第19話 切り出せない言葉
彩香の家の前で別れた後、俺の足はまるで鉛を引きずるかのように重かった。彼女に「涼子にはちゃんと話す」とあれほど固く誓ったというのに、その決意は夜の冷たい空気の中で急速に輪郭を失っていくようだった。俺はこれから涼子を深く傷つけなければならない。彼女のあの真っ直ぐで純粋な好意を、俺自身の身勝手な都合で踏みにじらなければならないのだ。
自分のアパートに一人で帰り着き、シャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ。しかし、一睡もできなかった。目を閉じれば彩香の泣きじゃくる顔が浮かび、そして同時に涼子の曇りのない笑顔が俺の胸を締め付けた。俺は最低の男だ。二人を傷つけた俺の優柔不断さが、この最悪の事態を招いた。
夜が明けて、俺はほとんど無意識のままスマートフォンを手に取っていた。そして、涼子に「今日放課後話があるんだ。いつもの公園で待ってる」とメッセージを送る。すぐに「分かった」という短い返信が来た。その絵文字の一つもない簡潔な文面が、俺の決意を鈍らせようとした。
放課後、俺は先にあの公園へと向かった。涼子が俺に告白してくれた思い出の場所。そして俺が彩香に残酷な報告をした因縁の場所。夕日があの日のように空を赤く染めている。ブランコが風に揺れてギィと寂しげな音を立てていた。
やがて涼子がやって来た。彼女は俺の姿を見つけると小さく微笑んだが、俺の死人のような顔を見てその微笑みをすぐに消した。彼女は何かを察したのだろう、そのクールな表情が僅かにこわばったように見えた。
俺たちはあの時と同じベンチに並んで腰掛ける。重い沈黙が俺たちの間に流れた。何を言えばいい。どうやって切り出せばいい。言葉が喉の奥に詰まって出てこない。俺はただ自分の固く握りしめた拳を見つめることしかできなかった。
「和真」
先に口を開いたのは涼子だった。「話って何?」その声はいつもと同じ落ち着いたトーンだったが、声の中に微かな震えが含まれていることに俺は気づいてしまった。
覚悟を決めなければならない。これ以上彼女を期待させてはいけない。俺はゆっくりと顔を上げた。そして、彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返そうとしたが、できなかった。
「涼子、あのさ……」
喉がカラカラに乾いて声がうまく出ない。「大事な話があるんだ」俺は地面の一点を見つめたまま、ようやくそれだけを絞り出した。俺が次にどんな言葉を発するのか、彼女にはもう分かっているのかもしれない。彼女は何も言わず、ただ俺の言葉を待っていた。その健気な沈黙が俺の罪悪感をさらに深く抉った。
別れる。そのたった一言がどうしても言えないのだ。この言葉を口にすれば彼女の綺麗な瞳から涙が溢れるだろう。彼女の心が壊れてしまうだろう。俺はその光景を想像しただけで呼吸が苦しくなった。俺には人を傷つける覚悟が足りなかった。
「俺たちのことなんだけど……」
そこまで言ったきり、俺の言葉は完全に途切れてしまった。情けない。最低だ。俺は心の中で自分自身を罵倒した。彩香にあれだけ格好つけて誓ったというのに。
俺が苦しんでいるのを見て、涼子がおずおずと口を開いた。「和真、どうしたの? 何かあったの?」その声はどこまでも優しかった。俺を責めるのではなく、心から心配してくれている。その優しさが、俺のなけなしの決意を完全に打ち砕いた。
駄目だ。言えない。俺にはこの優しい彼女をこの手で突き放すことなどできやしない。俺は顔を上げた。しかし、彼女の目をやはり見ることはできなかった。
「……ううん。何でもない」
俺の口からこぼれ落ちたのは、決別とはほど遠い惨めな嘘の言葉だった。「ごめん、変なふうに呼び出して」俺はそう言って無理やり笑顔を作った。
涼子は明らかに納得していない顔だった。しかし、彼女はそれ以上何も聞いてこなかった。ただ深い困惑と悲しみをその瞳に浮かべたまま、黙り込んでしまう。俺はまた逃げたのだ。そして、この最悪の選択が事態をさらに取り返しのつかない深みへと引きずり込んでいくことを、まだ知らなかった。
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