第24話 逃避
路地裏の冷たいアスファルトの上で、俺はただ立ち尽くしていた。右には勝利を宣言し氷のような表情を浮かべる涼子。左には全てを失い魂が抜けたように虚ろな目で地面を見つめる彩香。俺が愛した二人の少女。いや、俺が愛する資格のない二人の少女。俺の弱さと身勝手さが、彼女たちをここまで傷つけ、そして醜い憎しみを抱くまでに変えてしまった。
涼子の手が俺の腕を掴んだ。「帰りましょう、和真」その声には何の感情も含まれていなかった。彼女はこの戦いに勝利した。そして、その戦利品である俺を連れ帰ろうとしている。しかし、俺の足はまるで地面に根を張ったかのように動かなかった。
俺は彩香の顔を見た。その血の気の失せた白い顔。光を失ったガラス玉のような瞳。か細く震える肩。彼女の十七年間の純粋な想いを、俺は無惨に踏みにじった。彼女のヒーローであるはずの俺が、彼女を世界で一番深い絶望の淵へと突き落としたのだ。彼女が俺に告白してくれた、いじめられていた過去。その孤独な心を救ったはずの俺が、今度は、俺自身が、彼女の心を殺した。
次に俺は涼子の顔を見た。その勝利に凍てつく美しい顔。しかし、その瞳の奥には決して癒えることのない深い傷跡が刻まれている。俺は彼女の純粋な信頼を裏切った。彼女の初めてを贖罪という醜い自己満足で汚した。彼女が得た勝利はあまりにも空虚で、そして悲しいものだった。俺が彼女に与えたのは、歪んだ形の、偽りの絆だけだった。
自分の軽率な行動が二人の人生を狂わせてしまったという罪悪感に、耐えられなかった。息ができない。この場の、全ての空気が、俺の罪を責め立てているようだった。俺がここにいてはいけない。俺という存在そのものが彼女たちを不幸にする。俺が消えなければならない。
俺は涼子の手を振り払った。そして、何も言わずに背を向けて走り出した。
「和真!」
背後で涼子の悲鳴のような声が聞こえた。彩香の息を呑む気配も感じた。しかし、俺はもう振り返ることはできなかった。
俺はただ走った。肺が焼け付くように痛い。脇腹が鋭く痛む。それでも、足を止めなかった。どこへ向かうというあてもない。ただこの息が詰まるような場所から、彼女たちのあの絶望と憎しみに満ちた視線から、逃げ出したかった。街の喧騒が耳を通り過ぎていく。ネオンの光が滲んで流れていく。俺は自分が泣いているのかどうかさえ分からなかった。
気づけば俺は駅のホームに立っていた。行き交う人々の群れ。その誰もが俺のことなど気にも留めない。俺はこの巨大な都市の孤独な一人だった。電光掲示板の行き先案内が意味のない文字の羅列にしか見えない。家族連れの笑い声が、俺の孤独を、際立たせた。
やがてけたたましい音と共に電車が滑り込んできた。どこへ行く電車なのかどうでもよかった。ただここではないどこかへ行けるのなら。開いたドアに俺は吸い込まれるように乗り込んだ。
プシューという音と共にドアが閉まる。俺と俺が壊してしまった日常とを隔てる冷たい壁。電車がゆっくりと動き出す。俺は窓の外を見た。走り去る電車の窓から見える街の景色は、俺の心を表すかのようにぼやけていた。ネオンの光が涙のように尾を引いて流れていく。窓ガラスに映る自分の顔は、生気がなく、まるで死人のようだった。
俺はもうどうしたらいいか分からなかった。ただ自分が犯した罪の重さだけを抱きしめて、暗闇の中を走り続ける電車に身を任せていた。
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