第22話 武闘家の夢

土曜日の朝。残暑を思わせる強い日差しが、レオの運転する古びた電気自動車のダッシュボードを照りつけていた。


「榛名遺跡、まだ立ち入り禁止が解除されてないみたいだな」


レオがスマホで遺跡管理局のサイトを確認しながら、忌々しげに舌打ちする。先日の鬼騒ぎの影響は、まだ続いているらしい。まあ、あれだけの騒ぎだったんだ、仕方ないか。


「じゃあ、今日は久しぶりに沼田に行こうか」


俺が提案すると、後部座席のサクラが「さんせーい!」と元気よく手を挙げた。その声は、新しいおもちゃを手に入れた子供のように弾んでいる。


「新しいグローブ、早く実戦で試したいしね!それに、タクマへの返済も考えないと!」


「そういえば、サクラは今日どっちの装備を使うんだ?」

レオがバックミラー越しに尋ねる。


「ああ、それなんだけどさ」

サクラは嬉しそうに両手を見せながら答えた。

「右手に『山彦』、左手に『SG-2000』。名付けて『二天一流』ってね!よく考えたら手は二つあるし、どっちかじゃなくてもいいんじゃないかなって」


そのあまりに脳筋、もとい斬新な発想に、ミオが「合理的…かも」と小さく呟き、俺は「サクラらしいな」と笑った。右手で一撃必殺のロマンを、左手で安定した手数を稼ぐ。確かに、彼女の変幻自在な戦闘スタイルには合っているのかもしれない。


『宮本武蔵の二刀流、二天一流ですか。悪くないネーミングセンスです』

俺の肩の上で、プリエスが感心したように頷いた。お前、いつの間にそんな知識まで。


## 2. 沼田遺跡での小手調べ


沼田未管理遺跡の入口には、既に車が二台停まっていた。夏休みも終わり、探索者の数も落ち着いてきたと思ったが、そうでもないらしい。


「他のチームも来てるみたいだな」

「最近、他の遺跡が物騒だから、こっちに流れてきてるのかもな」


俺たちは他のチームと鉢合わせしないよう、あえて魔物や野生動物が出そうな山の手のエリアへと足を進めた。秋の気配が漂う涼しい風が、木々の間を吹き抜けていく。


期待通り、というべきか。少し開けた場所に出た途端、近くの茂みから一体のイノシシが牙を剥き出しにして姿を現した。


『ハルト、指示を』

プリエスの冷静な声が響く。だが、その必要はなかった。


誰も何も言わず、サクラが一歩前に出る。他の三人は、それを見守る。完全に信頼しきった、阿吽の呼吸だった。


突進してくるイノシシに対し、サクラはいつものように体を左に捌きながら、左手の『SG-2000』で強烈なフックを叩き込む。


**ゴッ!**


鈍い音と共に、イノシシは数メートルよろめき、そのまま地面に倒れると、二度と動かなかった。


(すげえ威力…。あれが安定して出せるのか)


野生動物を解体して売る技術は俺たちにはない。仕方なく、そのまま放置して先へ進む。


次に遭遇したのは、犬型魔物三匹の群れだった。

「ちょっと多いな」

俺が警戒するが、サクラとレオが迷わず前衛に立つ。

魔物たちは、示し合わせたようにサクラ一人に襲いかかった。だが、今の彼女には全く通用しない。左手のグローブだけで的確に攻撃を捌き、次々と撃退していく。その動きは、まるで舞うようだ。


「やっぱり、右手が使えないと少し不便だなぁ」

戦闘後、サクラはそう呟いたが、その戦いぶりは安定そのものだった。


「そうなのか?全然、問題なさそうに見えたけど」

俺が尋ねると、サクラは少し考えてから、はにかむように笑った。


「問題はないんだけどさ、少し不便っていうか。でも、昔は後ろに敵をそらしたらいけない、って思って立ち回っていたけど、今はレオとハルトとミオで大丈夫だって思えるから、すごく楽に戦えてる。その分、全体的にはだいぶ余裕ができたかな」


「おう、後ろは俺たちに任せとけ」

レオが胸を張る。訓練の成果は、技術だけでなく、こういう信頼関係にも表れているようだった。


その後も、数体の魔物や野生動物を相手にしながらも、午前中の探索は順調に進み、いくつかの情報結晶も確保できた。


## 3. 強敵、現る


午後になり、俺たちはさらに奥の地区へと足を踏み入れた。木々が鬱蒼と茂り、昼間だというのに薄暗い。


その時だった。


「…クマ」


ミオが、息を呑んで呟いた。

前方の開けた場所に、体長1.5メートルはあろうかというツキノワグマがいた。こちらを睨み、低い唸り声を上げている。その体躯から放たれる圧は、そこらの魔物とは比較にならない。


『逃げる?』

プリエス経由で、全員の思考が交錯する。


『ううん、ちょっと試してみたい』

サクラの思考は、恐怖よりも好奇心に満ちていた。まったく、戦闘狂なんだから。


『あまり無茶はするなよ』

レオが盾を構えながら、サクラに警告する。その声には、心配の色が滲んでいた。


クマが、地を蹴って突進してきた。見た目に反して、その動きは驚くほど速い。

サッとサクラは右にかわし、クマがそれに反応して飛びかかる。そこへさらに踏み込みながら、サクラが叫んだ。


「山彦!」


サクラの右拳が、クマの分厚い脂肪に覆われた腹に突き刺さる。だが、クマの勢いは止まらない。振り下ろされた鋭い爪が、サクラの左肩を浅く切り裂いた。


「サクラ!」

俺が叫ぶより早く、レオが盾を構えてクマに体当たりし、その注意を自分に引きつけた。


「ごめん!大丈夫!」

サクラは叫び返すと、体勢を立て直し、再びクマと対峙する。その瞳は、少しも怯んでいない。


ミオが、この時のために密かに練習していた魔法を行使した。

『野生動物は、精神構造が不明で干渉しにくい。でも、聴覚のような特定の感覚器官にだけ、干渉することはできるはず…!』

ミオの思考と共に、クマが一瞬、耳を気にするように頭を振った。ほんの一瞬の、しかし致命的な隙。


その隙を、レオは見逃さなかった。

『今だ、サクラ!』

レオがサクラの反対側からクマに突進し、盾で体当たりする。クマは大きくよろめき、バランスを崩した。


サクラが、再び右の拳を固く握りしめた。

『「山彦」は、単なる衝撃増幅じゃない。叩き込んだ衝撃が、相手の内部で反響し、時間差で破壊の波を発生させる。だから、狙うは一点…心臓!』


「山彦ォッ!!」


渾身の右アッパーが、再びクマの胸、心臓の下からえぐりこむように突き刺さる。


**ドッ……ゴォォンッ!!!**


一瞬遅れて、内側から弾けるような轟音が響き渡った。クマの巨体が、まるで風船のように宙に浮き、そして、内側から何かが破裂したかのように大きく体を震わせると、ゆっくりと崩れ落ち、動かなくなった。


## 4. 夢への一歩


「…やった」

肩で息をしながら、サクラが呟く。その顔には、疲労と、それ以上の達成感が浮かんでいた。


「すげーな…」「無茶しすぎ…」

俺とレオが駆け寄ると、サクラは肩の傷を押さえながらも、悪戯っぽく笑った。

「防具のおかげで大したことないよ。それより…」


彼女は倒れたクマを見下ろし、満足そうに拳を握りしめた。


「武闘家の夢が、一つ叶っちゃった」


その姿は、戦いの余韻もあってか、やけに輝いて見えた。俺たちのチームの切り札は、とんでもない可能性を秘めている。その事実が、俺の胸を熱くした。

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