25日目 狂気の兆候 〜在庫の乱れ、制度の罅〜
在庫/二十五日目・朝
・水:0L(祠消滅継続)
・食:海藻 微量(摂取困難 → 藻藻藻)
・塩:結晶 微(舐めても渇き悪化)
・火:炭片ほぼ尽き(発火困難)
・記録具:ペン 使用可(震えあり)
・体調:渇き極大/筋痙攣/幻視開始/震え強
・所感:恐恐恐
朝。
帳を開き、いつものように在庫を記そうとした。
「海藻 微量」と書きかけたはずが目を瞬いた次の瞬間には「藻藻藻」と重ね書きされていた。
手が勝手に震えたのかあるいは紙そのものが歪んだのか。
文字は黒く濃く、繰り返され、私の意志とは別にそこに刻まれていた。
「……誰が書いた?」
声にすると、喉が焼け言葉はかすれた。
振り返っても誰もいない。輪の外に鳥は来ず潮の人も動かない。
帳だけが私に応答している。
観測/午前
・祠:水脈消滅継続。裂け目は乾燥、亀裂広がる
・鳥:遠方に群れ。供物の兆候なし
・潮の人:沖に静止。手を動かさず、ただこちらを見る
・影:杭の影、さらに伸びる。朝なのに夕刻の長さ
・星図:昨夜との齟齬拡大
炭をつかもうとした。
だが指先は空を掴み、灰の粉を散らすだけだった。
掌に残った黒い粉を紙に擦りつけると、そこにも「恐恐恐」と刻まれていく。
私は慌ててペンに持ち替え余白に訂正を書こうとした。
しかし訂正の文字すら、かすれ、震え、読むに堪えない線となる。
「記録が……記録が壊れていく」
制度の根幹である在庫表が自分の意思では制御できない。
私の指は制度に従おうとしているのに紙の上では制度が反乱を起こしていた。
条項補注(午前)
・在庫表に乱れ発生(食欄:藻藻藻)
・恐恐恐の文字、意図不明
・制度と記録の同一性が崩れ始めている
・記帳の主体に疑義
昼。
帳を閉じても頭の中に「藻藻藻」「恐恐恐」という音がこびりついていた。
食料はまだ繊維の屑が少し残っている。
噛み砕こうとしたが顎が震えて上手く砕けない。
それでも腹の中に押し込んだ。
咽せ返り吐きそうになりながら。
帳に「食:摂取困難」と記したはずなのに開き直すと「食:忌忌忌」に変わっていた。
「これは……制度を蝕む病か」
ペンを強く握り直し横に「※訂正」と書き加える。
だが訂正の隣にも「恐」の字が滲んだ。
私の知らぬうちに紙が増殖しているようだった。
観測/午後
・祠:沈黙。水は戻らず。裂け目は乾いたまま
・鳥:供物なし。遠方で旋回のみ
・潮の人:沈黙継続
・影:杭の影、祠を横断し輪の内側まで侵入
・星図:夜空の予測幅、修正不能
夜。
月明かりに照らされた帳を開く。
在庫欄の「食」が、もう判読不能になっていた。
「藻藻藻」「忌忌忌」「恐恐恐」……
幾重にも塗り重ねられた線が黒い塊となって蠢いている。
それはもはや文字ではなく記号ですらなかった。
私は声を出そうとした。
だが喉は乾きすぎて音が途切れた。
代わりにペン先が勝手に動いた。
〇が崩れ◎に化け、=は二重線から∥に歪んだ。
「……制度が、私の手を離れていく」
在庫/二十五日目・夜
水:0L(祠消滅継続)
食:???(藻藻藻/忌忌忌/恐恐恐)
塩:残存 微量
火:炭片消滅
記録具:ペン 使用可(自動筆記の疑い)
所感:制度の乱れ拡大。記録の主体に疑義。
私は余白に震える文字を残した。
「書くことが命。だが命が壊れれば、書くものもまた壊れる。
それでも私は……書く」
次の瞬間、ペン先が勝手に線を引いた。
強制のように、一文字だけ。
恐。
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