10日目 制度と符号 〜砂に刻まれた約束〜
在庫/十日目
・水:0.5L(残り少)
・食:海藻わずか/貝なし
・塩:ひとつまみ
・火:炭化流木少量
・体調:良好/疲労軽度
・記録具:健在
夜ごとに杭の影がずれ星の高さが狂っていく。
記録は残してきた。だが、その整合は日に日に怪しくなる。
制度を改めねばならない。
私は砂に線を引きこれまでの三つの掟を見直した。
条項の見直し
一、奪わない
力の差を計算に入れない
計算に入れれば奪うことが正義に化ける
計算しなければ破滅の帳尻は合わない
会社では成果を奪うことで昇進した者を見てきた。あれは制度ではなく腐敗だった。
二、記録する
在庫、観測、所感を残す
記録は未来の私に渡す契約書であり裏切りを防ぐ秤である
もし明日、私がここで朽ちても文字が残れば「生きた証」になる。
三、取引する
相手は人に限らず潮でも鳥でも構わない
与えと受けを対にして記すことで関係は壊れにくくなる
家族を支えていた頃も取引は日常に潜んでいた。水道代を払い食事を受け取る。それが崩れれば生活はすぐに瓦解した。
条項を書き終え私は深く息を吐いた。
「これは制度であると同時に、彼女。潮の人への手紙だ」
海際に立つ彼女は私が石に刻む文字を黙って見つめていた。
透き通るような指が砂に触れ円を描く。
〇。
模倣か、理解か。
私は見極めようとした。
だが彼女は何度も繰り返し同じ円を描いた。
その真剣さに私は一瞬「伝わっているのでは」と錯覚した。
曖昧さが不安と希望を同時に呼んだ。
新符号
私は計算を簡略化するための符号を考案した。
〇:均等。配分を誤らぬための目印
∴:取引。与えと受けを三点で結ぶ印
=:均衡。帳尻を合わせるための線
これで在庫と観測の整合を早く確かめられる。
だが符号を刻む指は、どこか「伝われ」と念じていた。
彼女に分かち合ってほしいと願いながら。
潮の人は砂にしゃがみ私の描いた=を真似た。
二度、三度。線は歪んでいたが確かに形を保っていた。
私は心の中で小さな灯を見た。
理解かただの遊びか。
答えは出ない。
観測/十日目
・杭の影:昨日より半歩ずれ。星図も同じ方向に誤差。
・潮の人:砂浜で符号を反復(〇と=)。
・鳥:海藻をついばむ群れ、波間で旋回。
鳥たちは嘴で藻を引きちぎり群れで往復していた。
その動きは単純な捕食行動のようでいて、どこか「分配」に見えた。
私は記す。
「鳥=観測対象。ただし取引相手になる可能性あり」
符号の横に ∴ を添えた。
彼らと取引できる日が来るかもしれない。
ただし在庫の海藻は不足。次の潮で補充を試みる必要あり。
帳を閉じる前に私は石に刻んだ条項と符号を見直した。
風が吹き砂が線をなぞって消そうとする。
だが彼女はまた〇を描き直していた。
制度は紙の上だけでなく砂にも息をし始めている。
そのことが僅かな救いになった。
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