第10話 “初めてのお着替え。人形少女のお洋服は複雑です? #1/2”
さあ、いよいよ、本番だ。
洗い物も片付き、紗雪との運命の邂逅、本番の時。
ゲーミングPCの空箱にシーツをかぶせた、事前準備をしておいた急ごしらえの台。
仮の居場所はこの祭壇スペースで良いだろう。
が、着替えや準備をする場所は? 人間のような更衣室があるわけでもなく、そもそも、自力で着替えられるわけでもない。そこは人形だ。持ち主、オーナーが着替えもしなければならない。
机の上? 絨毯の上? どこが良いだろうか。
祭壇スペースは下が箱なので、お着替えをするには少し不適切だ。
ああ、やはりきちんと家具を買ってくるべきだったか。いや、これ以上待たせるわけにはいかない。
「奈緒さん、またおろおろしてる。かわいいです」
「あはは、こんなおじさんが、恥ずかしい…。机の上、が良さそうですね、やはり」
「気になるようなら布とか敷いてあげると良いかもです。なければ、買い置きしてあるバスタオルとか?」
「なるほど。持ってきます」
白いバスタオルならいくつか未使用のものがある。
さあ、手袋はしっかりはめた。透明のプラスチックケースから、そっとボディを引っ張り出す。
見た目よりは軽いような、それでも60cmドールという印象よりは重いような。500gよりは重いだろうか。
なお、後日、簡単な服を着て800gほどだと知ることになる。
直立の姿勢から少し曲がっている足首を直してあげる。
裸のままのドールボディ。そっと腕や脚を動かしてみる。
伝統的な球体関節に、アクションフィギュアに見られるような、無段階で曲げた関節部を保持する特有の硬さ、素材の摩擦が備わっているようだ。
肩関節、肘、手首。順番に曲げ伸ばし、回してみる。
膝…なるほど、正座まではできないのか。皮膚にあたる素材に厚みがあり、弾力はあるものの、硬さが阻害要因となるようだ。
股関節、足首。人を超えた可動域で曲がってしまうので、ありえない姿勢にならないよう、注意が必要そうだ。
まるで骨折か脱臼したヒトのようになってしまいかねない。
そうして一つひとつ、試し、確かめる私を、怜奈さんがそっと見守ってくれている。つまらなくはないだろうか。
「ごめんなさい、テレビも無い部屋で」
「いいえ、ナオさんをじっと見つめているのが楽しいですから、気にしないでください♪」
優しいまなざしで見られている。人との接点と言えば、仕事上の付き合いだけという生活が長い私には、落ち着かないような、ほっと安堵するような…。
さて、一通り確認ができた。なんとなく理解できたかもしれない。
「お洋服は先に着せてあげるのが良いのでしたね」
「はい。ヘッドを乗せた後だと、襟が通らなかったり、着せづらくなるので」
「わかりました」
本日購入した衣装の中から、一番に着せたいと思っていた衣装を取り出す。
黒と白のゴシックドレス。
人形を考えた時になぜか初めに思い浮かんだ印象、それにぴったりのドレスが扱われていたのだ。
長年想い続けた歌姫の人形少女が着ていたゴシック調のドレスに、印象が引きずられたのかもしれない。大人びたあちらに、少し子供らしさを加え、可愛らしいフリルをたくさんちりばめた衣装だ。
「なかなか、難しいですね」
「うふふ、頑張ってください♪」
女性の服装特有なのだろうか。いくつもの部分に分かれた衣装に戸惑う。
まずはスカートと一体になった上身頃を、腕を上にあげさせ、通そうとするが、肩幅が襟ぐりを通らない。
よくよく観察してみれば、背中にホックが縦に並んでいるではないか。
外して着せなおすと、無事に着せることができた。ホックを留め、胸元を隠してあげる。
ようやく少し安心できた。いくらドールの身体とはいえ、女性を模した肢体を、素っ裸でさらしているのは罪悪感がすごい。それも怜奈さんの目の前で。う、羞恥心が、顔に少し朱が差す。
横目でちらりと怜奈さんを見れば、にんまりと嬉しそうな笑顔が。
お、おや。スカートがあと2枚ある? すでにスカートは一体になって履いているのだが。
「パニエと、アンダースカートですよ。布地の方を先に履かせてあげて、下から、パニエ、チュール……えっと、細かい網目みたいな硬い素材の、そうそれです。それを最後に下から履かせてあげるんです」
指示してくれた通りに履かせていく。
なるほど、このパニエが2枚のスカートを下から押し上げ、ふんわりと広がった形を維持するのか。
そして2枚重ねになったスカートは、それぞれに異なる曲線を描き、重ねの妙とでも言うのだろうか、華やかなデザインを演出している。
こ、これは…。
うかつだった。女性ものの下着だ。いけない、これは事案発生だろうか。
年頃の娘さんの前で、女性ものの下着をしげしげと眺め回す、39のおじさん。
「申し訳ありません、何であるかが分からず、つい」
「ふっっ」
ああ、ついにお腹を抱えて笑い出してしまった。よほどたまらなかったのだろう。普段の気品ある仕草から一転。
ソファに思わずといった風に、片肘をつき、お腹を抱え苦しそうにしている。
「ご…ごめん、なさい…。あまりに可愛くて、ナオさんかわゆすぎ、やばやばです、もう」
よほど途方に暮れて彼女を見つめる顔が、頓狂なものだったのだろう。ますます笑いを加速させてしまった。
「気にせず、ゆっくり履かせてあげてください。あ、ガーターは先にソックスを履かせてあげてから、そう、そうです」
女性の下着とは、こうも複雑なものなのだろうか。
男性諸氏はもっと尊敬の念を抱くべきだと、思わずおかしな信念に芽生えそうだ。
順番を間違えると着せ直しになる、というパズルのような着衣。
後ろホックで緩められるようになっているパンティを履かせる。
続いて、膝上まである透け感のある白いソックスを。このソックス、太ももの所に、留め具の受け口となるひもが小さな輪っかを作っている。
そしてさらにパンティの上から、これは何と呼ぶのだろう、腰から布が4枚下がっているような、不思議な腹巻を上品かつ美しくしたようなものを着せる。
最初はこれがどこに着せてあげるものかわからず、
「それ、ガーターベルトっていうと思います。生身の人が履くときは、それを上にしちゃうと、お手洗いで大変なんですよ」
「なるほど、本来で考えれば、これは着せ方が間違っていたのですね。確かに言われてみれば……」
「あ、でもドールなので、その方がきれいなラインになっていいと思います。コスプレする時とか、下着の下にするか上にするか悩むみたいな」
そうしてガーターベルトというものを知った。これとソックスの上のリングを、ひもの上下に”己”のような形になった金具が取り付けられた紐、リボンを張り巡らせる。これで下着が完了だろうか。
「さすがにブラは付属していませんね。まあ、見えない、見せないところはドール用セットドレスは、こんな感じです。どうしても気になる方は、別に下着を用意して着せてあげるんですけど、かえってドレスのラインを崩したりするので、いいかな、と」
「本当に奥が深いですね。人と同じ、けれどあえて人形である利点を活かすところもあると」
「そうですね。理想の姿の体現、なんて言われるときもありますね。お着替えお疲れ様です。次はウィッグのお手入れをしてからかぶせてあげましょう」
「お手入れ? ですか」
おそらくこれらを使うのだろう。ヘアケア用品とウィッグを留めるための用品を取り出してみる。
「初めてのウィッグは、けっこうぼさぼさになっていたりするので、ウィッグスプレーをかけてあげて、しっかり梳いてあげてください。ヘッドにかぶせる前に一度した方がいいです。それから、かぶせてあげた後にもう一度ですね。かぶせるときにまた乱れてしまうので」
ウィッグネットと言うらしい、黒く柔らかな網の袋から、ウィッグを取り出す。中に詰められた型崩れ防止の紙製ボールを取り外す。なんとも不思議な感触だ。繊細な髪の毛をそっと手のひらに握りしめ、撫でているような、心地よい感触。
灰銀色のカールがセットされたウィッグが、バスタオルの上に広がった。
「ん〜。このウィッグだと、ツインテール部分はバンスですね。一度外しましょう」
「バンス。なるほど、付け毛になっているのですね、この、付け根部分に何か硬いものが」
「はい、小さいヘアクリップが中に仕込まれていて、それでウィッグの頭部本体にくっつけているんです。受けになる頭部側のウィッグに紐で縛ってある部分があるはずです」
確かに、手と手をがっしりと組み合わせるような、茶色い4本指のクリップが中に仕込まれている。
ツインテールの付け根を上から押さえ、クリップを開くと、取れた。頭部のウィッグ本体から、ツインテールが分離する。
いよいよウィッグスプレーをそっと吹きかけ、目の粗いブラシで毛先からゆっくりと梳いていく。
「カールのツインテールは、まっすぐに強く梳きすぎると癖が解けて台無しになりやすいので、指に巻き付けて、毛の流れに沿ってくるくると、梳いてあげてください」
言われるままに、灰銀色の髪を指に巻きつけ、梳いていく。
いやこれはなかなか難しい。しかし、紗雪を可愛い姿で見るためには、と奮起し、一筋ずつ丁寧に、心を込めて髪を梳いていく。
「ウィッグだけで触っていると、今はまだ、少し虚しさを覚えるかもしれませんけれど、”うちの子”が実際にかぶって、その子の髪っていう実感をもって、櫛けずるようになると世界が変わりますよ」
時間をかけ、ついにウィッグを整え終えた。
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