11日目 鳥に奪われたペン 〜代理の記帳〜
在庫/十一日目
・水:0.6L(夜露を補充)
・食:海藻すこし/貝殻くず数個
・塩:ひとつまみ
・火:炭化流木わずか
・体調:良好
朝。
昨日の帳に「鳥=取引対象かもしれない」と書いた。なら報酬を用意せねばならない。
潮目から藻を拾い集め束ねて帳簿の余白に「報酬:海藻」と書き添える。
少しだけ心が軽くなった。…制度は続く未来へ繋がる。
だがその刹那。
影が走り、羽音が裂けた。
砂が爆ぜ、右手の重みが消える。
「……え?」
ペンがなくなっていた。
空を仰ぐと鳥が嘴に黒い影をくわえ旋回していた。
喉が焼け叫びが漏れた。
「返せ——!」
声は波に呑まれた。
追ったが翼は速い。海面すれすれに滑空し沖へ消えていく。
残されたのは白紙の帳。
昨日まで積み重ねた制度が一瞬で嘲笑われた気がした。
胸に広がったのは「飢え」よりも深刻な虚無だった。
代案を試みる。
流木を炭にし擦りつける。
だが掠れて読めず触れれば崩れる。
砂に刻んでも潮風が瞬時に攫っていく。
文字が留まらない。
帳簿は白いまま。
それは死者の墓標を見ているようだった。
「記録がない」という事実は存在の否定に等しい。
…私はここに居なかったことになる。
夜。
帳簿を胸に抱き闇の底で横たわる。
杭の影が月に食われ揺れている。
息を潜めると波音の隙間に別の気配があった。
潮の人。
砂の上に立ち、こちらを見ている。
守っているのか監視しているのか。
その眼差しは海と同じように読めない。
眠気はあるのに瞼を閉じると幻の線が浮かんだ。
等号ではない割り切れぬ印。
海の湿りと血の匂いが交じり合い心臓の拍を狂わせた。
私は願った。
「どうか……空白を残さないで」
その囁きが届いたかどうかも分からぬまま意識は闇に落ちた。
朝。
帳簿を開く。
紙は湿り乾いた跡が残っていた。
〇
=
∴
赤茶の符号。血のような色。
触れるとざらりとした感触が指に移った。
「……これは」
私の字ではない。
だが確かに帳は埋められていた。
恐怖と救い。
誰かが代わりに記帳してくれた。
潮の人の姿が遠くで揺れていた。
砂に〇を描き波がそれを消す。
彼女はまた描き直した。
帳簿は空白ではなかった。
私は震える指で紙を閉じ深呼吸した。
「奪われた」と「守られた」が同時に胸に刺さっている。
観測/十一日目
・鳥:群れで旋回、海藻をくわえる。昨日と同じ
・符号:帳簿に赤茶の跡(出所不明)
・潮の人:砂浜に〇を繰り返し描写
所感:
怒りは消えていない。
だが空白は残らなかった。
これは……取引なのか?
それとも……共存の証なのか?
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