第4話 心の揺れ


 週末の朝、私はクローゼットの前で長い時間を過ごしていた。これから始まるのは、涼子のための、涼子を喜ばせるための、ただの「練習」に過ぎない。そう頭では理解しているのに、私の指は無意識に、一番お気に入りのワンピースを選んでいた。淡いブルーの生地に、小さな白い花の刺繍が施された、少しだけ特別な日のための服。髪を入念に整え、薄く化粧を施す。鏡に映る私は、これから親友を罠に嵌めようとする復讐者には見えなかった。それはただ、好きな人に会いに行く、ごく普通の恋する少女の姿だった。


 この数日間、私の心は冷たい決意と、時折顔を出す罪悪感との間を行き来していた。夜、一人で計画を練っている時は、憎しみがすべての感情を塗りつぶしてくれる。しかし、こうして太陽の光を浴び、和真に会う直前になると、長年かけて育んできた彼への純粋な想いが、胸の奥でちくりと痛んだ。私は鏡の中の自分に言い聞かせる。これは復讐。私の大切な場所を奪った、あの二人への正当な報復なのだと。


 待ち合わせ場所の駅前に、和真は少し早く着いていた。彼は私を見つけると、少し驚いたように目を見開き、そして「お、なんか、今日、可愛いじゃん」と、照れくさそうに言った。その何気ない一言に、私の心臓が大きく跳ねる。駄目だ。こんな言葉一つで、喜んでいては駄目だ。私は計画を遂行しなければならない。私は彼に微笑み返し「練習だからね。ちゃんと女の子っぽくしないと」と、あくまで「練習」であることを強調した。


 休日の街は、楽しそうな人々で溢れていた。手をつなぐカップル、笑い声を上げる家族連れ。その幸せそうな光景の中を、私たちは少しだけ気まずい距離を保ちながら歩く。和真は時折、ショーウィンドウを指差しては「ああいうの、涼子、好きかな」と呟いた。そのたびに、私の心は現実に引き戻される。これはデートじゃない。私は涼子の身代わり。彼の頭の中は、涼子のことでいっぱいなのだ。その事実が、私の決意を鈍らせないための、ちょうど良い燃料になった。


 私たちは、可愛らしい雑貨や洋服が並ぶ店に入った。店内には、ポプリの甘い香りがふわりと漂い、穏やかなオルゴールの音楽が流れている。色とりどりの商品に囲まれていると、まるで本当にデートをしているかのような錯覚に陥りそうになる。危ない。私は首を振って、邪念を追い払った。


 和真は真剣な顔で、商品棚を一つ一つ見て回っていた。涼子へのプレゼントを選ぶ練習なのだと、彼は言った。彼はアクセサリーのコーナーで足を止めると「女の子って、こういうの貰うと嬉しいのか」と、戸惑ったように私に尋ねる。彼のその真剣な眼差しは、涼子への真摯な気持ちを物語っていた。その純粋さが、私を苛立たせる。どうして、その気持ちを、ほんの少しでも私に向けてはくれなかったのだろう。


 店内をしばらく見て回った後、和真が一着のブラウスを手に取った。それは、淡いピンク色の、柔らかなシフォン生地で作られた、繊細なデザインの服だった。彼はそれを私の前にかざすと「なあ、これ、彩香に似合いそうじゃないか」と、屈託なく笑った。彼の言葉に、私は一瞬、息が止まる。

「涼子ちゃんへのプレゼント、選ぶ練習なんだろ」

「うん、そうなんだけどさ。これ、なんか、彩香だなって思ったから。よかったら、俺からの、練習に付き合ってくれるお礼」


 そう言って、彼はそのブラウスを私に差し出した。私は戸惑いながらも、恐る恐るそれに指を伸ばす。指先に触れた生地は、想像していた以上に柔らかく、そして温かいように感じられた。それは、まるで彼の優しさそのものが、形になったかのようだった。その柔らかな感触が、私の指先から、腕を伝い、そして心の奥深くまで、じんわりと染み渡っていく。


 私の胸に、温かい感情が、静かに、しかし確かな存在感を持って広がった。それは、あの夜、復讐を決意した時には、心の奥底に固く封じ込めたはずの、和真への純粋な愛情だった。彼の何気ない、本当にただの親切心からくるであろうこの行為が、私の固い決意の鎧に、いとも容易く亀裂を入れる。


 私は、その淡いピンク色のブラウスを胸に抱きしめた。彼の笑顔が、目の前でキラキラと輝いている。この優しい人を、私は本当に傷つけてもいいのだろうか。私の身勝手な復讐心で、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまっても、本当に後悔しないのだろうか。

 計画通りに進むことへの高揚感は消え失せ、代わりに、底なしの罪悪感が私を苛み始めていた。復讐という冷たい炎と、彼への消せない愛情。二つの感情の狭間で、私の心は激しく揺れ動いていた。笑顔で「ありがとう」と答える私の声は、自分でも気づかないほど、微かに震えていた。

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