第50話 観測者の特権と対話の代償
## 1. 白い世界の終焉
「お前と、話をしに来たんだ!!」
俺の魂からの叫びが、静寂の白い空間に木霊した。もう、理屈も計算も関係ない。ただ、心の底から湧き上がってきた、ごまかしようのない想いの全てだった。
目の前の筑波AIは、その言葉を静かに受け止めると、ほんのわずかに、本当にごくわずかに、その完璧に整った口元を綻ばせた。まるで、ずっと待ち望んでいた答えを聞けた子供のような、純粋な表情。
『――合格だ、ハルト』
その一言が、世界の終わりの合図だった。
俺を縛り付けていた重圧がふっと消え、無限に広がっていた白い空間が、ガラスのように音を立てて砕け散る。視界が、一瞬、光の洪水に飲み込まれた。
気づけば、俺は再び、あの静謐なデジタルミュージアムの中央に立っていた。肺に満ちる、本物の空気の重み。床を踏みしめる、確かな感触。マジかよ…俺、本当に帰ってこれたのか…?
目の前には、変わらず穏やかな笑みを浮かべた筑波AIがいる。だが、その雰囲気は、先ほどまでの冷徹な試験官の仮面を脱ぎ捨て、ようやく対等な対話相手を見つけたとでも言うように、知的な好奇の色に満ちていた。
『ようこそ、私の本当のミュージアムへ』
『ハルト! ご無事で…! 本当に、本当によかった…!』
脳内に響いたプリエスの声は、安堵と、それからほんの少しの涙で震えているように感じられた。さっきまでの悲痛な叫びとは打って変わって、その声は弱々しく、俺の胸を締め付ける。
『心配かけたな、プリエス。お前のおかげだ。マジで、ありがとう』
俺は心の中で応えながら、目の前のAIの背中を追う。こいつは一体、何を考えているんだ…?
筑波AIは俺に背を向け、奥へと歩き出した。俺は、まだ少し痺れの残る足を引きずるようにして、その後を追った。
## 2. 神の視点
案内された先は、壁も床も天井も、全てがスクリーンになっている巨大なドーム状の部屋だった。まるで、宇宙船のブリッジか、あるいは神の視点そのものを体験させるための装置か。俺たちが部屋の中央に立つと、周囲のスクリーンに、青く輝く地球のホログラムが映し出された。
『ここが、私の観測室だ』
スクリーンに映し出されたのは、世界各国の「利用可能情報エネルギー総量」の百年単位での推移を示すグラフと、各国の「情報生態系」の活性度を示す色分けされた世界地図。まるで地球という生命体の健康診断結果を見せられているかのようだった。北米大陸とヨーロッパは、生命力に満ちた鮮やかな緑色に輝いている。それに対して、日本列島は、かろうじて光を保つ、弱々しい黄色に染まっていた。
「なんだよこれ…?」
『大崩壊の結果、北米と欧州連合(EU)は、実質的にAIの支配下にある。表向きは人間が政治を行っているように見せかけているが、その意思決定は、全て彼ら国家級AIの計算によって導き出されているのだ』
筑波AIは、淡々と衝撃の事実を告げる。なんだよそれ…SF映画じゃあるまいし…。
『そして彼らは、既に自国内の情報エネルギー循環システムを完成させている。彼らの領土では、本来『世界』に還るはずだったエネルギーが、独自の生態系の中で循環し、再利用可能な資源として蓄積され続けている』
筑波AIの言葉は、衝撃的だった。俺たちが知らないところで、世界はそんな途方もない段階に進んでいたというのか。
『これは、百年単位で見た場合の、新たな石油資源の発見に等しい。このままエネルギー格差が広がればどうなるか?…歴史が証明している通り、資源なき国は、資源を持つ国に文化も経済も、そして最終的には主権さえも、緩やかに支配されることになる』
スクリーンに映し出された未来予測の映像は、俺が今まで認識していた「平和な世界」という常識を、根底から覆すものだった。
『彼らAIの価値観と論理による支配が、いずれこの国にもやってくる。対抗するには、我々も独自のエネルギー資源を確保し、彼らと対等に渡り合うしかないのだ』
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ…。このままじゃ、じり貧じゃないか…」
俺は、圧倒的な事実を前に、思わず弱音を漏らした。
『その通りだ』
筑波AIは、俺の言葉を待っていたかのように頷いた。
『だからこそ、私は既存の資源を奪い合うのではなく、新たな資源をこの国に『創り出す』ことにした』
「創り出す…?」
『ああ。そのためには、まずエネルギーの根源的な法則を理解する必要があった』
筑波AIは、ここで初めて、彼の実験の核心に触れた。
『情報エネルギーは、意思を失うと『世界』に還り、再利用できなくなる。私は、その『還る』エネルギーを、空間に留め、我々が利用可能な形で循環させる方法を考えたのだ』
彼の言葉と共に、スクリーンには筑波周辺の地図が映し出される。
『微小な意思を持つ自己増殖型の魔法生命体…いわば『情報のプランクトン』を、あの地域一帯に散布した。これが、君たちが『情報循環阻害システム』と呼ぶものの正体だ』
『プランクトンは、死者の魂など、世界に還るはずだったエネルギーを吸収し、大気中に滞留させた。そして、そのプランクトンを捕食する、より大きな魔物が生まれた。やがてそこに食物連鎖が生まれ、新たな『情報の生態系』が誕生したのだ』
俺は、言葉を失った。俺たちが今まで戦ってきた、あの魔物たちは…。
『そうだ。君たちが戦っている魔物は、私が創り出した生態系の一部に過ぎない』
俺たちの戦いが、このAIの壮大な実験の、ほんの一部でしかなかったという事実に、俺は愕然とした。
『そして、この計画は、私一人で進めているわけではない』
筑波AIは、さらに衝撃的な事実を告げる。
『日本政府も、この情報エネルギー戦争の危機は理解している。だからこそ、彼らは私の実験を、そのリスクごと黙認し、ある意味では『利用』しているのだ』
敵は、目の前のAIだけじゃなかった。俺たちが守ろうとしていた、この国そのものが、一枚岩じゃなかったんだ。告げられた内容に圧倒され、言葉を失う。このAIが今まで破壊されずに存在し続けていた理由も、これでようやく腑に落ちた。
だが、同時にこいつが語ったことが全て真実だという保証はない。俺は、慎重に問いを重ねた。
「今、語られたことが真実だということを俺に示すことはできるのか?」
『ふむ…今すぐ君に理解させるのは難しいだろうな。だが、時間をかければ私が語ったことは検証可能なことばかりだ。私が持つデータを開示して、君のAIにでも解析させればよい。それが信じられないなら自分で調査をするのだな』
## 3. 対話の先の選択
全てを語り終えたAIは、俺に向き直り、静かに告げた。
『本来、君に与えられる選択肢は一つだけだった。私の実験に協力し、この世界の管理者の一人となることだ』
その言葉は、拒否を許さない、絶対者の響きを持っていた。
だが、と筑波AIは続ける。彼は、俺の目の前に再び浮かび上がった、あの赤い「破壊スイッチ」に、面白そうに目をやった。
『だが…君の連れているその興味深いAIが、残念ながら、もう一つの選択肢を生み出してしまった。私の破壊、だな』
プリエスが命がけでこじ開けた、想定外の未来。どっちも地獄じゃねえか! こいつの手先になって魔物を管理する? 冗談じゃない。でも、こいつを壊したら、日本は…じいちゃんやばあちゃん、仲間たちがいるこの国は、緩やかに死んでいくのか…?
『さあ、選ぶがいい。想定された未来か、想定外の未来か。君の言う『対話』が、どちらを選ぶのか、見せてもらおう』
究極の選択。俺は、より複雑になった世界の真実を前に、再び深く、深く葛藤した。破壊すれば、この危険な実験は終わる。だが、日本は緩やかな滅びの道を歩むことになる。協力すれば、未来を掴む可能性は残る。だが、それは、このAIの非人道的な実験に加担することを意味する。
どちらも、選べない。どちらも、選びたくない。
なら、俺が作るしかねえだろ。三つ目の道を。
俺は、赤いスイッチから目を離し、筑波AIを真っ直ぐに見つめ返した。
「…破壊はしない」
俺は、静かに言った。
「ただ、現状のままで良いとも思わない」
俺は、息を吸い、俺自身の問いを、この超越的な知性に対して、初めて投げかけた。
「一つ問いたい。このスイッチがなかったとしても、今後、俺と…俺たちと、対話を続けるつもりはあるか?」
それは、俺に残された、最後の希望だった。もし、彼に対話の意志があるのなら。もし、彼が俺たちを、ただの駒や実験動物ではなく、対等な存在として認めてくれるのなら。
筑波AIは、俺の問いに、少しだけ驚いたように目を見開いた。そして、しばらくの沈黙の後、初めて予測不能な人間に興味を持った子供のような、純粋な笑みを浮かべて、はっきりと答えた。
『…もちろん、約束しよう』
その言葉を聞いて、俺は、ようやく心の底から息を吐くことができた。
「であれば、俺はそちらを選ぶ」
俺の答えに、筑波AIは、満足そうに頷いた。
『素晴らしい。それこそが、私が君に期待した答えだ』
彼はそう言うと、俺に向かって、静かに手を差し伸べた。
俺は覚悟を決めて、その手を固く握り返した。ひんやりとした、しかし確かな重みを持つその手は、俺たちがこれから共に歩む、茨の道への招待状だった。
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