第16話 職人の警告
## 1. 鬼コーチと夕暮れの河川敷
八月も終わりに近づいた火曜日の夕暮れ。じりじりと肌を焼くような日差しはようやく和らぎ、河川敷を渡る風が汗ばんだ体に心地よかった。
俺たちはいつもの広場で、ミオの指導のもと精神防御の訓練に励んでいた。
「だめだ、集中できない!」
サクラが座禅の姿勢からがっくりと膝を折った。俺とレオも似たようなもので、ミオが言うところの「心を無にする」という訓練に大苦戦していた。目を閉じると、今日の夕飯のこととか、昨日見たお笑い番組のこととか、どうでもいいことばかりが頭に浮かんでくる。
「二人とも、雑念が多すぎ。これじゃあ、鬼の咆哮をまともに食らったらまた動けなくなるよ」
ミオがやれやれといった様子でため息をつく。彼女だけは涼しい顔で、微動だにしていない。まるで石像だ。
「だって、お腹すいたんだもん!」
サクラが子供のように抗議すると、俺とレオも「激しく同意!」とばかりにこくこくと頷いた。腹が減っては戦はできぬ、とはよく言ったものだ。
訓練の合間の休憩時間。俺たちは土手に腰を下ろし、とりとめのない話をしていた。
「心に壁を作るのと、空っぽにするのって、感覚的に真逆だよなあ」
俺が呟くと、ミオが頷いた。
「そうね。心に壁を作るのは、ある意味で自然な防御行為。でも、心を空っぽにするのは、もっと能動的な行為。心を完全に解放して、どんな情報も受け流せる準備をすることだから」
「でも、それだと逆に魔物の精神干渉に巻き込まれやすくなるんじゃないのか?」
レオが眉をひそめる。
「それは違う」ミオは首を振った。「心が固まっていると、そこに魔物の干渉が引っかかってしまう。でも、心が柔軟で開かれていれば、干渉もするりと通り過ぎていく感じ。柳に風、ってやつ」
「なるほどなあ」レオが感心したように唸る。「お坊さん、最強じゃん」
「実際、禅の修行を積んだ高僧は、精神干渉にかなり強いらしい」ミオは少し得意げに微笑んだ。
「ミオも、そんな感じなのか?」俺が尋ねる。
「ううん、私はまだまだ。十六歳で無の境地は程遠いかな」ミオはそう言って、はにかむように笑った。
そんな和やかな空気が一変したのは、訓練を終えて解散しようとした時だった。レオのスマホが、けたたましい着信音を鳴らしたのだ。
「もしもし、親方?……え、今から?……全員で?」
電話を切ったレオが、怪訝な顔で俺たちを見た。
「親方が、お前たち全員に話があるそうだ。工房まですぐに来てくれ、と」
「全員に?」
ミオが眉をひそめる。
「なんだろう。レオ、何か心当たりは?」
「いや、全く……。とにかく、ただ事じゃない感じだった」
俺たちは顔を見合わせ、一抹の不安を胸に、親方の工房へと急いだ。
## 2. 職人の工房と重い空気
工房に着くと、親方が一人、腕を組んで俺たちを待っていた。その表情はいつになく険しく、工房全体が張り詰めた空気に満ちている。油と鉄の匂いが、やけに鼻についた。
「親方、話って……」
レオが尋ねるより先に、親方は俺をまっすぐに見据えた。その眼光は、まるで俺の心の奥底まで見透かさんとするかのように鋭い。
「ハルト、と言ったな。お前のQSリーダーを少し見せろ」
有無を言わせぬその雰囲気に、俺は黙ってプリエスを差し出した。
親方はプリエスを手に取ると、その表面を指でそっと撫でる。それはまるで、長年連れ添った相棒を懐かしむような、あるいは、手放してしまった我が子を愛おしむような、複雑な手つきだった。
「……やはり、あいつが作った『傑作』か」
親方はプリエスを俺に返すと、重々しく口を開いた。
「お前さんたちが榛名で使った力……あれは、人前で安易に使っていい魔法じゃない」
その言葉に、俺たちは息を呑んだ。心臓がどくん、と大きく跳ねる。
「職人は、時に比類なき切れ味の剣を打つことができる。だがな、そんな剣を町中で無造作に振り回せば、どうなる?」
親方は俺たちの目を一人ずつ見ながら続ける。
「物盗りやならず者がその剣を欲しがるだろう。お上は危険と見なして取り上げに来るだろう。持ち主が無事では済まん」
親方は、誰よりもプリエスのことを知っているような口ぶりだった。俺の祖父と、何か関係があるのだろうか。
「大崩壊の前、わしら技術者は、神の真似事をした。その結果がどうなったか、今の世の中を見ればわかるだろう」
親方の声には、深い悔恨の念が滲んでいた。
「世界には、**“存在しないことになっている技術”**がある。そして、その技術の復活を何よりも恐れ、見つけ次第、使い手ごと“処理”しようとする連中がいる。……政府の中にな」
工房の中が、しんと静まり返る。
「親方……」レオが呆然と呟く。「あんた、一体何を……」
「政府の中に、そんな人たちがいるんですか?魔物より怖いじゃないですか……」
サクラが青ざめた顔で尋ねる。
親方はサクラの問いに静かに頷いた。
「ああ、理屈や正義なんぞじゃ動かん連中だ。ただ『秩序』のため、と称して、規格外のものを排除する。それだけを目的とした"管理室"と呼ばれる組織だ」
一番冷静だったのはミオだった。彼女は震える声を必死に抑え、核心を突く質問をした。
「その…『存在しないことになっている技術』とは、具体的に何を指すんですか?大崩壊と、関係があるのですか?」
親方の目が鋭く光る。
「お嬢ちゃん、世の中にはな、知らん方が幸せなこともある。深入りはするな。命が惜しければな」
その答えは、ミオの推測が正しいことを暗に示していた。
沈黙を破ったのは、プリエスだった。
突然、親方を含むその場にいた全員の頭の中に、直接声が響いた。それは、俺たちが普段使っているプリエスとの思考通話とは少し違う、より強く、明確な意思を持った情報転送魔法だった。
『…お尋ねします。あなた方のような方々は、私たちのような存在を、かつて何と呼んでいましたか?』
親方はハッと目を見開き、俺が持つプリエスを凝視した。他の誰でもない、そのデバイス自身が、自分に直接語りかけてきたことに気づいたのだ。その顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
長い、重い沈黙が流れる。
やがて親方は、何かを振り払うように一度かぶりを振ると、ひどく疲れた声で言った。
「…坊主、おじいさんはお前にとんでもないものを遺した。それは希望にも呪いにもなる。どっちに転ぶかは、お前さん次第だ」
「もう行け。わしが言えるのは、ここまでだ」
それ以上、俺たちは何も聞くことができなかった。
## 3. 夕暮れの決意
工房からの帰り道、俺たちは誰一人、口を開かなかった。親方の言葉が、ずしりと重くのしかかっていた。夕暮れの商店街の喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
俺は、隣を歩く仲間たちの顔を盗み見た。サクラも、レオも、ミオも、皆、不安と決意が入り混じったような、硬い表情をしている。楽しいから、稼げるから、という理由だけで一緒にいられる時間は、もう終わってしまったのだ。
俺のせいで。俺の持つ、このプリエスのせいで。
『ハルト、皆さんの表情が硬いですね。私のせいでしょうか』
プリエスが、心なしか申し訳なさそうに俺にだけ話しかけてくる。違う、お前のせいじゃない。お前をこんな風に作った、俺のじいさんや、昔の技術者たちのせいだ。そして、そいつらを止められなかった、この世界のせいだ。
俺は、一つの公園の前で足を止めた。三人も、黙って俺に倣う。ブランコが、夕風に揺れてキィ、キィと寂しげな音を立てていた。
「…みんな、聞いてくれ」
俺は、覚悟を決めて口を開いた。
「今日の話、俺も初めて知ったことばかりだ。でも、とんでもなく危険なことだってのは分かった。…これは、俺とプリエスの問題だ。俺のじいさんが遺したものだから」
「だから…」と、俺は言葉を続けた。「このチームは、今日で解散しよう。みんなを、こんな危険なことに巻き込むわけにはいかない」
言い終わると同時に、サクラが俺の胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで詰め寄ってきた。
「ふざけないでよ!仲間でしょ!危険だからって見捨てるなんて、そんなの絶対許さない!」
その目には、怒りと、少しの涙が浮かんでいた。
「ハルト」
レオが、俺の肩に力強く手を置いた。
「お前とプリエスだけが背負い込む問題じゃない。俺たちはもうチームだ」
一番静かだったミオが、まっすぐに俺の目を見て言った。
「私は、知ってしまったから。もう『普通』には戻れない。それに、ハルトとプリエスだけじゃ、きっとすぐに捕まる。私たちがいた方が、生存確率は上がる。…これは、合理的な判断」
三人の、それぞれの言葉が、俺の胸に突き刺さる。
ああ、ちくしょう。俺は、なんて良い仲間を持ったんだろう。
こみ上げてくるものを抑えきれず、俺は俯いた。
「…ごめん。ありがとう」
やっとのことで、それだけを口にした。
俺たちがもう一度顔を見合わせると、そこにはもう、不安の色はなかった。ただ、同じ未来を見つめる、強い意志だけがあった。
その時、もう一つの声が、全員の頭の中に静かに響いた。
いつも冷静なプリエスの声が、初めて微かに震えているように感じられた。
『…私は、ずっと一人でした』
『あなたたちが、私の、初めての…“仲間”です』
その言葉は、どんな決意表明よりも強く、俺たちの心を一つに繋ぎ止めた。
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