第十三帖 黒曜「矢で射止める」

灰廉はすぐさま新たに高価な笛を手に入れ、懐に入れて持ち歩くようになりましたが、そんな対策など、いたちごっこでしかありません。

いよいよ運命の元日朝賀がんじつちょうが

先ずは、灰廉以下諸臣が新年の祝賀を奏上する儀式。

灰廉の礼服姿の、なんと神々しいこと。

このような人物が、真に愛し合った夫であったなら、どんなにか


……いえいえ。

壮麗な身なりに騙されてはいけません。

内実は、良い歳をして神を本気で信じ。

ひとの体面も考えず、父親に噛みつき。

女を多数侍らせ、父親よりはましとはいえ、みっともなく鼻の下を伸ばし。

珊瑚や翡翠のような、非凡な能力や知性もなく。

わたくしの正体を見抜くような人間観察力もなく。

そのくせ民が汗水垂らして働いて稼いだ租税を食い潰して豪奢な暮らしをしている、愚かで醜い男なのですから。


次は国風歌舞くにぶりのうたまいです。

このような場が初めてであろう瑠璃君を除く妃たちは、誰もが緊張で息を呑んでおりました。

この先に待ち受けることばかりが気がかりなわたくしには、別の緊張ばかりが走っておりましたが

……名門呉服店の娘ということで場慣れしていることもあり、無事切り抜けました。


瑠璃は舞姫が本業ですから、優雅なのは当然でしょう。

しかし……

実家にはあれど焼肉屋の娘でしかない紅玉と、商才はあれど庶民の出でしかない珊瑚の達者さは、どうしたことか。

実家に仕込まれたとも思えませぬし、たった二月でここまで習得したというのでしょうか。

そして、翡翠はあんなことを口にするような下卑た女だというのに、高い声がよく抜けて通る、うぐいすの声の如きうたいをするのですから、人間とは不思議なものです。



いよいよ流鏑馬やぶさめときがやってまいりました。

わたくし、灰廉、金剛の順に披露します。

わたくしが準備を終えて馬に乗っても、灰廉と金剛は支度もせず、来賓と同じような物珍しげな表情で、なのに偉ぶった一段と高い席で、妃たちと共にわたくしの姿を眺めております。

まったく、高貴ぶっておきながら親子揃って色好みとは、却っておぞましく汚らわしい。


とはいえ、だいぶ高いとはいえ、的と同じ方向にある席

……好都合です。

わたくしの腕ならば、手元が狂ったふりをして灰廉の心臓を射抜くなど、容易なことです。


ふと来賓席らいひんせきに目をやると、お父様の御手振りが見えました。

「黒曜〜」

側からは単なる、父親が愛娘の晴れ舞台を応援している微笑ましい場面と映るでしょう。

しかし、その裏には

……ふたりだけで分かち合った大義が……


颯爽と馬を走らせます。

感嘆のどよめきが起こる中、

わたくしは深く狙いを定め、強く弓を引き、矢に、的よりだいぶ高い放物線を描かせました。

「あっ!」

と声を上げ、過失であると印象付けることも忘れません。

矢尻は、吸い寄せられるように灰廉の心臓を目指します。

思わず拳をぐっと握りしめました。

やはり大義は我らにあり!



殿方のみならず妃達も、黒曜君の物珍しく、凛とした流鏑馬姿に、視線を奪われておりました。

しかし、わたくし……紅玉はこのような折にも、灰廉様の怜悧れいりな横顔から目を離すことができませんでした。

うっとりと見つめるその視線の先にあるのは、わたくしにはない精悍さをもつ黒曜君の姿だと、わかりきっておりますのに。

他の女人を見つめる御顔さえ、こうも美しいと感じさせる、罪なお方です。


だからこそ、わたくしはいち早く気がつきました。

彼女が力強く放ったものの、大きく的を外れた矢の軌道が、まっすぐに灰廉様の心臓を目指していることに。

恋の矢……でしょうか?

いや、なにを莫迦ばかな考えを

……いえ、仮にそうであったとしても

……いずれにせよ灰廉様に胸で受けさせるわけにはいかぬのです!


「危な〜〜い!」

気がつくと私は、灰廉様の目前に飛び出し

……彼に抱きつき、自重を総て預けておりました。

いきなりのことにわたくしを受け止め損なった灰廉様は後方に転げ、敷いてありました布の上に背中を打ちつけました。

しかし、これでよいのです

……わたくしもできる限り頭を下げたことで、矢はわたくしの頭上を掠めるようにして、明後日の方向へと飛んでゆきました。


「あ、ありがとうございます、紅玉君

 ……あなたさまは命の恩人にございます

 ……よくぞお気付きになられましたね……」

「当然のことにございますよ

 ……わたくしは常に

 ……お慕い申し上げております灰廉様の御姿を、目で追っているのですから……」

「紅玉君……」

わたくしたちは、どちらともなく

……唇を重ね合わせました。

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