第7話 月と年下男子

「今日もダメかな」


そこから高瀬たかせと話す機会はなかなか訪れなかった。

アパートで会うこともなかったし、カフェでもいつも忙しそうで、注文のやり取りくらいしか話せない。

それでもまいは高瀬が爽やかな笑顔で働いている姿を見るだけで、仕事の疲れは吹き飛ぶので満足だ。

本格的に寒くなってきて、温かいコーヒーが体に沁みる。

窓の外に映る人たちはコートをまとい、足早に歩いている。

その中に見知った顔を見つけた。

こちらが目を逸らす前にバチっと目が合ってしまった。


(ゲ…)

思わず心の中でつぶやいた。


「よー!永野」

予想通り佐久間さくまは店の中にやってきて、舞の前に座った。

このカフェは仕事終わりのご褒美で、絶対知り合いには会いたくなかった。

そんな舞の気持ちにも気づかず、佐久間はいつものように話してくる。

せめて高瀬が注文を聞きに来ませんようにと祈ったが、その気持ちも届くことはなかった。


「ご注文お伺いします」


高瀬が変わらぬ綺麗な笑顔で佐久間に声をかける。

「えーっと、ホットで」

「ミルクはどうなさいますか?」

「なしで」

「はい、かしこまりました。では失礼いたします」

高瀬が佐久間に笑いかけ、舞の方にもニコッと笑った。

その笑顔は知り合いに向ける笑顔のようで、少し心が舞い上がってしまう。

「あの店員さん綺麗な顔してんな」

高瀬が去った方を見て、佐久間は感心するように言った。

「本当にね」

「仕事終わりにカフェ行ってるって言ってたけど、ここなのか?」

「そうだよ」

知られたくなかったのにと少し冷たい声になるが、全く気づいていないのか、俺も今後通おうかなとか恐ろしいことを言ってくる。

「コーヒーも上手いな」

「本当に美味しいよね。仕事頑張ったご褒美にしてる」

美味しいコーヒーは饒舌にしてしまうようで、ついペラペラと話してしまう。

佐久間に知られたのは残念だが、この美味しさをわかってくれる人が増えたのは嬉しい気がする。

その後もいつも通りにふざけたり、仕事の愚痴をこぼして解散となった。

時々高瀬が見ていないかなと気になったが、忙しそうに働いていてこちらを見ている様子はない。

彼女でもないのに他の男といるところ見られたくないとか思い上がりにも程がある。

舞はいつものようにコンビニに寄ると、寒くなった夜の街を歩いた。


お風呂に入り、動画を見ながらリラックスする。

間接照明をつけてアロマを焚くと、何となく丁寧な生活をしている気がして満たされる。

そろそろ寝ようかと窓の鍵が閉まっているか確認すると、窓の外に三日月が見える。

最近は冬になって空気も澄んでいるからか、星や月がとても綺麗だ。

昔は遊ぶのに忙しくて空を見上げることもあまりなく、月や星を綺麗なんて思う機会がなかった。

でも近頃は歳のせいか目に入るようになってきた。


カラカラ…


分厚いカーディガンを羽織ると、ベランダに出てみる。


「綺麗」


小さく呟く。


「本当に」


返事が来たことに驚いて隣を見ると、高瀬が立っていた。


「こんばんは」

高瀬はそういって、持っていたマグカップを軽く上げて微笑んだ。

「こんばんは」

「月、綺麗ですよね」

「えぇ」


「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることも なしと思へば」


「え?」

「藤原道長の歌、知ってますか?」

「確か…この世で自分の思うようにならないことはなくて、満月のように欠けたところがない、すべてが揃ってるみたいな意味でしたっけ?日本史か国語かで習ったの覚えてます」

「月見るたびにこの歌を思い出すんですよね。自分には一生そんな風に思えることはないなって」

高瀬のコーヒーを飲む音が聞こえる。

「こう見えて古文とか好きなんですよ」と静かさを誤魔化すように高瀬が笑った。


「…高3で父が死んで、なんとか卒業は出来たけど、弟や妹がいるから大学なんてもってのほかで、頑張ってバイトとかして家計を支えたりしてたんですけどね。母が俺に父親のような役割を求めてきて…逃げ出しました」


月に照らされた高瀬の横顔が儚げで、今にも消えてしまいそうに見える。


「こんな話…すいません」


「…月って本当はまん丸で太陽から照らされた角度で三日月とか満月とかになるんですよね。ずっと三日月じゃなくて、照らし方で満月になることある」


静かに風が吹いて、髪を揺らした。


「それに私は三日月も好きです」


高瀬がこちらを見て、目を細めてふっと笑った。


「すいません、なにもわかってないのに偉そうに…」

「いえいえ、そんなことないです。何だか少し気持ちが楽になりました」

「私に話して楽になるならいつでも話してください。聞くくらいしか出来ないかもしれないですけど」

「ありがとうございます」


また冷たい風が頬を通り抜けた。

「また風邪ひいちゃいますね。じゃあまた」

「また」

そういって部屋に戻ると暖かな暖房の風がふわっと舞の身体を包み込んだ。


「色々あるんだな…」


窓の外の月が見守るように優しく見ていた。

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