第11話 “初めてのお着替え。人形少女のお洋服は複雑です? #2/2”

 


 「いよいよ、紗雪の出番ですね」

 「はい、まずは、ヘッドにそのウィッグを留めるためのシールを長方形に3枚切り出して貼ります」

 6mm幅ほどに、短冊形に切り出す。裏面が粘着テープに、表面に小さな突起がたくさんついた、マジックテープの硬い側のような表面だ。

 「メイクが施されている、頭の蓋の切れ目から下、顔側につかないように気をつけて。ヘッドの蓋はいざとなれば交換できるので、その部分にこう、漢字の”六“みたいなイメージで貼ってください」

 メイクの施されたお顔を手で触らないよう細心の注意を払い、前方横長に1枚。後頭部斜めに2枚ハの字型に、できた。

 「いい感じです!じゃあドールショップで教えてもらったように、かぶせてあげてください。慣れてきたら、ウィッグを裏表返すよりも、ヘッドをそっとウィッグキャップ、網の部分に差し込んであげる方が、うまくいくようになるかもしれません」

 「怜奈さんにお教えいただけていなかったらと思うと、ぞっとします。一応自分でも調べてはみていましたが、なかなか分からず」

 「個人でまとめている方とか、同人誌で出されていたりもありますけれど、なかなかわかりづらいですよね。そうして思ったように構ってあげられずに、気持ちが離れてしまう方もいらっしゃるので、もったいないのですよね」


 ああ、すでにこの時点でかわいい。これは可愛すぎる。犯罪的だ。

 ウィッグ、これを選んであげてよかったかもしれない。灰銀色の髪が大変印象的だ。


 「あ、せっかくですから、お箱の所に座らせてあげましょう。初めてですから、まずはドールスタンドなしで、腰かける感じに。ヘッドは一度寝かせてあげて、ボディだけでポージングしてあげましょう」

 「わかりました」


 ドレスを着せてあげたボディは、それはもう、先ほどの裸の状態から一層、扱いに緊張を要するものだった。

 痛みを感じないと知っていても、まだ身体だけとわかっていても、“痛くないかい?”、“触れても大丈夫かい?” と、脳内でどうしても声をかけてしまう。

 さらに、1/3サイズという大きいようで小さいサイズも手伝い、着せた服がずれる。ガーターの留め具が外れてしまう。

 少しずつ、直してあげながらゆっくりと関節を曲げ、丁寧に丁寧に。

 肩と腰が悲鳴を上げ始めるころ、ようやく、白いシーツをかぶせた箱の端にちょこんと足を垂らし、膝の上に手をそろえたお座りポーズをとってくれた。


「いよいよ、紗雪ちゃんの誕生ですよ!」

「はい…!」


 ああ、震えが、震えが走る。

 いや、決して腰のせいではない。

 捧げ持つように、ボリューミーな両側のバンス、ツインテール部分を手のひらに収め、紗雪のヘッドを抱き上げる。

 そっと、そっと。間違ってもぶつけなどしないように、ボディから延びる首の軸に、頭部の首の穴をそっと沿わせ。

 ゆっくり、ゆっくりと。頭部をはめ込む。


 ああ。

 今ここに。


 ついに”運命の子”が。

 紗雪が、生まれたのだ。


 黒と白モノトーンのゴシックドレス。

 ほんの少し膝を斜め横に傾け、脚を曲げ、箱の端、彼女専用の祭壇に座る彼女。

 そっと膝の上にそろえられた両手。

 うっすらと、わずかに開いた唇から、見えるか見えないかという絶妙な加減の、綺麗な白い歯の形跡。

 しっとりとした、それでいて主張しすぎない、淑やかな唇の艶。

 少し強気に上げられた眉は、理知的で聡明な女性を示す確かな証のよう。

 にこやかな笑みをたたえ、されど少し勝気に上がった目じり。対照的にハートを浮かべた瞳で見つめられると、背筋に喜びの電流が走るよう。

 灰銀色の髪はほんのりと湿り気を帯び、艶やかさを増してくれるよう。そのような大人びた気配の中にあって、確かに主張するミディアムロングのカールツインテールが、元気な、少女と女性の狭間にある紗雪のお年頃を強調するかのよう。

“オーナー、ようやく出会えましたわ。これからよろしくお願いいたします”

 そんな声が今にも聞こえてきそうだ。


 粛々として理知的な大人の女性と、勝気な猫のようにしなやかな少女期が共存する、アンビバレントな美に見惚れ。

 言葉を失い、ただただ、“運命の子”とのついにかなった出会いに、この身を震わせる。


 どれほどの長い時間、そうして過ごしていただろうか。微動だにせず、けれど意識はただひたすらに、目の前に降臨した理想の天使、運命の人形少女を記憶にとどめんと、高速で巡り続けていた。


 カシャリ。


 スマートフォンのシャッター音に、ようやく現実に戻ってくる私の自我。

「勝手にごめんなさい。でもあんまりに、見惚れる奈緒さんと、紗雪ちゃんが神々しくて。後でお送りしますね」

 ああ、気が付けば私は膝まずき、紗雪に恭しく手を差し伸べていたようだ。


「今日はもう、これ以上ないほどに恥ずかしい姿ばかり見せていますね。幻滅されたことでしょう…」

「とんでもない、そうしてドールを愛してくれる姿、すごく素敵でしたよ」

 ストレートな慰めの言葉に、さすがに面映ゆく、苦笑と共に己の頬を、指でそっと撫でてしまう。


「それに、もう早速紗雪ちゃんが、”奈緒さんの子“っていう雰囲気になっています」

 確かに、彼女の言う通り、ハートを湛えた瞳でこちらを見つめ返す紗雪は、オークション画面、あるいはカスタマーさんの元で、元気いっぱいに、現代学生生活を謳歌していた姿とは異なる印象を纏っている。

 微笑みを浮かべる表情は、快活さを秘めつつも、どこか淑やかに。

 さらさらとした髪は艶やかで、いつまでも撫でたくなる。

 何よりも違うのは瞳。煌きを湛えた目は活き活きと輝き、吸い寄せられる。


「せっかくですから初めての写真も! ほら、スマホ持ってきてください」

 そうですね、記念ですものね。

 パシャリと、フラッシュのたかれたその写真は…、写真技術の早急な改善を激しく実感するものだった。しかしこれもまた、良い思い出、なのだろう。

「Twikkerにあげて〜と思ったけれど、ちょっとそれは今度にしましょうか」

 さすがに人様にお見せしては、かえって紗雪が可愛そうと、彼女の愛くるしさの0.1%すら表現できていない写真はお蔵入りとする事に、怜奈さんも異論はなかった。

「私が撮った奈緒さんが映ってる写真をアップするわけにもいきませんし。これは、奈緒さんの記念用に」

 なお、彼女が送ってくれた写真は、大変素晴らしいものだった。印刷してフォトフレームに入れておこう。


「まだ今日も夜中遅くまでお仕事、されるのですよね」

「ええ、明日の準備もありますので」

「でしたら、後でドールスタンドに立たせてあげて、お仕事をしている隣にいてもらうと、幸せになれますよ」

「なるほど、それは大変良いことを伺いました。家にいる時であれば常に、一緒にいられるわけですね」

「はい!」


 それはそうと、ふと窓の外を見る。すっかり日も落ち、腕時計に視線を落とせば、20時を過ぎているではないか。


「怜奈さん、つい自分のことにかまけて、大変なご無礼を。もうこんな時間、ご家族も心配なさるでしょう」

「家族は〜…あはは、どう、でしょうね…」

 大学受験の折にも感じたが、何やら複雑な家庭のご事情がある様子。

「今日、泊めてくださいって…言ったら…」

 ご本人も触れることを避けている様子だったので、深く踏み入らないよう注意していたのだが。

 一歩、彼女が傍へ。ワンピースの裾を握る手に力が入っているのが、視界の隅に見える。


「怜奈さん」

「あ、あはは、ばっかだな〜わたし。ごめんなさい! 忘れてください! 今日は紗雪ちゃんとの初めての夜ですもの、お邪魔虫はすぐ退散しま〜す」

 空元気と明らかにわかる笑顔を浮かべ、慌ててハンドバッグと、わざわざ持ってきてくれていた調味料をしまった袋を手に取る彼女。

「あ、そだ。まだカメラとかもお持ちじゃないですよね、まずはスマホで撮影でもいいと思いますけれど、そのうちカメラ、見に行きましょうね! 約束ですからね! 勝手に行ったら泣きますからね!」

 気を遣わせないよう、こうしてくれているのだ。無為にしては申し訳が立たない。


「ええ、是非に。怜奈師匠の教えはいつも大変ためになりますので。またご教示ください」

「ふっふっふぅ~。そうでしょう、そうでしょう? 怜奈師匠にお任せあれ!」

 おや、そのまま玄関から飛び出してしまいそうな勢いではないか。


「お待ちください、下までお送りします。それと、もう夜も遅いです。タクシーを取りますので」

「え、いいですよ〜まだこんなに早いですし、電車で普通に帰れますって」

「私のわがままと思って、お願いします」

 こんなにも美しい女性を、夜一人で帰すことに不安を感じてしまうのは私が歳だからだろうか。

 ご自宅の場所も存じない。電車を降りた後、夜道を歩かせるなど、さすがに不義理が過ぎる。


「ん、ん〜? じゃあ、わかりました。”しんぱいしょ〜”な、奈緒さんには、帰ったらちゃんと連絡してあげますね」

「ええ、是非そうしてください。あと…いえ、何でもありません」

 親御さんに、というのは明らかに彼女が求めていない言葉だろう。

 ご学友か、近くの大人で頼れる方がいらっしゃると良いのだが。この数年、彼女の言動を拝見していると、少しばかり不安を覚えるのだ。ネットでつながりのあるドールオーナーの方々はいらっしゃるようだが、話題に上がるご学友も、ご親族もいらっしゃらないように感じられ…。警戒して隠されているだけであれば、むしろ安心なのだが。


「ん〜、なんだろう、気になりますよう。あ、もしかしてやっぱり私に泊まっていってほしいとか〜?」

「冗談でも、いけませんよ」

 エレベーターが1階に到着した。

「私が本気にしてしまったらどうするのですか」


 どうぞ、と開いたエレベーターの外を手のひらで示すが、彼女はびっくりしたように目を見開き、こちらを見ているではないか。

『ほんき…で…いい…のに』

 初夏の温かくなった空気が流れ込むのに気が付いたのだろう。何事かを口の中で囁いた彼女は、慌てたように頭を振り、外に出る。

 ああ、風が出てきている。さらさらと、なびく彼女の黒髪が、世闇にあっても都市の灯りに照らされ、きらきらと、輝きを宿している。


「ちょうどタクシーが何台か待っていますね。いらしてください」


 先に運転手に、行先は彼女から聞くように、そして十分な費用をそっと渡しておいた。以前都内に住んでいるとは聞いていたので、十分だろう。

 気が付いてはいたようだが、あえて何も言わず、乗ってくれた。


「では、お気をつけて、もし万が一何かあればご連絡ください」

「もう本当に、さすがに心配しすぎですよ。ここは日本なのですし」

「あ、あはは。とにかく、今日は重ね重ねありがとうございました」

「はい。また夜に、連絡します♪」


 夜の灯りの中へ、タクシーのテールライトが見えなくなるまで見送る。

 ああ、今日この日、本当に私の運命が、人生が変わったのだ。


 部屋に入り、机に座り私を待つ紗雪を目にし、改めて実感した。

 いつもとは異なる、洗い立ての二人分のお皿。ほとんど使ったことがなかった新品同然の調理器具。さらに部屋には怜奈さんの残り香が…いや、いけない。すぐに頭を振り、記憶から追いやる。


 さあ、今日一日さぼってしまった。明日からの提案準備に取り掛からねば、平日が回らない。

 紗雪にはしっかりベッドルームのPC机の横に、ドールスタンドに立ち見守っていてもらった。

 これがまたひと騒動を巻き起こすが、それはまた明日のお話。


 なお、この夜の業務生産性がいつもの倍以上に感じられたのは気のせいではないだろう。

 何せ、隣で運命の人形少女が、

“それは何をなさっているの?” 、“オーナー、頑張っていて本当に偉いわ”、“もう遅いけれど大丈夫? 少し眠ったら?”

 そんな風に優しく語りかけてくれているのだから。

 無事ご自宅に到着の連絡をくれた怜奈さんにお伝えすると、笑って“ドール効果ですね!“ とメッセージをくれた。

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