第四章 ラスボスは神様(本物)でした

第四十一話 終焉のプレリュード

 王城、東棟の談話室。

 そこは、救国の英雄たちの拠点というより、素人劇団の、あまりにも前途多難な稽古場と化していた。

「…だ、だから! ギル殿は『沈黙の魔人』です! そこで雄叫びを上げてはいけません!」

 アイリスの悲痛な声が、部屋に響き渡る。

 彼女が演劇監督(という名の、神の操り人形)に就任してから、数日が経過した。

 しかし、リハーサルは、一向に進んでいなかった。

「ノン! ヒロインの危機に、黙っていろと言うのか! それは、僕の美学に反する! そもそも、僕の台詞が少なすぎるのが問題なのだよ! ここは、魔王の非道を嘆く、五分間の独白を入れるべきだ!」

 ギルが役柄を完全に無視し、ジーロスが脚本の改変を要求する。

 テオは、舞台のチケットのダフ屋行為でいくら儲けられるかを皮算用しており、シルフィは、自分の出番が来る前に、部屋の隅のカーテンの裏で、また迷子になっていた。

 アイリスは、こめかみを抑えた。

(神様…! もう、限界です…! この者たちに、演劇は不可能です…!)

『…うるさい。黙って続けろ』

 脳内に響くノクトの声もまた、苛立ちを隠せないでいた。

『たかが演劇一つ、完璧にこなせんとは。お前たちの学習ラーニング能力の低さには、反吐が出る』

 彼の不本意な演出家業は、彼の精神を、確実に蝕んでいた。

 アイリスが、再び気を取り直し、崩壊した稽古を再開させようと、口を開いた、その瞬間だった。


 ―――ゴゴゴゴゴゴゴ……。


 地鳴り。

 それは、最初は、微かな振動だった。

 だが、すぐに、城全体を揺るがすほどの、激しい揺れへと変わった。

「な、なんだ!? 地震でありますか!?」

 ギルが、慌ててアイリスの前に立ちはだかる。

 棚から、高価な壺が滑り落ち、甲高い音を立てて砕け散った。

 だが、それは、ただの地震ではなかった。

 窓の外、晴れ渡っていたはずの青空が、急速に、インクを垂らしたかのように、どす黒い紫色へと、染まっていく。

 肌をピリピリと刺すような、不快な魔力の圧力が、部屋を満たした。

「…なんて、禍々しい気配なんだ…」

 ジーロスが、扇子を握りしめ、顔を青ざめさせる。

 それは、魔王ゼノスが放っていた魔力とは、比べ物にならないほど、巨大で、混沌として、そして、底の知れない、何かだった。


 その頃、ノクトは、塔の自室で、最高の寝心地を約束する「夢織りの枕」を堪能し、シミュレーションゲームの最新作に没頭していた。

 彼の完璧な日常は、しかし、その不意の揺れによって、無慈悲に中断された。

「…なんだ? この、不快な振動は」

 彼が眉をひそめた瞬間、机の上に置かれていたコーラのグラスが、カタカタと音を立て、兵棋盤の光が、ノイズ混じりに明滅した。

 マナ通信網が、不安定になっている。

 それは、北の砦の比ではなかった。王国全土、いや、大陸全土の通信網が、一斉に、悲鳴を上げていた。

「…面倒くさい…!」

 彼は、忌々しげに舌打ちすると、遠見の水盤を起動した。

 そして、その水盤に映し出された光景に、初めて、その表情を凍りつかせた。

 揺れているのは、大地だけではなかった。

 海が、荒れ狂い、山が、火を噴き、空には、裂け目のような亀裂が走っている。

 まるで、世界そのものが、悲鳴を上げているかのようだった。

 彼は、ゲーマーとしての、長年の勘で、この現象の異常な本質を、瞬時に見抜いた。

 これは、自然現象ではない。

 これは、システムの、根幹に関わる、エラーだ。

「…世界の法則そのものが、不安定になっている…? まるで、誰かが、この世界の設定ルールを、無理やり書き換えようとしているみたいじゃないか…」

 彼は、思考を、高速で回転させた。

 人間と魔物の、長きにわたる対立の、あまりにもあっけない、終結。

 そして、その直後に始まった、この、世界の崩壊の兆候。

 点と点が、繋がり、最悪の線を描き出す。

『…新人! 聞こえるか!』

 彼の、切迫した声が、アイリスの脳内に、雷のように突き刺さった。

(神様! これは、いったい…!?)

『今すぐ、魔王ゼノスと、連絡を取れ! 緊急用の、魔力通信機があるはずだ!』

(魔王と!? なぜ!?)

『奴なら、この現象の、正体を知っているかもしれん! いいから、早くしろ! 俺の、完璧な引きこもりライフが、台無しになる前に!』

 アイリスは、混乱しながらも、テオが「戦利品」と称して魔王城からくすねてきた、黒い水晶玉を取り出した。

 彼女が、祈るように、魔力を注ぎ込む。

 数秒後、水晶玉が、ぼんやりと光り、ゼノスの、焦燥に満ちた顔が、映し出された。

『アイリス師匠かっ! そちらも、感じているか!』

 彼の声は、恐怖に、震えていた。

「ゼノス殿! この天変地異は、いったい何なのですか!?」

『…やはり、こうなったか。人間と魔物の戦いが、あまりに呆気なく終わってしまったからだ…!』

 ゼノスは、悔しそうに、歯噛みした。

『―――“ゲームマスター”が、ついに、飽きてしまわれたのだ!』

「ゲーム、マスター…?」

『ああ! この世界の全てを、退屈しのぎの「ゲーム」として、弄んでいた、気まぐれで、残忍な、本当の「神」が!』

 ゼノスの、絶望に満ちた言葉が、静まり返った談話室に、響き渡った。

「―――あのお方は、このゲームに飽きたのだ! そして、盤ごと、この世界を、ひっくり返そうとしておられる!」


 アイリス分隊の、短い平穏は、終わりを告げた。

 彼らの、本当の敵。

 それは、魔王ではなかった。

 世界の全てを、自らの娯楽のために創造し、そして、破壊しようとする、絶対的な存在。

 ―――本当の「神」

 彼らの、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。

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