第2話 最後
「「「お疲れ様でした~!」」」
舞台裏では無事に千秋楽を終えた演者たちが集まり、互いに労いの言葉をかけあっていた。その光景を後ろで座りながら眺める俺はゆったりと重荷を下ろすかのようにため息を吐いた。
舞紙劇団。二千人以上の団員が在籍し、全国に三つの専用劇場を有する国内最大の演劇集団。演技、ダンス、歌唱において秀でた劇団は舞台人の憧れの象徴であり、毎年数万人もの志願者がオーディションを受けている。
俺はその劇団の花模様と呼ばれる立場にある。花模様とは団員の中から一人だけ指名される舞紙の顔のような存在であり、選ばれれば五年間の任期を務める必要がある。
しかし、花模様を五年間勤めあげた人間はほぼいない。
花模様は年間三百公演、尚且つ主演で出演する必要があり、その超多忙なスケジュールに挫折する人が多く、途中で嫌になり劇団を辞めてしまうことも多い。その上、花模様である人間は舞台上でのミスはたった一つも許されず、もしミスをすればその人はその公演でクビとなり新たな花模様が選出される。
ここ十年だけで、十数人が志半ばでこの劇団を去っていった。
常に笑顔だった先輩が花模様となった途端に笑顔が消え、二年ももたずに舞台に立つのを辞めてしまい、その数週間後に俺が何十人の花模様候補を抜かして指名された。
最年少で抜擢されたため、劇団内部からは批判の声しか上がってこなかったが俺は使命を果たした。
一時はどうなるかと思っていたが、何とか五年間の任期を乗り越えることが出来た。
そんな俺のため息は花びらのように流れていった。
「星歌さん。お疲れ様です!」
横に座ってきたのは、この公演でメインヒロイン役を務めた
「お疲れ様。今日も完璧だったな」
「えへへ。それは星歌さんが日々練習に付き合ってくれるおかげです」
「後輩にそう言われたら花模様として断れるわけないだろ?」
「それも今日で終わりですね。本当にお疲れ様でした」
長かったこの立場をようやく退くことが出来る。達成感よりも安堵の方が強い。
「ほら星歌。最後だろ?」
その余韻に浸っていると同僚が俺を呼ぶ声が聞こえた。
「はいはい」
立ち上がれば団員たちが一斉にこちらを向く。そうして終わりを実感する。
俺は彼らに何を残せたのだろうか。技術でも、感情でも何でもいい。俺が花模様としてこの劇団に在籍した意味は何があるのだろう。
いや、それを俺が今知る必要はないか。
エンターテインメントは進化し続け、彼らもそれに適応し続ける。俺は後進に道を譲り今度はお客様と同じ目線で彼らのショーを楽しむ。きっとその時に誰かが教えてくれるはずだ。
俺がここにいた意味を。
「えー。ひとまず皆お疲れ様でした。お客様からの割れんばかりの拍手がこの公演の成功の証だと思っています。まあ、自分はこの公演でお終いですが、来週から皆さんは京都劇場で再び始まると思いますので、気を引き締めて頑張ってください。それから、次の花模様は誰かという話ですが……」
俺は事前に次の花模様は誰かを聞かされており、どうせなら卒業するお前から発表してやれと上の人たちから言われてしまっている。毎回発表前は候補たちがバチバチに争っていたのだが、今回はそうでもなかった。
既に数年前から時期花模様は決まっていた。
「
全員が一斉に彼の方を見た。先ほどの舞台で、俺がボケを振った美青年だ。彼も年齢は俺より上だが、入団したのは後である。
入団当初から出世頭と言われ、わずか数か月で主演を務めあげた。その後順当にキャリアを積んで花模様候補にあがったのだが前回は俺が選ばれてしまった。本人も待ち焦がれていた花模様だ。
こいつならきっと任期を全うして引退してくれる。
「じゃ、お前から何か一言頼むわ」
「分かってる」
美しい容姿に類まれなる才能。ひとたびステージに立てばどこにいても存在感を放ち、皆の目を奪ってしまうほどのオーラを持つ。他の団員たちがいくら努力しても手に入れることの出来ない生まれ持ったもの。
朝日は俺の横に来て一言だけ言う。
「次期花模様の朝日太陽です。舞紙の伝統を背負い、無事に五年後の二百周年を迎えることをここに約束します」
無事に……か。五年後を無事に迎えることが出来たら、挨拶をしに行こう。こいつとは花模様になる前は何度も主演争いをしたものだ。
懐かしいなぁ。
「まあ、オレの話はここまでにして。……今日、舞紙劇団を旅立つ月乃星歌に花を手向けましょう」
「はあ?」
すると、顔の横からふわっと優しい香りが漂ってきた。ちらっと視線だけ向ければ、甘央が大きな花束を近づけてきていた。
「「「星歌、卒業おめでとうっ‼」」」
皆がクラッカーをこちらに向け、弾ける音の後に大量の紙テープが飛んできて俺にかかると驚いて目を閉じてしまった。淡泊に終わると思っていた俺の最後。舞台人として輝く必要は舞台上だけで良いはずだ。
けれど、もう俺は違う。
目を開けば、そこにはチョコレートケーキがあった。一人では到底食べきれないほどの大きさで、プレートには『5年間お疲れ様!』と書かれていて、真ん中には俺を模した小さな飾りがついていた。
何年も口にしていないケーキを前にして、俺は────
「これ、食べていいの?」
そう漏らしてしまった。今までずっと我慢していたせいで、身体が変な反応を引き起こしている。
「何言ってんだよ。お前のために皆が用意したんだ」
「めっちゃいいお店のケーキですからね!星歌さんが甘い物食べてるところ見たことないですけど、きっと好きな味ですよ」
朝日、甘央がそう言うと俺は一切れのチョコケーキを渡される。
最後に甘いものを食べたのは親父が死ぬ前だっけ。同じ舞台人として尊敬できる人間だったが、親としては最低なやつだった。
葬式すら出ず、墓参りに行ったことすらない俺はもっと最低なやつなんだけど。
今度、行ってみるか。
「……いただきます」
フォークで一口大に切ったケーキを口の前まで運ぶがそこで止まってしまう。ここで食べてしまえば、自分との約束を破ってしまうことになる。この世界で勝ち残るために全てに制限をかけていた。
……でも、もういいか。
今日で辞めてやるんだから。
思い切って口に含めば、ほんのり苦みのあるシフォンケーキと周りにコーティングされたチョコレートの柔らかい甘さが絶妙に合わさる。それが舌の上で溶けるようにすぐに消えてしまい、何故か無意識に涙が零れそうになる。
それに気付いた時には既に引っ込んでいたのは、俺が月乃星歌だから。
「……美味しい」
「だろうな。二万はした」
「金額を言うな」
先輩が朝日の頭にチョップする。どういうわけか、朝日は不服そうな顔をしているが面白いからこれはこれで良いのだ。
「星歌、お前これから何をやるんだ?」
「しばらくは自由時間を楽しむつもりですよ。先輩もこれからどうするんですか?」
「いやまだ引退しないわ!」
「いやいやいやいや。なら、五年後の花模様目指しましょうよ」
「馬鹿言え、俺にはもう家族がいるんだ。それに、お前の姿見て花模様になりたいと本気で思う奴ってのは、朝日ぐらいだろうしな」
花模様は五年の任期を満了すれば、その後は卒業か別枠という道がある。舞紙ではオーディションを行って出演するメンバーを決めるのだが、別枠になればオーディションをせずに出演することが可能になる。
「それに、俺はもうかなりの古株だから主役は出来なくとも大きな役を貰いやすい。家族を養うには十分な給料があるし、これ以上の重労働はこの身体じゃ耐えられそうにないさ」
「まあ、背負うものも増えますしね」
「朝日なら次の花模様にふさわしいだろうし、星歌も安心するだろ?」
「はい。こいつならきっとしっかりやってくれますよ」
「言われてるぞ朝日」
横でちまちまケーキを食べている朝日に先輩は話を振った。
「こいつに言われなくても、オレはしっかりとやりますよ」
「ハハッ。そうでなくっちゃな」
けらけらと笑う先輩は両手で俺と朝日の肩を組む。普段だったら避けていたが、ケーキを食べる瞬間だったので油断していた。朝日も苦しそうに足をバタつかせているが誰も助けようとしない。
これが日常なのだ。
俺が五年間もやり遂げることが出来たのは、この素敵な環境があってのことだ。ここから俺は新たな世界に羽ばたいていく。
ここに居所は必要ない。
ケーキが無くなった瞬間、それが合図だった。
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