第3話 プロフェッショナル
公演が終わり、二時間が経過した。演者たちは帰路に着き始め、静かになった東京劇場に残っているのは俺だけになった。来週から始まる新しい公演のために大道具は解体され、再演される可能性があるのなら捨てられないだろう。
だが、この作品は俺のためにつくられたもの。二度とやらないかもな。
「随分世話になったな。ありがとう」
そう呟いて、俺はホールから出て関係者用通路を歩く。すれ違うスタッフたちと最後の挨拶を交わし長い廊下を進んだ。
外に出ればしんしんと雪が降っており、金色の街灯がクリスマスイブの夜を照らす。身体は寒いはずなのに人々が織りなす景色に胸が温かくなってくる。
サンタクロースの衣装を着たケーキ屋の売り子。手を繋いでイルミネーションの下を歩くカップル。ショーウインドーに張り付いて、ロボットの模型をじーっと見つめる子供とそれを誇らしげに眺める母親。
まるでレビューの世界に招き入れられたみたいだ。
「ほし!」
目的地に向かおうとすると、先ほど観客席から俺を呼んでくれた女性の姿があった。俺が彼女に気付くとこちらにやってくる。
「卒業おめでと!」
「ちょっと。出待ちはやっちゃダメって劇団側から言われているでしょ?」
「大丈夫大丈夫。今日でほしは卒業するんだからもう舞紙の人じゃないからセーフ!」
この方は何年も前から劇団に通い続け、俺を応援してくれている。俺と同じくらいの年齢であるのに、決して安くはないチケットを毎月何度も購入し、足しげくこの劇場に会いに来てくれるのだ。
俺のことを「ほし」と呼んでいるが、家族からもそう呼ばれているという昔の発言を覚えてくれているみたい。
基本的に演者とファンは接触することが禁じられており、彼女もそれを守っているのだが今日は特別だ。
「これからどうするの?」
「しばらくは休むつもり、ずっと頑張ってきたからそろそろ落ち着く期間を作りたくてさ」
「そっか~。当分はほしが見れないんだ」
「そんな悲しい顔しないで。俺の卒業する日なんだから、笑顔でいてくれない?」
「………これからどうしよ」
泣きそうになって俯く彼女に優しく言葉を渡しても駄目みたいだ。俺のエンターテイメントを泣くほど生きがいにしてくれているのは舞台人冥利に尽きる。たった一人にでも届くことが出来れば、命を削ってまで人前に立っていた今までの俺が報われる。
それを今日、当事者を通じて知れたことが何よりも嬉しい。
「言ったでしょ?さよならは言わないって」
「えっ?」
顔を上げ、鼻を赤くする彼女のためにハンカチを渡そうとし────
「きっとどこかで輝き続ける。それをあなたが見つけてくれるのを心から楽しみにしているから」
自分の夢やプライベートを捨ててでもお客様のために生きる。
誰かの真似をしているわけではなくそれが俺の選んだ道であり、それ以外は存在しないのだ。
「ほんと?」
ハンカチを受け取って涙を拭う彼女に、俺は演じることなく接する。
「本当だよ。まあ舞台に立つかは分からないけどね」
「テレビとかってこと?」
「それは楽しみにしててよ。あ、じゃあもう行かなきゃいけないから」
「ああ待って!」
まるで自分のもののようにハンカチをポッケに仕舞うと、彼女は高級ブランドのショッパーを渡してきた。別にハンカチくらいあげるけど。
「はい。どうぞ」
「え~ありがとう!ファンの方からこうやってプレゼントを貰うのは初めてだなぁ」
「普段はファンレターも禁止だもんねえ」
「まあ、劇団が売りにしているのはクオリティの高さであって俳優じゃないからね」
それに最近では新型コロナウイルスの流行で劇場に来るお客様は激減。リピーターのお客様も足が遠のき、新規獲得はサブスクの普及で困難を極めた。
だからこそ、最後の最後までお客様のために時間をつくることが出来て俺は幸せだ。
「星~」
俺たちの近くに止まった車から身を乗り出して手を振っている人が俺に声を掛ける。
「迎えが来たみたい。じゃあね」
「うん!頑張ってね」
回り込んで助手席に乗り込めばシートベルトをするとすぐに出発する。車内から手を振れば、彼女は車が見えなくなるまで大きく手を振っていた。
「お疲れ~。ごめんね遅れちゃって、寒かったでしょ」
「ううん。最後の時間までお客様とお話できたから丁度良かったよ」
「そっかそっか!星は色んな人に愛されて良かったね」
俺のことを「星」と呼ぶこの人は俺の姉、
月乃家四人姉弟の長女であり、小学校教諭として子どもたちのために日々教壇に立っている。今日は夜ご飯を一緒に食べようと誘われたのだ。
「最近どう?先生として頑張ってる?」
「毎日大変だよ~。朝早いし~、給食少なくておかわりしようとするとデブって言われるし~、空き時間に宿題とかも見なきゃいけないし~、それからそれから」
学校の先生は多忙だと聞くが、本当に大変そうだ。心の底から子どもが好きじゃないと続けられそうにない。こうやって嘆いているのにもかかわらず、辞めずに頑張っているのは彼女の性格に答えがあるのだろう。
「まあでも明日から冬休みなんだ~!」
「いいね。どこかに行くの?」
「実家に帰るつもり。二人もまだあっちにいるみたいだし、久しぶりに会いたいなぁって思ったの!」
「あ~」
「星も一緒に帰る?」
明日から俺は休むつもりでいたが、結局今何がやりたいか自分でも分かっていなかったので、この誘いに乗らなければ空白の数か月を過ごすことになるだろうから行くしかない。
ていうか、俺もしばらく陽以外には会っていなかったので顔を見せたほうが良いだろう。
「行こうかな。暇だし」
「おっけ~。じゃあ今から向かおっか!」
「え?一回家に帰ったりとかはしなくていいの?」
「荷物はトランクに入ってるし、思い立ったらすぐ行動すべき!それに、星は今まで沢山頑張って来たから休まないと」
そう言うと、陽の手が俺の頭に伸びてきて髪の毛を梳くように頭を撫でる。久しくなかった感触はどこか面映ゆく、つい笑みが零れてしまいそうになった。
俺の過去を知っている存在であり、唯一損得勘定なしで頼れる身近な存在。
そんな彼女の横にいると眠くなってくる。シートヒーターが温かいのもあるだろうが、一日に二回公演を行って、花模様とかいう重責からも解放されたからか疲れがどっと襲ってきた。
瞼を閉じれば、車が少しずつ速くなっていくのを感じる。
「さあ、こっから六時間。星、BGM代わりに歌い続けて!」
「さっきの発言はどこ行ったの?」
この後、俺はサービスエリアに着くまで歌い続けた。
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