二 シェイド・アンド・ハニー〈ACT〉その2

 合宿に臨み、おれにとって最大の難関は費用だった。

 親は気安く「行ってこい」と言ってくれたが、直後に「金は自分で工面しろ」と重ねた。両親ともおれの無駄遣い……小遣いが主にアイドルDVDに消えているのを知っている。「※ただし行けるもんなら」という小書きが言外にあったのは明らかだ。

 とはいえ、うちの高校はアルバイト禁止だ。夏休みだけ自宅の近所ならバレないだろう。そう考えもしたが、万が一のことが起きて学校から夏休み期間中の外出禁止でも申し渡されたら目も当てられない。

 あれこれ悩んだものだが、結局はちょっとした小遣い稼ぎのあてが見つかった。

 あれは終業式の日のことだ。おれの雇い主は、他でもない天坂あまさかだった。

 学校近くのファストフード店で、向かいに座る天坂に問う。

「もっぺん聞くけどさ。実際のところシナリオはどのくらいできたんだ?」

「……あらかた」

「あらかたできてないって?」

 返事は沈黙だった。

「どうするつもりだ?」

「あとちょっとの気はしてて。壁があって、それを越えたら」

「どう越える?」

「それを思いつくのを待ってるところ」

「とりあえず手を動かせよ」

「だって……何を書いても、本物よりも負けてる気がして」

菜々子ななこ先輩のノートのやつにか?」

 無言の天坂に、おれは腕組みして半ば無意識に言った。

「なら、調べるか」

「へっ?」

 天坂は頓狂な声をあげておれを見た。言葉の意味を受け取り損ねた様子だったので、もう一度伝える。

「だから、菜々子先輩のシナリオが本当のことなのかどうかを、おれたちではっきりさせるんだ。部室のノートの中には続きっぽいのがなかったから、何かしら別の切り口が必要だけど」

 今度こそよく咀嚼しようと天坂は唸る。そしてこう口を開いた。

「何それ。あんたになんのメリットがあるの?」

「おまえのシナリオのために決まってるだろ」

「そこまでつき合わせるのは申し訳ない」

「つき合うも何も、合宿のためだ」

「でも……」

 渋る天坂に、おれはさらに追撃する。

「じゃあ、ギャラをくれよ」

 言ってから、自分がそんなことを口にするのかと驚いた。貧すれば鈍す、とはこのことで、金にがめつくなっていたのだろう。当然天坂は笑い飛ばすと思ったが、意外にもこちらに身を乗り出した。

「あんた、そんなにお金ないの?」

「自慢じゃないが……そういうことだ。といっても合宿までずっと家に引きこもっていれば、プラス一万円くらいで合宿の額は捻出できる」

「一万円なんてわたし払えないよ。それこそわたしが合宿に行けなくなる。五千円ならなんとか」

「充分だ。でもいいのか? 聖地でグッズを買うんじゃないのか?」

「ネットで買えるものもあるし大丈夫。現地でしか買えないものに絞れば、多少余裕はあるから」

「じゃあ残りの五千円はこっちでなんとかする。DVDとか売ってさ。半分でも充分だ」

「でも、そんなの頼んで本当にいいの? ていうかノートの内容の裏取りなんてできるの?」

「おれは金が欲しいし、個人的な興味もある。おまえは気が済んでシナリオに取り組める。目的は一致しているだろ」

「……わかった」

 頷く天坂に、おれはいちばん安いハンバーガーをかじりながら念を押した。

「始めたら、後戻りはできないぞ」

 だってそれは、菜々子先輩の過去に踏み込むことだ。普通に暮らしていたら知ることのない日陰の領域だろう。

「……わかってる」

「動くのも早い方がいい。合宿まで三週間とかだろ」

「それもわかってる」

 というわけで、ついに幕を開けた夏休み。おれの金策のための長い道のりが始まったのだった——。


「——どうしたの?」

 急に声をかけられて、我に返る。

「えあっ、はい! あっ、おっ、おれは三度のメシヨヨイッ……ドングリン好き! だったな」

 しまった、いまは撮影中だった。いつの間にか過去の記憶にトリップしていた。

 当然のように白い目の集中砲火を浴びる。

「また台詞飛んでたでしょ」向かいの女子に睨まれた。

「ちゃんと言えただろ」

「ボケた間、カミカミ、謎のヨヨイ! 三拍子揃った名演ですなあ」

 監督が肩をすくめた。

「ここはじゃあ、別のシーンにねじ込もう。『さっきの話ですけど……』みたいな導入を入れてさ」

「致し方ありませんね」

 これはあとでネチネチ言われるな。と、周りのみんなが荷物を片づけ始める。

「あれ?」と首を傾げるおれに、監督役の男子が笑った。

「七時から夕飯だぞ。腹減ったなあ」

 時計を見れば、もう六時半を回っていた。外での撮影はもう終わりだ。

「海辺を通って帰ろうか」

 皆がゾロゾロと歩く中も、カメラは回る。

「シーン転換のとこで使えるかもしれないし、素材はいくらあってもいいって先人も言ってるしね」

 先を歩く女子が、いくぶんオレンジ色になった太陽に目を細めた。

「前にまいが言ってたんだけどさあ。あっ、また名前言っちゃった」

「なんだよ」

「人類は村人と旅人にわかれるんだって。なんか海を眺めていると、自分が旅人になった気がする」

「旅行だしな。実際」

「そういうんじゃなくってさあ」

 鼻で笑うおれに、相手は立ち止まって振り向いた。

「一生その場に留まる人間か、移動し続ける人間かってこと」

「てことは、普段のおまえは村人なのか?」

「たぶんね。それが嫌。でも、どこに行ったらいいのかわかんないんだよねえ」

 行くあてはないけれど、ここにはいたくない。そんな気分ならわからないこともない。などと思っていると後ろからおれに声。

「おまえは旅人なのか? 高校を出たらどうすんの?」

「おれは成績次第かなあ。正直、何も考えてないっていうか」

 兄は上京しているから、なんとなく東京に行こうと思っているが。しかしそこに意地悪な横槍が入る。

「成績次第って、あんたの入れる大学って日本にあるのかなあ。よく考えな?」

 さぞご自慢の頭脳をお持ちと見える。おれをからかって満足したか、そいつは再び水平線に目を向けた。

「ここではないどこかに行きたいとか言ってもさあ。旅人なら、そう思う前にどっかに行っちゃってるんだろうね」

「口の前に足を動かせばいいだけだろ」

「簡単に言うね。それができないんだって。どっか行くのは無理だって諦めてて、でもそれがいやで燻ってる。だからね。今回の映画のシナリオ、わたしは気に入ってるんだよ。舞のためにもいい感じに作りたいよね」

 おれは何も言わず、目端に水平線を捉えながら宿へと歩いた。夕暮れ間近の海は黒いのに淡くて、間違った色彩の絵のようだった。

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