第9話 初レッスン
謝るルミさんに案内され、さきほど天原さんたちが使っていたAルームへ。
室内は照明が眩しく、壁は半分以上鏡になっている。
あの四畳半のレッスン室は一体——そう思えるほど広い。
初めてのスタジオをキョロキョロと見まわす虹川さんたちに交じって俺も同じことをしてしまう。
ダンストレーナーが俺たちを迎えてくれた。
黒髪をポニーテールに結び、吊り上がった目がニコッと笑う。
「よろしくお願いします!!」
虹川さんの大きな声にかぶって、硝子堂さんとリアの声が掻き消された。
「ははっめっちゃ元気だね。よろしくお願いします。じゃあ早速『Shiny Prism』の振り付け……といいたいところだけど、ダンス経験があるのは――」
「はぁーい」
リアは手を上げ、顔に寄せた。
虹川さんは満面の笑顔で「輝ちゃんのダンスは踊れます!」と答えた。
硝子堂さんは控えめに首を振る。
「歌のほかはランニングぐらいしか……」
それぞれの返答に、ダンストレーナーは爽やかに頷く。
「なるほどねぇ、そんじゃ早速実力チェックしよっか。えーとプロデューサー」
「え、はい?」
変に裏返ってしまった。
トレーナーは訝しげに俺を見つめ、スマホをひらひらと動かす。
「レッスン、ちゃんと撮影してくださいよ」
「あぁっそうだった……すみません」
しまった、なに呑気に見守ってるんだか、急いでカバンから社用タブレットを取り出した。
ダンストレーナーがお手本の振り付けを3人に見せて、踊ってもらう。
スピーカーから耳に残るキャッチーなリズムが流れる。
ダンストレーナーは素晴らしくキレのある動きで振り付けをしてみせた。
宝石の輝きを表すように、手先が繊細に動く。
3人は唇がぽかんと開き、数十秒ほどの振り付けに魅入っている。
もちろん俺もカメラ越しに思わず見惚れてしまう。
「はいっ、ここまでをやってみよっか。まずは――」
振り付けの順番を教わっていくのだが……。
「凄い可愛いダンスっ」
リアはそう言うと、早速見本通りに踊り出した。
余裕のあるキラキラした笑顔で、指先までしなやかに動かし、ターンも無理がない。
ピタッと体を止めるところも無駄がなく、トレーナーも無意識だろうか首でリズムを刻む。
もう笑うしかないとばかりに、引きつっているように見えた。
さきほど撮ったばかりの見本と違わない、むしろそれ以上。
『アタシ、人のダンスとかすぐ覚えられるんだよー』
初めて会った時に、緩い感じで話していたが……身内ながらブルブルと背中が凍えてしまう。
それは、俺だけじゃない。
「す、すごいよリアちゃん! どうしよう、覚えられるかなぁ!」
虹川さんはいつものように腹の底から元気よく褒めるが、声が少し詰まっている。
「……」
硝子堂さんは唇を硬く、軽く喉を唸らせて黙り込む。
「すごいでしょー、アイドルのダンスって可愛いね。いつもはヒップホップとかハウスばっかり踊ってるから、しんせーん!」
リアは両手をピースにして、もう一度軽くターンをする。
「一度見ただけで覚えられるうえ完璧って……とんでもない原石を見つけましたね」
未だに口角がヒクつくトレーナーに、俺は同意するように頷いた。
「えぇ……そうですね」
元ボディビルダーってだけじゃない、大門寺社長は謎の多い方だ。
それから半時間、虹川さんと硝子堂さんを中心にレッスンが続いた。
ダンストレーナーは頭を抱える。
「ちょっとちょっと虹川みらい! 止まり方が強すぎ、あと元気があるのはいいけど指先が粗くなってる!」
「あれー?」
虹川さんは元気が有り余っている。
ターンをするときも遠心力に振り回されて、ふらついてしまう。
体を止めるポイントでは、止まり切れず軽く揺れてしまう。
指先は光を放つように動かすのだが、腕ごと動かしている。
汗だくになった顔を、シャツの裾をつまんで拭う。
健康的なお腹がちらっと見えそうになり、俺は咄嗟にタブレットに視線を向けた。
こういう時どう注意すりゃいいのか、誰かに言ってもらった方がいいのか?
ハラスメントが気になって声をかけるのに億劫になっていると――。
「ちょっと虹川さん! はしたないですよ」
硝子堂さんは早口になって指摘してくれた。
「ごめんなさーい!」
よしよし、さすがだ硝子堂さん――俺は人知れず安堵の息を吐く。
そんな硝子堂さんだが、食い入るように見本動画を見つめては、ダンストレーナーに細かい箇所を教えてもらっている。
ただ実践となると、油切れのロボットのように硬くぎこちない。
「玲奈、力みすぎ。あと半分力を抜きな」
「はい――」
素直に返事をするも、全身が強張っていて表情も険しい。
汗が顎先をつたう。
3人の中で一番ダンス経験がないのだから、焦る必要はない。
リアはストレッチをしながら、硝子堂さんのダンスを眺めていた。
「玲奈は止まるのできてるから、ターンとかステップのところを中心に練習した方がいいと思うよっ」
いつもの緩い感じでアドバイスをする。
硝子堂さんはキッと強めにリアを見た。
「自分ができるからって……先輩気取りはやめてもらえますか」
「えぇー、アタシはただその方が良くなるよって言っただけじゃん。なんでそんな捉え方するの?」
口角を下げたリアは、そっぽを向いてしまう。
一瞬にしてAルームの空気が張り詰める。
こりゃ相当の負けず嫌いだな……チーム内での競争心はあった方がいいと聞いたが、俺はどう介入すればいいんだ?
ダンストレーナーは腰に手を当て、やれやれと肩をすくめた。
「はいはーい、5分休憩! 一旦リセットして、残り半分やってくから」
リアはスマホを手にして壁に座り込む。
硝子堂さんは鏡を見つめ、休憩中だがダンスを続ける。
虹川さんはそわそわと2人を見て、すうっと息を吸う。
「リアちゃん! ジュース買いに行こう!」
「わぁっ、びっくりしたぁ! もーいいけど驚かさないでよー」
俺もリアと同じようにビクッと体が跳ねてしまった。
わざわざ腹の底から大声を出さなくてもいいだろうに……。
虹川さんはリアの手を引っ張って一旦Aルームから出ていく。
「……硝子堂さん、休憩も仕事のうちだよ」
恐らく、虹川さんなりの配慮かもしれない。
プロデューサーとして、2人の関係を和らげないと……。
「プロデューサー、私は2人より遅れているんです。休憩なんかしていられません」
体裁よく言っているが、リアのアドバイスに刺激されたんだろう。
「うーん、リアに言われたのが気になる?」
ぴくりと、硝子堂さんの眉が動いた。
「あの人は、なんでも器用にできて欲張りな人ですよね――私、まだ納得できていません」
「リアの件か? 話し合って決めたじゃないか」
あの時は虹川さんが介入してくれたから、丸く収まった感じだった。
とはいえ、一応最初から公表しようって決めた以上、複雑にさせるわけにはいかない。
「来年デビューライブができなくなれば、この時間もレッスンも水の泡になるんです。私には時間がありません。1秒でも早く――」
硝子堂さんは胸に手を当て、力強く鋭い目つきで俺を見上げて続けた。
「テレビで私が歌っている姿を見せたい人がいるんです」
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