二 シェイド・アンド・ハニー〈ACT〉その3
わからないものと嫌いなものは必ずしもイコールではない。夏休み中に部室で見た映画の中に、衝撃を受けた一作があった。一〇〇分ちょっとの尺のうち、半分近くが登場人物紹介で占められていたのだ。どこかの国にとある旅人がいて、それに同行することになった七人の富豪たち。彼らのこれまでが順繰りに描かれていく。兵器を売ったり、探検家だったり、化粧品を作ったり……それらにはまるで脈絡がなくて、後の展開で彼らのキャリアが何かの役に立つわけでもない。物語に寄与しているとは一ミリも思えない。しかも驚いたのはそれだけじゃなかった。彼らは修行して、冒険して、ある目的地を目指す。けれど辿り着いた先で明らかにされたのは、それらが全て映画の撮影だったということだ。そしてなんの説明もないまま終わった。おれが見ていた物語は作り物なのだと明かされて、それでおしまい。そんなの見せられて何を思えばいい? いや、何を思えばいいかとか考えている段階でおかしい。そもそもの感想を持つこと自体を拒絶されたようで、ひどく混乱した。
ただ、その混乱は嫌いではなかった。
以前
大抵、わからないことはわからないまま時間だけが流れ、そのうちにわかったり、わからないままだったり、わからないまま忘れてしまったりする。何も映画に限った話じゃない。
宿の食堂は和室で、鍋に刺身に煮付けに……魚をあらゆる手段で食べさせようとしてくる献立に皆が舌鼓を打った。食事が終わるとロビーに出て、テーブルを囲むソファに、おれを含め演者五名がぐるりと座る。カメラがその周囲を一周し、声と共にカチンコが鳴らされる。
——シーン3・テイク1、スタート!
「じゃあ、みんなもやっぱり部屋にあったの?」
「わたしはバッグに入ってた。いつの間にか」
「おれなんてトイレに入ったら目の前に立てかけてあったぞ」
「ここって、いったいなんなの? ていうかみんな誰?」
「誰って言われても……そういうおまえこそ。見覚えはあるんだけど名前が出てこない」
「わたしもさっきから、知ってる人のはずなのに思い出せない」
「センパイ……何が起きてるんでしょうか?」
「うん。って、きみはわたしのコーハイなんだっけ?」
彼女はおれを見て、こう続けた。
「じゃあコーハイくん。きみはなんだったの? 捨てるやつ」
この登場人物たちは、先述した通りそれぞれ「捨てるもの」を手にしている。このシーンでは演者たちがそれぞれ手にしていたそれらを見せ合う。
「着替えの服に紛れて入ってたんだけど……おれのはこれ」
全員の視線が集う中、おれの台詞は続く。
「
「へえ。いまや一緒のクラスなのにね」
まったくだ。彼女は中学まで東京でジュニアアイドルをしていたが、引退して母方の故郷に移った。それがおれたちの地元だった。
「引退当時は放心状態だったなあ。絶対行くつもりだったのに、親に見つかって。受験前に何やってんだって話になってさ。でもまさか高校で同じクラスになるなんて。世の中何が待っているかわからないもんですわ」
すると、おれの隣に座る男が言った。
「捨てられないものなんて言われてもどうしたもんかと思っていたが、みんな、それなりにあるもんだな」
そしてチケットをヒラヒラとかざす。
「おれ、このライブなあ。全然行きたくなかったんだ。でも兄貴の言うことは絶対だからさ。来いってうるさくて」
「お兄さんがいるんだ」
「四つ上でな。当時高校生でバンドを組んでたんだけど、ライブ直前にメンバー間で大ゲンカして空中分解。そのまま兄貴は仙台の大学に進んだ」
「バンドは解散しちゃったんだ?」
「そ。兄貴がいちばん横暴だった時期のやつだから愛着なんて全然ないし、なんなら見るたびにウゲェってなる」
「ちょっと面白いかも。思い出って、いいことよりもいやなことの方が心に潜んでるよね」
「わかる。わたし去年骨折したときのこと、いまも夢に見るもん」
「あったね、そんなの」
「真夏にギブスはめて痒くて臭くて最悪だったなあ」
「どこ折ったんですか? 腕?」
「手首をね。階段から落ちて、着地し損ねてさ。わたし階段から飛ぶの得意だと思ってたからそれが良くなかった」
「そんなの得意なの
「そう? ねえ、きみは知ってるよね?」
唐突におれに話が振られた。そんなの台本にない。
固まっているおれを無視し、次の台詞の話者がシナリオを本筋に戻す。
「そもそも、それは思い出じゃなくて記憶では?」
「……同じでしょ。思い出なんて記憶を自分の都合で美化するナルシスト的行為の産物だよ」
「そんなこと言ったら、思い出を持つこと自体がバカらしいじゃん」
「美化かどうかはべつとして、そのときの都合っていうならそれはそうかも。あのときは好きだったはずのことが、いま見るとなんにも思わない……なんてのもよくあるし」
「そうなんだよね。時間が経つと熱って冷める。不思議」
「執着するって疲れるもんね」
台詞の主はシナリオ通りに順調に、順々に変わっていく。
「捨てたいもの」とは、言い換えればかつて執着していたものだ。執着とは熱であり、適切な処理のないまま放置すれば腐るのみ。腐らずに済めばラッキーだが、気づけばそれはいつの間にか冷め切っている。
「明日、全部ゴミにして燃やすからな」
派手なアロハを着た男が言った。一人だけ、状況を把握している役柄だ。
ちなみに天坂の脚本では野焼きすることになっていたが、当然ながらそんなことができる場所などない。だからそのシーンはあとでインターネット上のフリー素材から探すことになる。
「燃やして、どうするのさ」
「もう二度と思い出さない。そういうやつだよ」
「供養か」
「じゃあお盆だけは思い出していいの?」
「ダメダメ。覆水と同じで二度と返らない」
「厳しいなあ」
「だって『捨てる』ことは『前進』なんだよ。執着からの脱却には責任が伴うんだ。誰でもない、自分自身が選択したという責任が。そして人は、責任を負うことで前進するんだっ!」
脚本上のキャラクターなのか、脚本を書いた天坂本人の矜持なのかは知らないが、ずいぶんご大層な台詞だ。
と、ふいに全員の視線がおれに集まる。
「…………」
黙っていると、反対隣の男子が咳払いした。
「あっ……! おれも……オレモドーカンダ!」
しいんとした空間に「カット」の声が響く。
映画は続く。ときどきこうして途切れながら。
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