第四十二話 盤上の駒たち
『―――あのお方は、このゲームに飽きたのだ! そして、盤ごと、この世界を、ひっくり返そうとしておられる!』
魔王ゼノスの絶望に満ちた叫びが、黒い水晶玉を通して、王城の静まり返った談話室に響き渡った。
地鳴りは、いつの間にか収まっていた。
だが、その代わりに、魂を凍らせるような、恐ろしい真実が、アイリス分隊の頭上に、重くのしかかっていた。
「…ゲーム、マスター…? 神…?」
アイリスは、震える声で、オウム返しに呟いた。
彼女の混乱は、仲間たちも同じだった。
「姉御! いったい、どういうことでありますか!? 魔王よりも、偉い奴がいるとでも言うのですか!?」
「ノン! 世界そのものを、個人の娯楽だと!? なんて、冒涜的で、下品な思想なんだ! 芸術に対する、最大の侮辱だ!」
ギルが憤り、ジーロスが嫌悪に顔を歪める。
ただ一人、テオだけが、その目を、ギラリと光らせていた。
「…神様相手の、大博打か。ひひひ…! 面白え。面白えじゃねえか…!」
『ゼノス! 詳しく説明しろ!』
アイリスの口を通して、
水晶玉の向こうで、ゼノスは、疲弊しきった顔で、語り始めた。
「我々が住むこの世界は、遥か太古、
彼の言葉は、衝撃的な内容を、淡々と告げていく。
「人間と魔物の、永きにわたる戦争。それこそが、神が最も好んだ、メインシナリオだった。私は魔王として、英雄は英雄として、それぞれの役を、演じさせられていただけなのだ。善も、悪も、あの御方にとっては、どうでもいい。ただ、物語が、面白ければ、それで…」
だから、魔王軍は、あんなにも杜撰だったのだ。
四天王は、個性的すぎたのだ。
全ては、物語を盛り上げるための、舞台装置。
アイリスは、眩暈を覚えた。
自分たちの、命を懸けた旅も、戦いも、苦悩も、全てが、絶対的な存在の、退屈しのぎだったというのか。
「そして、師匠。あなた様が、あまりにも見事に、この物語を、終わらせてしまった」
ゼノスは、悔しそうに言った。
「メインシナリオが終わり、ゲームマスターは、飽きてしまわれた。…だから、リセットボタンを押そうとしておられるのだ。この世界ごと、全てを、無に還す、壮大な、サーバーリセットをな…」
その頃、ノクトは、塔の自室で、水盤に映るゼノスの顔を、冷たい目で見つめていた。
彼の脳内は、恐怖や絶望ではなく、ただ一つの、純粋な感情で、満たされていた。
怒りだ。
(…ふざけるな)
ゲーマーとしての、彼の魂が、燃え上がっていた。
(なんだその
彼の完璧な引きこもりライフは、この、史上最悪のゲームマスターによって、脅かされている。
そして何より、あの枕。
最高の安眠を手に入れた、まさにその瞬間に、その全てが、無に還ろうとしている。
許せるはずがなかった。
彼は、高速で、思考を巡らせる。
(どんなゲームにも、ルールがある。たとえ運営でも、絶対に破れない、根本的な規約があるはずだ。利用規約…。世界の、利用規約…!)
彼は、初代英雄が遺したという、古地図の隅に書かれていた、古代の法典に関する記述を思い出していた。
(…あったはずだ。神々でさえも縛られるという、古代の盟約が。それを見つけ出し、奴の規約違反を、突きつける…!)
彼の脳内で、常人には、いや、この世界の誰にも思いつくことのない、前代未聞の「神」への対抗策が、形作られていく。
それは、武力による討伐ではない。
世界のルールを利用した、完璧な「論破」だった。
『…ゼノス。お前の話は、分かった』
再び、アイリスの口を通して、
『こうしている間にも、世界の崩壊は進んでいる。我々には、時間がない。これより、我々は、共同戦線を張る』
「共同戦線…!? 人間と、魔物が、か!?」
『そうだ。だが、お前の、そのやる気のない城では、話にならん。こちらへ来い、ゼノス。この、王都へ』
その、あまりにも突拍子もない提案に、ゼノスは、絶句した。
「無茶を言うな! 私が、人間の王都へ、のこのこと出向いていけば、その場で処刑されるのがオチだ!」
『それは、古いゲームのルールだろう』
『古いゲームは、もう終わったんだ。今から始まるのは、新しいゲームだ。俺たち「プレイヤー」が、あの
その、不遜で、絶対的な自信に満ちた言葉に、ゼノスは、ゴクリと、唾を飲んだ。
アイリスは、脳内の声に、ただ、従った。
「…来てください、ゼノス殿。王宮との交渉は、私が、いえ、私の『神』が、全て行います。これは、世界の存亡を賭けた、緊急の、首脳会談です」
水晶玉の向こうで、ゼノスは、葛藤に、顔を歪ませる。
だが、彼には、もう、この、無茶苦茶で、不遜な「神」の手に乗る以外の選択肢は、残されていなかった。
世界の終わりを告げる、不気味な静寂の中。
人間と魔物の、歴史上、ありえなかったはずの同盟が、今、結ばれようとしていた。
全ては、一人の引きこもりの、最高の安眠を取り戻すために。
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