第17話 交渉の切り札
## 1. 重苦しい作戦会議
親方からの警告を受けた翌日。八月も終わりに近づいているというのに、アスファルトからの照り返しが容赦なく体力を奪っていく。じりじりと蝉が鳴く声が、まるで俺たちの不安を煽っているかのようだ。
俺たちは、そんな外の暑さから逃れるように、レオの工房の奥にある小部屋に集まっていた。ひんやりとした空気の中に、機械油と金属の匂いが混じっている。壁一面の工具と、分解された機械部品が並ぶこの部屋は、レオの城であり、今の俺たちにとっては最も安全な作戦司令室だった。
テーブルの上には、それぞれが持ち寄ったコンビニのジュースが並び、結露した水滴がテーブルに小さな水たまりを作っている。しかし、誰もそれに口をつけようとはしなかった。重苦しい沈黙が部屋を支配している。
「……で、これからどうする?」
レオがその沈黙を破った。工具をいじる手を止め、真剣な眼差しで俺たちを見ている。その問いに、誰もすぐには答えられない。
(親方の言葉が頭から離れない。俺たちのやってることって、そんなにヤバいのか? 政府の中に、俺たちを“処理”しようとする奴らがいるなんて…)
俺は意を決して、おそるおそる切り出した。
「俺は……親方の話を聞いて、正直、少し活動を自粛した方がいいんじゃないかと思ってる。相手が何者か分かるまで、下手に動くのは危険すぎる」
「自粛って、探索に行かないってこと?」
サクラがペットボトルのラベルを指でいじりながら、不満そうに口を尖らせた。
「でも、お金稼がないと生活できないじゃん! 私、新しいグローブのローンだってまだ残ってるんだよ?」
その声には、不安と焦りが滲んでいる。
「サクラの言う通りだ」レオも頷く。「それに、親方も『やめろ』とは言わなかった。『気をつけろ』って言っただけだ。やり方次第で、続けられるんじゃないか?」
二人の意見に、俺も少し心が揺れる。本当は、俺だって続けたいのだ。この仲間たちとの冒険を、ここで終わらせたくない。
『ハルト、皆さんの意見も一理あります。活動を完全に停止すれば、経済的な問題だけでなく、チームの士気低下にも繋がります』
プリエスが俺の頭の中で、冷静に状況を分析する。
## 2. これからの道筋
「じゃあ、こうしよう」
議論の行方を見守っていたミオが、静かに、しかし的確な提案をする。
「稼ぎの主力は、今まで通り、慣れている沼田みたいな未管理遺跡を中心にする。下手に新しい場所に手を出すより、勝手知ったる場所の方が安全だから。それに、私たちの装備も技術も、前よりは上がってるはず」
その現実的な落としどころに、俺たちは顔を見合わせた。
「そうだな。それが一番安全かもしれない」
俺が同意すると、サクラも「うん、それなら私も賛成!」と少し表情を和らげた。
当面の活動方針が「慣れた未管理遺跡で、安全第一で稼ぐ」と決まり、部屋の空気は少しだけ和らいだ。これでまた明日から探索を続けられる。そう思った、その時だった。
「でも、」
ミオが、まだ話は終わっていない、とでも言うように続けた。
「それだけじゃ、根本的な解決にはならないと思う」
「どういうことだ?」レオが聞き返す。
「稼ぐことは大事。でも、親方が警告してくれた『管理室』のことは、ずっと頭の隅にある。このまま何も知らずに活動を続けるのは、時限爆弾を抱えて歩いているようなもの。いつか必ず、私たちは見つかる」
ミオの言葉に、和みかけた空気が再び張り詰める。そうだ、これは先延ばしにしているだけなんだ。
「確かに……。敵がどんな奴らか、何が目的なのか、少しでも分かれば対策の立てようもあるんだがな」
レオが唸るように呟いた。
「親方は、もうあれ以上は話してくれなさそうだった」俺が付け加える。あの時の親方の目は、本気だった。
「じゃあ、」
サクラがゴクリと唾を飲み込んだ。
「自分たちで、調べるしかないってこと?」
その通りだった。俺たちは、自分たちの手で情報を集めるしかないのだ。
では、どうやって? 図書館やネットでの調査には限界がある。最も効率的なのは、やはり専門家に聞くことだ。
「桜井博士……」
俺がその名前を口にすると、皆の視線が集まった。
## 3. 交渉の切り札
「博士に話を聞きに行きたい。あの人なら、何か知っているかもしれない」
俺は続けた。しかし、そこには大きな問題があった。
「でも、どうやって聞く? ただ質問すれば、『なぜ君たちがそんなことを知っているんだ?』と、こっちの事情……特にプリエスのことを根掘り葉掘り聞かれたらまずい。どうやって、探られずに、うまく話を聞き出すか……」
これこそが、今の俺たちの最大の懸念だった。下手に動けば、虎の尾を踏むどころか、龍の逆鱗に触れるかもしれない。
「うーん……」サクラが腕を組んで唸る。「普通にお願いしてみたら?『親方にちょっと怖い話を聞いて、不安になっちゃったので、何か知っていたら教えてください』って。博士、悪い人じゃなさそうだったし」
「ダメ」
ミオが即座に、しかし静かにその案を否定した。
「博士は鋭い研究者。ただの質問は、すぐに尋問に変わる。『君たちは一体何を知っているんだ? なぜそんなことを気にする?』と、私たちの背景を探る絶好の機会を、彼が見逃すはずがない」
ミオの冷静な分析に、サクラが「そっかぁ…」と肩を落とす。
またしても議論が行き詰まりかけた、その時だった。
「要は、こっちが質問される側じゃなくて、する側に立てばいいんだ」
壁に寄りかかっていたレオが、ぼそりと言った。「会話の主導権を握るってことだ」
「主導権?」俺は聞き返した。
「ああ。ただの『教えを乞う若者』じゃなくて、『価値ある情報を提供する対等なパートナー』として行けば、立場は変わるはずだ」
その言葉に、俺の中で何かが閃いた。脳裏に、あの手術室の光景が蘇る。
「情報提供……そうか! あの病院のデータがある!」
俺は興奮気味に身を乗り出した。
「あの時、俺たちは博士に『医師の霊が魔物化した』と口頭で報告した。でも、プリエスが記録した詳細な生データ……情報エネルギーがどう変質していったかのログは渡していない。博士は、まさか俺たちがそんな精密な記録を持っているとは思っていないはずだ!」
『その通りです』
俺の肩の上で、プリエスが自信ありげにホログラムの姿を現した。その目がキラリと光る。
『口頭での現象報告と、変質プロセスをナノ秒単位で記録した生データとでは、学術的価値が天と地ほど違います。このデータは、博士の研究を数年分は進展させる、まさに彼が夢見るような情報です』
部屋の空気が、一気に熱を帯びた。絶望的な状況に差し込んだ、一筋の光明。
「それだ!」「最高の取引材料(カード)じゃないか!」
レオとサクラが、同時に声を上げた。
ミオが、冷静な表情のまま、しかしその目には確かな光を宿して作戦をまとめる。
「まず、『足利総合病院の件で、追加の重要データが見つかりました』と博士にアポイントを取る。そしてデータを提供し、博士に大きな貸しを作る」
彼女は指を一本立てて、続けた。
「博士が感謝して、こちらに好意的な雰囲気になったところで、切り出すの。『実は、このデータを解析する中で、少し気になる点がありまして……』と。あくまで『研究に関する相談』という自然な形で、本題である『失われた技術』について質問する」
完璧な作戦だった。これなら、博士に恩を売ることで、こちらの秘密を探られるリスクを最小限に抑えつつ、相手から情報を引き出せる可能性が高い。
「よし、それで行こう! これなら対等に話せる!」
俺が力強く宣言すると、全員が固く頷いた。
「博士をうまく誘導できるかな……」サクラが少し不安そうに呟く。
「そこは、ミオのポーカーフェイスに期待だな」レオがニヤリと笑った。
ミオは「任せて」と小さく頷いた。その瞳には、確かな自信が宿っている。
作戦が決まり、ただ不安に揺れるだけだった俺たちの心に、確かな羅針盤が据えられた。俺たちのささやかな日常を守るための、大きな一歩が、今踏み出されようとしていた。
「よーし、まずは博士にメールだな! 俺、文章考えるの苦手だから誰か頼む!」
俺がそう言うと、工房に久しぶりに明るい笑い声が響いた。
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