 レオンは返事をせず、懐の封書に視線を落とす。その指先には、距離や魔物のことだけではない別の重さが滲んでいた。


 中から現れたのは、見た目は二十代前半ほどの若い女性。

 しかし、その瞳の奥には百年を生きたような深みと冷ややかさが宿っている。


「……久しぶりね、レオン」

 セレナ・ヴァルディアは、微笑とも嘲りともつかない表情を浮かべた。

「前はもっと“良い場所”で働いていたはずなのに……今じゃ配達人? ずいぶん落ちぶれたものね」


 ルゥの耳がぴくりと動き、目が吊り上がる。

「おい、あんた——!」

 フィオナも眉をひそめ、一歩前に出た。

「そんな言い方、わざわざする必要ある?」

 しかしレオンは一切反応せず、無言で懐から封書を差し出した。

「依頼だ。受け取れ」


 セレナは封書を受け取り、指先に魔力を乗せる。

 封蝋が青く瞬き、ぱちりと乾いた音を立てた。

「……第一層は催眠ね。安っぽいわ」

 軽く息を吐き、術をほどく。


 視線を落としたまま、さらりと文面を追う。

 その瞳の奥に、もうひとつの術式がちらりと映る——知識を抜き取る罠だ。

 だが、眉ひとつ動かさず、ページをめくるように読み進めた。


 レオンの指先が空を切る。

 見えない刃が走り、術式の糸が断ち切られる。

 空気がわずかに軽くなった瞬間、セレナが顔を上げる。

「……あんなの、後でどうとでもなるのに」

 肩をすくめる仕草は、危うさを楽しんでいるようにも見えた。


 そして、封書のさらに奥に潜む魔力へ指を滑らせる。

 唇に小さな笑みを乗せ、わざとらしく言う。

「じゃあ……これもお願いしようかな」


 足元に魔法陣が広がり、霧がざわめく。

 本来なら彼女が一人になったときに発動する召喚呪文——


 だが、セレナは時の流れをねじ曲げ、封書の奥に潜む術式へ指先を滑らせた。

 床石の隙間から淡い光が滲み、円環の紋様がじわりと広がっていく。

 低い唸りが塔の内部を震わせ、霧がざわめいた——召喚の起動が始まった。


「誰が送った?」

 レオンの声は低い。

「あんたの同僚よ。……昔、同じ机を並べてたはずでしょ?」

 その言葉に、レオンはわずかに眉をひそめる。


「内容は?」

 短く問うレオンに、セレナは視線を封書から離さず答える。

「簡単に言うと、一緒に“不老不死にするため”の研究をしないか、だって」

 淡々と読み上げ、肩をひとつ落とす。

「確かに実現できるかもしれないけど……私は興味ないわ」

 その声音は、氷のように冷たく、心底どうでもいいと言わんばかりだった。


(……ろくでもない誘いだ)

 レオンは短く息を吐き、視線を霧の奥へ向ける。


 魔法陣の光が強まり、霧の中に黒い影が浮かび上がる。

 輪郭はまだ曖昧だが、背に巨大な翼、腕に猛禽の鉤爪——異形の姿がゆっくりと形を成し始めていた。

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