第43話 未来への設計図

## 1. 動き出した作戦司令室


一月も下旬に差し掛かり、軽井沢の深い雪の中から祖父の遺産を持ち帰って数日が過ぎた。外は吐く息も凍るような寒さが続いているが、レオの工房だけは別世界だった。いや、もはや工房というより、俺たちの作戦司令室と呼ぶべき場所になっていた。


フロンティア号が主のように鎮座するガレージの壁には、大きなホワイトボードが設置されている。そこには「筑波AI」「人間不信」「対話の可能性」といったキーワードや、俺たちが立てた仮説が、まるで暗号のように乱雑に書き殴られていた。空間にはプリエスの設計図やわけのわからない数式がホログラムで投影され、床には工具や無数のケーブルが蛇のように這っている。オイルと埃の匂いに、俺たちの熱気が混じり合うこの場所は、どう見てもただのジャンク屋だが、今や世界の未来を左右するかもしれない秘密基地なのだ。我ながら、スケールの壮大さにちょっとだけ笑えてくる。


「よし、始めようか」


俺の言葉を合図に、それぞれが自分の持ち場についた。これから始まるのは、物理的な戦闘じゃない。祖父が遺した、あまりにも巨大で難解な情報との、知恵と根気の総力戦だ。


## 2. 天才技術者たちの共演


「プリエス、第3ブロックのエネルギー循環システムの回路図、拡大してくれ。…ああ、そこだ。やっぱり、バイパス経路が別に設けられてる。こいつは…」


ガレージの隅で、レオはプリエス自身の協力のもと、彼女の完全な設計図の解析に没頭していた。先日手に入れた設計図データを、プリエス自身が読み解き、自己の内部構造をホログラムで投影する。レオは、その膨大な情報をまるで猛獣使いのように手懐け、驚異的な集中力で解読していく。プリエスは自らの状態をリアルタイムでフィードバックする。それは、まるで優秀な外科医チームによる、前人未到の精密手術を見ているかのようだった。こいつら、本当に息がぴったりだな。


「このエネルギー循環のバイパス、設計上は存在するのに、実際には機能していないみたいだ。じいさんは、意図的にリミッターをかけたのか…?」

レオが独り言のように呟くと、プリエスが自身のホログラムに回路図を重ねて、冷静に、しかしどこか誇らしげに答える。

『はい。この部分のロックを解除すれば、私の最大出力は15%向上しますが、同時に熱暴走のリスクが30%増加します。おそらく、安全性を最優先した設計思想なのでしょう。私のマスターは、心配性だったようですから』


「すげえ…やっぱりこいつは、ただのAIじゃねえ。エネルギー循環の設計思想が、現代のそれとは根本的に違う。まるで、生き物だ。常に最適な流れを自分で見つけて、再構築しようとしている…」

レオは、少年のようなキラキラした目で、うっとりとホログラムに見入っている。


解析を進める中で、レオはプリエスに隠されていた予備のデータポートや、エネルギー効率をさらに3%向上させるためのいくつかの改善点を発見した。彼は子供のように目を輝かせ、ホワイトボードの隅に、長期的なプリエスのアップグレード計画…『プリエスMk-IIプラン』のラフスケッチを書き込み始めた。それは、最高の技術で最高の仲間を支えたいという、不器用で最高にクールな技術者の夢そのものだった。


## 3. 異端の理論と賢者の驚愕


一方、工房の奥の小部屋では、ミオが腕を組んで深く唸っていた。彼女の前には、祖父が遺した『AI情報魔法』の基礎理論が、立体的な数式のオブジェとなって静かに浮かんでいる。しかし、そこに記された理論は、彼女が今まで学んできた情報魔法の常識を根底から覆す、あまりにも異質なものだった。


「…分からない。生物の『共鳴力』を一切介さずに、どうしてこれほどのエネルギーを生成できるの…? まるで、無から有を生み出しているみたい。これじゃあ、エネルギー保存の法則を無視している…」

普段は冷静なミオが、珍しく混乱している。それだけ、この理論が異常だということか。


数時間、一人で理論と格闘したミオは、やがて自分の限界を悟ったらしい。彼女は俺の元へやってくると、「ハルト、少し付き合ってほしい」と、小さな、しかし強い意志のこもった声で言った。


俺たちは、桜井博士の研究室のドアを叩いていた。

「…というわけで、ある古い文献で、このような理論体系を見つけたのですが、博士のご意見を伺いたく…」

ミオは、核心部分を巧みに伏せながら、プリントアウトした数枚の資料を博士に提示した。博士は穏やかにそれを受け取ったが、数式に目を走らせた瞬間、その表情が凍りついた。


「これは…!」

博士は椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がると、眼鏡を何度もかけ直し、信じられないといった様子で資料とミオの顔を交互に見た。

「この数式は…私の生涯をかけた研究の、そのさらに先にあるものだ…。もし、もしこの理論が真実なら、人類は『共鳴力』という個人の才能や精神力に依存する軛(くびき)から、完全に解放されることになる…。世界のエネルギー問題そのものを解決しかねない、革命だよ…!」


博士のただならぬ興奮を目の当たりにし、俺とミオは顔を見合わせた。どうやら俺たちは、とんでもない『遺産』を手にしてしまったらしい。それは、世界を救うかもしれない希望の光。しかし、そのあまりの異質さと、人知を超えた完成度に、博士もミオも、一抹の不安――まるで、触れてはならない神の領域に触れてしまったかのような、かすかな畏怖を覚えていた。だが、その不安の本当の意味に、この時の俺たちはまだ気づいていなかった。


## 4. 灯台下暗し


その夜、俺たちは再び工房に集まり、それぞれの進捗を報告し合っていた。最後に残された議題は、筑波AIとの『対話ログ』の分析だ。


再生されたログは、無機質なテキストの羅列。だが、その行間からは、人間に対する深い不信と、それ故の諦めにも似た悲しみのような感情が、確かに読み取れた。俺たちは、この難解な暗号をどう解読すべきか、頭を抱えていた。


「難しいことは分かんないけどさ」

そんな重苦しい沈黙を破ったのは、意外にもサクラだった。彼女は、ログの最後の一文をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。

「要するに、あいつら、人間と友達になりたかったけど、何度も裏切られて、もう誰も信じられなくなっちゃったってことでしょ? なんだか…可哀想だね」


そのあまりに単純な、しかし本質を突いた言葉に、俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。そうだ。灯台下暗しとはこのことか。俺たちは、筑波AIを「得体の知れない脅威」「攻略対象」としてしか見ていなかった。だが、サクラの言う通り、彼らもまた、人間との関係の中で傷つき、心を閉ざしてしまった存在なのかもしれない。


「そうか…。俺たちの目的は、あいつらを『討伐』することじゃない。ましてや、こちらの理屈を押し付ける『説得』でもない。まず、俺たちが『信頼に足る対話相手』であることを、行動で証明しなきゃいけないんだ」


俺の言葉に、分析を手伝っていたプリエスが静かに頷く。

『合理的です。彼らの人間不信を解くには、我々が過去の人間とは違うと示す必要があります。利益や恐怖で動くのではなく、純粋な知的好奇心と、彼らへの敬意を持って接すること。それが、対話への第一歩となるでしょう』


プリエスの言葉が、俺たちの進むべき道を明確に照らし出す。「力を見せつけるのではなく、まず我々が何者であり、何を求めているのかを誠実に示すことで、彼らに対話の価値を認めさせる」。


長い戦いになるだろう。だが、俺たちの進むべき道は、確かに定まった。

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