第9話 商売人の投資
## 1. 週末のルーティンと新たな提案
七月も半ばを過ぎた日曜の夕暮れ。じっとりとした熱気がアスファルトから立ち上り、俺たちの体力を容赦なく奪っていく。それでも、今日の探索でずっしりと重くなったバッグを肩にかけると、自然と笑みがこぼれた。
「今日も結構いい感じだったよね!」
サクラが額の汗を腕で拭いながら、満足げに声を上げた。確かに、沼田の未管理遺跡も三回目となれば、だいぶ勝手がわかってくる。おかげで今日も大きなサーバールームを発見できた。これは高値が期待できそうだ。
「ああ。今回もサーバールームを見つけられたのは大きいな」
レオが情報結晶の詰まった袋を大事そうに持ち直しながら、誇らしげに頷く。
「でも、田中商会に直接持っていく前に……」
俺はすっかり恒例となった動作でスマホを取り出し、タクマに短いメッセージを送った。チームの参謀兼経理担当といったところか。いや、俺たちの生命線そのものかもしれない。
『よう、タクマ。今から会えるか? 今日のブツ、見てほしいんだけど』
返信はすぐに来た。さすが仕事が早い。
『OK! 店にいるからいつでもどうぞ』
## 2. 専属鑑定士の鋭い眼差し
田中商会の裏手にあるタクマの私室は、いつ来ても雑然としているようで、どこか機能的な空気が漂っている。彼は部屋の奥にある作業台で、山積みの帳簿と格闘していた。俺たちの気配に気づくと、ペンを置いて顔を上げる。
「お、来たね。今日の首尾はどうだった?」
「まあまあ、ってとこかな。これ、見てくれるか? 高く売れそうなやつがあれば、いつもの通りお願いしたいんだ」
俺がテーブルの上に今日の収穫である情報結晶を並べ始めると、タクマは椅子から立ち上がり、まるで宝石鑑定士のような鋭い目つきで一つ一つを手に取っていく。
「ふーん……製造業の品質管理データか。これはいいね、安定した需要がある。あと、こっちの古い設計図データもマニアが喜ぶやつだ」
タクマは指を小刻みに動かしながら、頭の中で高速で計算を始める。いつもの癖だ。その指の動きが、俺たちの稼ぎを具体的な数字へと変えていく。
「これとこれと……あと、このあたりかな。この辺の選りすぐりだけなら、合わせて12万円くらいで買い取れる」
「おお、マジか! じゃあ残りは……」
俺が売れ残り――と言ってはなんだが――の結晶を袋に戻そうとすると、タクマが「待った」と手を上げてそれを制した。
「待ってくれ、ハルト。一つ、提案があるんだ」
## 3. 商売人タクマのまとめ買い戦略
タクマの表情から、いつもの商売人スマイルがすっと消えた。真剣な眼差しが、俺たち一人一人を順番に射抜いていく。
「この際だ、ここに並べた結晶、全部まとめて俺に買い取らせてもらえないかな。値段は、そうだな……全部で30万円。どうだ?」
「えっ、全部で30万!?」
サクラが素っ頓狂な声を上げる。俺も驚きを隠せない。確かに量は多いが、品質は玉石混淆のはずだ。中にはほとんど価値のないデータだって混じっている。
『ハルト、これは非常に有利な条件です。市場価格で言えば、20万円程度が妥当なラインでしょう』
俺の肩の上、半透明のプリエスがそっと耳打ちしてくる。彼女の分析は常に的確だ。
『だよな。でも、なんでタクマはこんな無茶な条件を……?』
俺の疑問に答えるかのように、タクマが口を開いた。
「最近さ、ようやく俺の商売も軌道に乗ってきて、ツテも増えてきたんだ。地元の研究者とか、労働組合の偉いさんとかさ。そういう人たちは、特定の情報だけじゃなく、関連するデータをまとめて欲しがることが多いんだよ」
タクマは続ける。
「君たちからこうしてコンスタントに仕入れられるなら、多少のリスクを負ってでも在庫を抱える価値がある。そうすれば、納期が厳しい顧客の要望にも応えられるし、結果的に俺の売れる範囲も広がるってわけさ」
俺たちは思わず顔を見合わせた。田中商会の親父さんに直接持っていけば、プリエスの言う通り、おそらく20万円程度だろう。1.5倍の価格は、正直言って破格だ。
「いいのか? そんなに出して。お前にとってリスクがでかいんじゃないか?」
レオが心配そうに、しかし技術者らしい的確な指摘をする。
「大丈夫だって。最近は順調だから、手持ちの資金にも少し余裕があるんだ。それに……」タクマはそこで一度言葉を切り、ニヤリと笑った。「これは、君たちへの投資でもあるからな」
その言葉に、俺たちの心は決まった。
「わかった。じゃあ、お願いするよ」
俺が代表してそう答えると、タクマは「毎度あり!」と嬉しそうに頷いた。
## 4. 未来への投資としての「融資」
タクマから分厚い札束を受け取り、ほくほく顔で部屋を出ようとした俺たちを、彼の声が呼び止めた。
「あ、ちょっと待ってくれ。レオとハルト、もう少し話があるんだ」
「俺たち?」
俺とレオは顔を見合わせ、振り返る。
「実はもう一つ、提案があってさ」
タクマは少し改まった口調で、本題を切り出した。
「融資に興味はないか?」
「融資?」聞き慣れない言葉に、俺は首を傾げる。
「そう。簡単に言えば、俺がハルトたちに元手となる金を貸すってことだ。まとまった金があれば、もっと良い装備が買えるだろ? 探索に持っていく消耗品にも余裕ができる。つまり、金で安全と効率を買うってことさ」
「確かに、まとまった金があれば……」
レオが呟く。彼の頭の中では、きっと最新の工具や高価なパーツがリストアップされているに違いない。
「今、俺が融資できるのは50万円。返済は……そうだな、ややこしい利息はなしだ。その代わり、返済が終わるまで、君たちが見つけた結晶を市価の9割で俺に優先的に買い取らせてもらう。その差額分を返済に充てるって形はどうだ?」
タクマはまた指を動かしながら、具体的な返済プランを提示する。
「例えば、今日みたいに30万円分の結晶なら、俺は27万円で買い取る。差額の3万円が返済に充てられるわけだ。50万円の融資なら、単純計算で約17回で返済が終わる。月に5回探索に出れば、3~4ヶ月もあれば返せる計算だ。まあ、どんなに遅くとも半年以内には終わるだろう。返済期限は……甘めに見て10年ってとこかな」
『ハルト、この提案は破格です。金融機関であれば、まずあり得ない条件ですよ』
プリエスが俺の肩の上で、楽しそうに足をぶらぶらさせながら言う。
まだ完全に理解しきれていない俺は、一番の疑問を口にした。
「それって、タクマに何かメリットはあるのか?」
「もちろんさ。君たちからの安定供給が確保できれば、俺はもっと大きな商売ができる。顧客との約束も守れるし、信用も上がる。信用ってのは、商売じゃ一番大事なもんだからな。そして何より、これは俺から君たちへの投資なんだ。君たちが成功すれば、俺も成功する。だから、俺は本気で君たちに成功してほしいんだよ」
## 5. チームの決断
「……少し、相談する時間をくれるか?」
「もちろん。しっかり考えて決めてくれ。返事は今日じゃなくてもいい」
タクマはそう言うと、「お茶でも持ってくるよ。そこのソファー、自由に使ってくれ」と気を利かせて部屋を出て行った。
残された俺たち四人は、店の隅にある古びた革張りのソファーに向かい合って座った。
「どう思う?」
俺が口火を切る。
「うーん……確かに魅力的だけど、本当に返せるのかな?」
サクラが一番現実的な不安を口にする。
「まあ、月に5回くらいは探索できるだろう。毎回30万円稼げるかはわからんが……仮に20万円だとしても、差額は2万円。25回で返せる計算になる。その場合は5ヶ月くらいか」
レオが冷静に計算する。
「でも、もし誰かが怪我をしたりして、探索できなくなったら?」
ミオが常に最悪のケースを想定する、彼女らしい視点を持ち出す。
「まあ、そうなると厳しいな。その場合は、バイトでもして地道に返すしかない。利息がないだけマシだ。10年もあれば、いつかは返せるだろう」
俺は天井を仰ぎながら考え込む。
「じゃあ、問題は、そのお金を何に使うか、だよね」
サクラが言う。その通りだ。金はただ持っているだけでは意味がない。
俺たちが具体的な予算配分について白熱した議論を始めたところで、お盆を持ったタクマが戻ってきた。彼は俺たちの前に冷たい麦茶を置くと、「ごゆっくり」とだけ言って、俺たちの議論に水を差さないように奥の作業台へと戻っていった。その背中が、やけに頼もしく見えた。
## 6. 契約成立、そして未来への一歩
「タクマ、その話、乗らせてくれ」
長い議論の末、俺はチームの代表として結論を伝えた。タクマは「待ってたぜ」と言わんばかりの笑顔で、力強く頷いた。
「ありがとう! そう言ってくれると信じてた。じゃあ、簡単なもんだけど、契約書を作ろう」
タクマは手慣れた様子でタブレットを操作し、契約書の雛形を呼び出す。
「あ、そうだ。形式上、誰か一人に代表して契約者になってもらいたいんだが」
「ハルトで。リーダーだから」
ミオが間髪入れずに俺を指名する。おい、こういう時だけリーダーを押し付けるなよ。
「う……そうだな。わかった、俺が代表になる」
「おっけー」
タクマが頷き、俺の名前を契約書に入力していく。
> **融資契約書**
>
> **契約日:** 2120年7月XX日
> **借主:** キタバヤシ ハルト
> **貸主:** 田中 タクマ
> **融資額:** 500,000円
> **返済方法:** 現金もしくは情報結晶の優先買い取り(市場価格の90%で買い取り、差額を返済に充当)
> **返済期限:** 10年
> **利息:** なし
「これでいいか?」
「ああ、問題ない」
俺とタクマが、それぞれのサインを電子パッドに書き込む。契約は成立した。
「はい、これが50万円」
タクマが店の金庫から持ってきた現金の束を、ずしりと俺の手に渡した。本物の現金が持つ重みに、俺はゴクリと唾を飲んだ。
『本来であれば、このような契約には担保や連帯保証人が必須です。ですが、タクマさんは意図的にそれを不要にしているのでしょう。これは、彼なりのハルトたちへの信頼の証であり、期待の表れだと思います』
プリエスが肩の上で微笑む。
『そうか……。だとしたら、俺たちも半端な気持ちじゃいられないな』
## 7. 夢の使い道と、リーダーの重責
結局、50万円の使い道はすぐには決めきれず、「各人に10万円ずつを装備更新費用として分配し、残りの10万円はチームの共有資金とする」という形で落ち着いた。もちろん、共有資金の管理は、名ばかりリーダーである俺の役目だ。責任重大すぎて、胃が痛くなってきた。
それぞれの頭の中に、新しい装備や試してみたい消耗品のリストが浮かんでいるのだろう。俺たちは、期待と少しの不安を胸に、田中商会を後にした。
## 8. 投資家の本音
数日後、俺は一人で改めてタクマの元を訪れた。
「この間は本当にありがとうな。助かったよ」
「いいってことよ。こっちも商売だからな」
タクマはいつものように笑う。だが、その目の下には、うっすらと隈ができていた。
「大丈夫か? 無理してないか?」
「ん? ああ……実は最近、夜に倉庫の仕分けバイトも始めてさ。少しでも元手を増やしておきたくてな」
そう言って見せてくれた彼の手には、いくつかの擦り傷やマメができていた。
「商売ってのは、結局、元手がないと何も始まらないからね」
「そうか……」
「でも、不思議と辛くはないよ。君たちが頑張ってるのを見てると、俺ももっと頑張ろうって思えるんだ」
タクマが、少し照れくさそうに本音を漏らす。
「それって、やっぱり投資ってやつか?」
俺が尋ねると、タクマは少し考えてから、ゆっくりと首を横に振った。
「投資……まあ、そうかもしれない。でも、それ以上に、俺は君たちと対等な商売仲間としての信頼関係を築きたいんだ」
「仲間、か」
「そうさ。君たちが成功すれば、俺も儲かる。俺が儲かれば、君たちをもっとバックアップできる。一緒に成長していければ、最高じゃないか」
タクマの真っ直ぐな言葉が、俺の胸に熱く響いた。
「ああ、そうだな。一緒に成長していこうぜ。仲間として」
俺はタクマの差し出した手を、力強く握り返した。外はもうすっかり暗くなっていたが、俺たちの未来は、今、確かに明るく照らされた気がした。
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