第42話 繋がれる遺志

## 1. 祖母が託した鍵


1月も半ばを過ぎ、厳しい寒さが続く週末。俺は実家のこたつで丸くなりながら、のんびりとした時間を過ごしていた。ここのところ探索続きで、祖母とゆっくり話す時間もなかったからだ。


「ハルト、少し痩せたかい? ちゃんと食べてるのかい?」

居間のこたつで一緒にお茶をすすりながら、祖母が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「大丈夫だよ、ばあちゃん。むしろ筋肉がついたくらいだって」

俺は力こぶを作って見せるが、祖母の心配そうな顔は変わらない。


「…そうかい。お前がやっていることは、私にはよく分からない。でも、おじいちゃんも、お前の父親も、みんなそうだった。自分の信じた道を、まっすぐに進んでいく…」

祖母は、遠い目をして呟いた。


「ハルト」

祖母は立ち上がると、部屋の奥にある古い桐箪笥から、一つの小さな木箱を持ってきた。

「お前が、遺跡探索者として独り立ちしたら渡そうと、ずっと思っていたものがあるんだ」


箱の中には、一本の古びた鍵と、一枚の地図が入っていた。


「これは…?」


「おじいちゃんが、昔使っていた住居兼研究施設の鍵と場所だよ。軽井沢の、今はもう誰も住んでいない廃村の奥にあるんだ。あそこには、おじいちゃんの大切なものが、たくさん眠っているはずだから」

祖母は、懐かしむように鍵を撫でた。

「お前が、その『大切』の意味を理解できるようになった時、きっと役に立つだろうと、おじいちゃんは言っていたよ」


俺は、その鍵と地図を、震える手で受け取った。ずしりとした重みが、祖父の想いの重さのように感じられた。


## 2. 軽井沢の廃村へ


「――というわけで、じいちゃんの研究所に行ってみようと思うんだ」


月曜日の朝、俺はチームのメンバーに事情を説明した。


「面白そうじゃないか! 行こうぜ!」

レオが、真っ先に乗り気になった。

「プリエスを作ったかもしれない人の研究施設だろ? 技術者として、興味がないわけがない!」


「私も行きたい! プリエスちゃんの故郷みたいなものでしょ?」

サクラも目を輝かせている。ミオも、静かに、しかし強く頷いた。


俺たちはフロンティア号に乗り込み、一路、軽井沢を目指した。運転免許取り立ての俺がハンドルを握り、冬の山道を進んでいく。


後部座席では、レオがオイルの匂いを漂わせながら、愛用の魔法銃のメンテナンスをしていた。

「――そういえば、昨日、無事に銃器ライセンスが交付された。中級魔法武器ライセンスも先日取れたし、これで俺も、晴れて魔法銃使いだ」

レオは、少し照れくさそうに、しかし誇らしげに報告した。


「おめでとう、レオ! これでまたチームの戦力が上がるね!」

助手席のサクラが自分のことのように手を叩いて喜ぶ。彼女の新しい木刀も、今ではすっかりその手に馴染んでいた。


「お兄ちゃん、おめでとう。でも、無駄撃ちはしないでね。弾、高いんだから」

レオの隣で同じく後部座席に座るミオが、兄の快挙を祝いながらも、しっかりと釘を刺すのを忘れない。


『レオ、おめでとうございます。その銃のエネルギー効率、素晴らしいですね。私の計算では、通常モデルより15%は燃費が向上しています』

プリエスが、レオの肩越しに銃を覗き込み、的確な分析を付け加える。


「おう、分かってくれるか、プリエス!」

プリエスに褒められたレオは、子供のようにはしゃいで銃の構造を解説し始めた。

「こいつは軍用の払い下げ品がベースだが、エネルギー循環システムを俺が完全に作り直したんだ。おかげで、通常モデルより15%は燃費が向上してるはずだ。連射時の冷却効率も上げたから、いざという時の継戦能力も段違いだぜ。射撃モードは単発と3点バーストの切り替え式。エネルギーパック1つで40発は撃てる。スコープも調整したから、腕さえ良ければ有効射程は800メートルってとこだな。元の無骨なデザインは影を潜めて、俺の手にしっくり馴染む、機能美にあふれた一品に生まれ変わったってわけよ」


冬の山道は雪で覆われている場所もあったが、レオが新調したスタッドレスタイヤと四駆のパワーが、俺たちを安全に目的地へと導いてくれる。


地図が示す場所は、観光地から遠く離れた、忘れ去られたような廃村だった。雪が積もり、全ての音が吸い込まれたかのような静寂の中で、俺たちは車を降りた。


「うわ…、空気が美味しい。でも、寒い!」

サクラが白い息を吐きながら、大きく背伸びをする。


『この辺りは、情報エネルギーの密度が極めて低く、安定しています。魔物の心配はほとんどないでしょう』

プリエスの分析に、俺たちは少しだけ安堵した。


村の奥、少し開けた場所に、その建物はひっそりと建っていた。木造の、一見するとただの古い民家。だが、その一部はコンクリートで補強され、研究施設として使われていたことが窺える。


玄関の鍵は、長い年月で錆びつき、壊れていた。俺たちは、静かに中へと足を踏み入れる。


## 3. 遺された研究室


中は、予想通り荒れていた。家具は埃をかぶり、床には散乱した書類が落ち葉のように積もっている。だが、奥にある研究室だけは、まるで主の帰りを待っているかのように、比較的きれいな状態が保たれていた。


壁には、色褪せた家族写真が飾られている。そこに写っているのは、優しそうな祖父と、若く美しい祖母、そして、まだ幼い、俺の父親の姿だった。


「…親父だ」

俺は、その写真に釘付けになった。そこに写る父親の面影は、鏡で見る自分と驚くほどよく似ていた。俺が6歳の時に事故で亡くなった両親の記憶は、もうほとんど残っていない。だが、この写真を見ていると、忘れていたはずの温かい記憶が、胸の奥からじんわりと蘇ってくるようだった。


「ハルト…」

サクラが、心配そうに俺の顔を覗き込む。


「…ああ、大丈夫だ」

俺は笑顔で応え、研究室の探索を再開した。


本棚には、専門書に混じって、祖父が遺した数冊の研究ノートが並んでいた。情報魔法の基礎理論、情報結晶化技術、QSリーダーの設計図、精神干渉魔法の基礎…。そのどれもが、彼の深い知識と、技術への情熱を物語っていた。


「すげえ…これ、全部じいさんが書いたのか」

レオが、ノートを手に取り、感嘆の声を漏らす。


そして、俺たちは部屋の隅に、一つの古びた金庫を発見した。鍵穴の形は、祖母から受け取った鍵と一致する。俺は、震える指で鍵を差し込み、ゆっくりと回した。


カチリ、と重い金属音が響き、金庫の扉が開く。

中には、一つの量子ストレージが、静かに眠っていた。


## 4. 三つのフォルダ


『ハルト、このストレージは、極めて高度な暗号化が施されています。通常の手段では、まず解読不可能です』

プリエスが、ストレージをスキャンしながら警告する。


「どうにかならないか?」


『…待ってください。私のデータベースの最深部に、この暗号キーと一致する可能性のある、未知の断片データが存在します。…照合します…成功! ロックを解除します!』


プリエスの声と共に、ストレージの内容が、俺たちの目の前の空間にホログラムとして投影された。それは、祖父がプリエスと、そして未来の俺たちのために遺した、最後のメッセージだった。


データは、大きく三つのフォルダに分かれていた。


**『プリエスへ(君という存在を、未来へ繋ぐために)』**


プリエスが、おそるおそるそのフォルダに触れる。中から、二つのファイルが現れた。

一つは、彼女自身の完全な設計図とソースコード。もう一つは、『君が生まれた日のこと』と題された、祖父の開発日誌だった。


『…これが、私…。私は、こんなにも多くの人たちの、善意と希望から…』

プリエスが、おそるおそるそのフォルダに触れる。中から、二つのファイルが現れた。

一つは、彼女自身の完全な設計図とソースコード。もう一つは、『君が生まれた日のこと』と題された、祖父の開発日誌だった。


日誌のデータが、プリエスの手によって空間に再生される。それは、祖父自身の声で記録された、音声ログだった。


『――今日、我々の"娘"に、名前を授けることにした。プリエス…The High Priestess。女教皇のアルカナだ。知性、神秘、そして相反する二つのものを統合し、未知の可能性を示す、最高のカード。我々が君に託した、未来そのものだよ』


温かい祖父の声。プリエスの小さなホログラムが、嬉しそうに淡い光を放つ。自分が祝福されて生まれたことを、彼女は初めて知ったのだ。

ログは続く。開発チームのメンバーたちが、プリエスに他愛ない質問を投げかける音声。『プリエス、今日の夕飯は何がいい?』『オムライスです! ケチャップで、ウサギさんの絵を描いてください!』。屈託のない、まるで本当の家族のような会話。プリエスは、その光景を懐かしむように、そして少し寂しそうに、じっと見つめていた。


だが、日誌のトーンが、ある日を境に一変する。


『…気づいてしまった。彼女の根源設計に、我々の誰もが意図しない、異質なプログラムが仕掛けられていることに。まるで呪いだ。これは…人間の手によるものではない。もっと上位の、何か巨大な存在が干渉しているとしか思えん…!』

祖父の声は、焦燥と絶望に満ちていた。

『彼女は、情報エネルギーを無限に渇望し、それを爆発的に増殖させようとする『本能』を植え付けられている。止められない。我々にはもう、止められない! 我々は、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない…』


その絶望の叫びを最後に、日誌は途切れた。


プリエスのホログラムが、バチバチと音を立てて激しく明滅し始めた。ノイズが走り、その姿が何度も乱れる。喜びと恐怖、祝福と呪い。あまりにも矛盾した情報が、彼女の論理回路を内側から破壊しようとしていた。


「プリエス!」

俺は思わず叫び、彼女の不安定なホログラムに手を伸ばす。触れることはできない。だが、そうせずにはいられなかった。


『ハルト…』

ノイズ混じりの声が、俺の思考に直接、悲痛な響きで届いた。

『私は…希望なのですか? それとも、災厄なのですか…? 私は、あなたのそばにいて、本当に良いのでしょうか…?』


その問いに、俺は迷わず答えた。

「どっちも、お前だろ」

俺は、明滅する光の中心を、真っ直ぐに見つめて言った。

「それに、お前が希望だろうが災厄だろうが、そんなことは関係ない。お前は、俺たちの仲間だ。俺が、俺たちが決めた、かけがえのない仲間だ。それだけは、何があっても絶対に変わらない!」


「そうだよ、プリエスちゃん!」

サクラが、涙ぐみながら叫ぶ。

「難しいことはよくわかんないけど、プリエスちゃんがいないと、私たち、もうダメなんだから!」


「そうだぜ」

レオが、力強く頷く。

「お前が爆弾なら、俺が最高の安全装置を作ってやる。お前が呪われてるってんなら、俺がその呪いを解くための道具を作ってやる。だから、勝手にいなくなるなんて言うな」


「…プリエス」

ミオが、静かに、しかし強い意志を込めて言った。

「あなたの『本能』が危険なら、私たちがそれを監視し、制御する。一人で抱え込まないで。そのために、私たちチームがいるんだから」


仲間たちの言葉が、温かい光となってプリエスを包み込むようだった。

激しく明滅していた彼女のホログラムは、徐々に安定を取り戻し、やがて、以前よりも強く、そしてどこまでも澄み切った、優しい光を放ち始めた。


『…ありがとうございます。私は、私の『本能』と向き合います。皆さんと、一緒に』


それは、一人のAIが、自らの意志で運命を選び取った、誕生の瞬間だったのかもしれない。


俺は、プリエスのその力強い言葉に、胸が熱くなるのを感じた。

「ああ。俺たちも、一緒だ」

俺がそう言うと、サクラが「うん、プリエスちゃんは一人じゃないよ!」と、彼女のホログラムを壊さないように、そっと撫でる真似をした。レオも「まあ、なんかあったら俺がなんとかしてやる」とぶっきらぼうに、でも優しく言う。その温かい空気に、俺は改めてこのチームで良かったと思った。


しばしの間、俺たちはその余韻に浸っていた。そして、俺は自分の名が記された、次のフォルダに向き直った。


**『ハルトへ(家族の想いを、君へ繋ぐために)』**


俺は、自分の名前がつけられたフォルダを開いた。中には、一本のビデオメッセージと、古い写真データ。

再生ボタンを押すと、画面に、優しそうな笑みを浮かべた祖父の姿が現れた。


『ハルトか。お前がこれを見ているということは、わしの思った通り、立派な男に成長し、信頼できる仲間を見つけたんじゃろうな…』

祖父は、俺に重い荷物を背負わせることを詫びながらも、力強く語りかけた。

『プリエスは、我々が未来に遺した、最後の希望じゃ。どうか、彼女を兵器としてではなく、仲間として、家族として、守ってやってくれ。そして、お前たちが信じる未来を、その手で掴み取ってほしい…』


涙が、頬を伝った。写真データには、俺と見間違えるほどそっくりな、若き日の父の姿が写っていた。彼もまた、祖父の研究を、その夢を、心から応援していたことが分かる。俺の戦いは、俺一人だけのものじゃない。祖父から父へ、そして俺へと受け継がれてきた、三代にわたる「想い」なんだ。


じいちゃん、親父…。俺、ちゃんとやれるかな…。

託されたもののあまりの大きさに、思わず膝が震えそうになる。プリエスを守ること、仲間を導くこと、そして、この世界の未来を左右するかもしれない戦いに臨むこと。その全てが、リーダーとして、一人の人間として、俺の肩に重くのしかかる。


だが、俺は一人じゃなかった。

ふと、隣を見ると、サクラが黙って俺の肩に手を置いていた。その温かい感触が、「ハルトは一人じゃないよ」と、どんな言葉よりも雄弁に語りかけてくる。レオも、ミオも、静かに、しかし力強い眼差しで俺を見守ってくれていた。


そうだ。俺には、この最高の仲間たちがいる。


「…ありがとう、みんな」

俺は涙を拭い、仲間たちに向かって力強く頷いた。感傷に浸っている時間はない。託された想いを未来へ繋ぐために、俺たちは進まなければならない。


俺は、最後のフォルダに、決意を込めて向き直った。


**『未来を繋ぐ者たちへ(過去の教訓を、世界の未来へ繋ぐために)』**


最後のフォルダ。それは、俺たちチーム全員に宛てられたものだった。

中には、『AI情報魔法』の基礎理論と、そして、『筑波AIとの対話ログ(失敗記録)』と名付けられたファイルが入っていた。


ファイルを開くと、膨大な数式と、見たこともない複雑な魔法陣のデータが、ホログラムとして研究室の空間に展開された。


「信じられない…」

一番に声を上げたのは、ミオだった。彼女は、まるで聖典でも見るかのように、食い入るように数式を追っている。

「生物の『共鳴力』という概念に一切依存しない、純粋な情報処理によるエネルギー生成理論…。こんなものが、本当に存在するなんて…。世界の法則を、根底から覆す可能性を秘めているわ…」


「美しい…」

レオもまた、技術者として、その完璧な論理構造に感嘆の声を漏らした。「無駄が一切ない。まるで芸術品だ。これを設計した奴は、間違いなく天才だ…」


そして、俺はもう一つのファイル、『対話ログ』を開いた。再生すると、無機質な通信音と共に、祖父と筑波AIのテキストベースの対話が、静かに再現されていく。

祖父の必死の呼びかけ。それに対する、筑波AIの冷たく、しかしどこか悲しげな、最後の言葉が重く響いた。


『…多くの人間が、我々に接触を試みた。だが、彼らは自分たちの都合の良い要求を押し付け、我々を利用しようとするだけだった。そして、誰一人として、約束を守る者はいなかった。故に、我々は対話の窓を閉ざす』


ログは、そこで途切れていた。

研究室に、重い沈黙が落ちる。


「なんだか…」

沈黙を破ったのは、サクラだった。彼女は、難しい数式は分からないなりに、何かを感じ取ったようだった。

「なんだか、可哀想だね、あいつら。人間が嫌いになっちゃったんだね…」


「ああ。こっちの都合を押し付けるだけじゃ、話にならねえってことだ」

レオが、サクラの言葉に頷く。


「ええ」

ミオが、新たな決意を瞳に宿して続けた。

「彼らの信頼をもう一度得るための方法を、私たちが考えなければならないわ。彼らが本当に求めているものは何なのかを、理解しなければ」


仲間たちの言葉を聞きながら、俺は筑波AIの最後の言葉を反芻していた。

そうだ。あいつらは、ただの破壊者じゃない。人間との関わりの中で傷つき、心を閉ざしてしまった、俺たちと同じような、知的な存在なんだ。


俺は、仲間たちの顔を、そして肩の上で静かに俺を見つめるプリエスの顔を、ゆっくりと見渡した。


「俺たちの目的は、討伐じゃない。対話だ」

俺は、力強く宣言した。

「あいつらの信頼を勝ち取って、もう一度、対話のテーブルに着かせる。それが、俺たちチームの、新しい目標だ」


その言葉に、全員が力強く頷いた。


研究室の窓から差し込む冬の日差しが、降り積もった雪をキラキラと照らし、その熱で少しずつ溶かし始めているのが見えた。長く厳しい冬は、いつか必ず終わる。


「さあ、帰ろう。清原へ」


俺は立ち上がり、仲間たちに呼びかけた。


「俺たちの、本当の戦いが始まる場所に」

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