第十四帖 黒曜「餅と水に毒を盛る」

どよめきは、心配から揶揄からかいへと色を変えました。

信じられませんわ……

公衆の面前でこのような……

やはり此奴こやつらは、高雅ぶっているだけのけだものだわ、と、わたくし黒曜は身の毛もよだつ思いでした。


こうも心持ちをかき乱されるようなことがあった後に、集中を要する的当ての続行は酷だ、と、以降の灰廉と金剛の流鏑馬は中止になりました。

さすがにわたくしはやや疑われ、弓を押収されましたが、毒の反応がなかったことで、まことの失敗であると認められ、無罪放免となりました

……このようなことがあった以上、あなたさまの流鏑馬は縁起が悪いからと、流鏑馬永久禁止令を出されはいたしましたが。


奇しくも、今晩の夜伽は紅玉です。

ふたりはさぞかし、獣のように燃え盛ることでしょう。

まあ、良いでしょう。

最期に甘く熱い思い出でも作るが良い。

明日の夜伽はわたくしなのですから

……そして、そのまま灰廉の命日となる。



「よくぞあのような、御命を脅かすような失態を犯したわたくしの所に、昨日の今日で御渡りくださいましたわ……

 御心の広さに心より感謝申し上げます……」

「いえいえ、失態はどなたにでもあることでございますから、どうぞ御気に病まないでくださいませ」

まことに、あのようなことがあっても毎月、朔日ついたちに決める御渡りの日程表をきちりと守るのだから、律儀というか、愚かしいほどに几帳面な男だ

……万が一にも子をなすわけにはいかないので、わたくしは嘘八百な日程を申しておりますのに

……ああ、憐れになってまいりましたわ……


「実家の両親も深く申し訳なさを感じており、お詫びの品が送られてまいりました。

 椿餅つばいもちです、お召し上がりください」

「これはこれはご丁寧に、いたみいります。

 しかし、さきほど瑠璃君に、これまた御実家からだという、ひろき餅をいただきましたので。

 これ以上は身体に毒なので、おきもちだけ頂いておきます、もちだけに」

面白いとでも思っておられるのでしょうか。

まあ、たしかにこの餅が

……『身体に毒』なのは真実ですけれど。

明日になれば、灰廉は空腹を覚えはするでしょうが、餅は固くなり、また衛生が心配という理由で、あえなく廃棄されてしまうでしょう。

ああ、もどかしく、腹立たしい。

愛想笑いもいい加減、辛抱ならなくなってまいりました。


しかし、妃達よ

……たいした身分や知性もないくせに、揃いも揃ってわたくしの計画を阻んでくるとは何事か。

天運に見放されたのか、という大嫌いな言葉が、またもや脳裏をよぎりました。

莫迦莫迦ばかばかしい。

天運なぞ、仮に存在したとしても、わたくしが今晩こそは塗り替えてみせましょう。


「では、御水だけでもお飲みになりませんか?」

「うーむ、それも

 ……この時節、御水のみだと身体が冷えてしまいますし……」

「せっかくご用意いたしましたのに、何も手をつけていただけないのは哀しゅうございますわ。

 冷えた御水が身体に毒だと申されますなら、わたくしが一度口に含んで、あたためてから差し上げますわ」

艶を乗せた流し目を送ると、

「えっ」

灰廉はごくりと唾を呑んだ。

ふふっ、やはり

……流鏑馬の時の視線といい、わたくしに全く女の魅力を感じていないわけではないのですね。

最初はあんなにわたくしを拒絶し、先の妃たちにいい顔をしておいて、ふたりきりの場では、こんなにも物欲しそうな眼をする、どうしようもなく情けのない好色男。

その欲望が命取り。


わたくしは毒の入った水を、自らの口内に含みました

……飲み込まなければ大したことにはならぬでしょうし、寧ろ犯人探しになった時の言い逃れになるでしょう。

灰廉はうっとりと恍惚の相となり、わたくしの唇に吸い寄せられ

……唇と唇が触れ合う

……ちょうどその直前、


「あっ!」

灰廉がふいに大声を出して、視線を上に動かしました。

「黒曜君!

 御髪おぐしに大ぶりの蛾がとまっておられます!」

「えっ!」


思わず息を呑み

……当然、口内の水をも……

ごくり……


「うっ!」

わたくしはなす術もなく倒れました。

「黒曜君! 黒曜君!

 お気を確かに!」

抱き留められ、腰を持ち上げられた感覚を最後に、灰廉の声は遠のいていきました……

ああ、装束の彼岸花は

……纏ったわたくし自身に毒を剥いたのです……



ふわり、と意識の浮き上がる音がいたしました。

あたたかい

……ここは、うつせか、黄泉の国か

……ゆっくりと瞼を開くと、そこには穏やかな眼差しで見つめてくる、夢見心地なまでに神々しく、麗しく、穏やかな純白のお顔が

……よもやここは極楽浄土なのでしょうか……



……いえ。

灰廉です!



「よかった、お目覚めになって……

 丸一日微動だになさらなかったので、皆で心配していたのですよ」

「翡翠君……

 わたくしのために解毒薬を調合してくださったのですね

 ……なんと御礼を申し上げれば良いか……」

「いえいえ、いっときも離れずにおそばにおられた灰廉様の御気持ちにはかないませんわ」

「まあ、たいしたお勤めも入っておりませんしね」

言われてみれば

……灰廉の御髪や額は、やや湿っている。

「さあ、一山越えたことですし、翡翠君もそろそろ湯に入ってきてください。

 わたくしは黒曜君とお話ししたいことがございますので、後で大丈夫にございます」

「ですよね、お二人揃ってお餅と御水に毒を盛られたわけですものね!

 検非違使も証拠がないと申しておりますが、黒曜様が何かご存知やもしれませぬね!」

ほっ……

すべての餅と杯に毒を盛ったことが、功を奏しました……



翡翠君が退出し、ふたりきりになった瞬間、灰廉はわたくしの瞳をまっすぐに見つめ、平時より更に低く落ち着いた声で言い放ちました。

「さて……

 わたくしに何の恨み辛みがおありですかな?」

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