第3話 “代理購入の闇 #2/2”

 そして夜22時。

 経過報告の際にしくじり、顧客から出入り禁止を言い渡されかけた後輩のSEさんを庇い、平謝りする事、1時間。

 以下に彼が必要であるかをこんこんと説明し、この後のプロジェクトにおける報告毎はすべてPMと私が介在する事を約束し、赦しを受けるまでにさらに1時間。

 実際、今時のスキルセットを持つ彼は本当に優秀なのです。こんなレガシーシステムの単純更改案件で終わる玉ではない。この後に控える、モダナイゼーション提案においてこそ、光輝く人材なのだから。


 そんな問題はありつつも、システム的には奇跡的にトラブル一つなく休日の作業が完了し、SEさんとCEさんには先に帰ってもらい、お客様への報告と謝意を伝えた。

 懇親会? いや、今日ばかりは勘弁してください。期待されていたかもしれませんが、店の抑えもしてありません。丁寧にお礼と謝意を伝え、逃げるように駅へと向かう。


 ああ、この時の私の胸の内をどう表現すればよいのだろうか!

 きっと購入完了のメッセージが、私のTwikkerアカウント、“奈緒”宛に届いているはずだ!


 帰宅して落ち着いてから見よう、そう思いつつも、待ちきれない。

 私のアカウントを開くと、やはり来ていた。ダイレクトメッセージが、それはもうたくさん。通知の数字が、見たこともない数になっていた。

 震える指で開く。大学受験の合格発表でもこれほど手は震えなかった。

 さあ、冬に咲き誇る桜の通知を見よう。


 21:00

“申し訳ありません、依然として連絡が取れなくなっており。お仕事終わられましたら、至急ご連絡ください。電話番号はxxx-xxxx-xxxです”


 おや? 松戸さんからのメッセージかと思えば、これは怜奈さんからだ。

 問題があったのだろうか?

 まだこの時の私は、暢気に構えていた。


 遡っていく。


 19:00

“もうイベントも終わっているはずなのに、メッセージも電話も返事がないんです。ごめんなさい、とにかく連絡取り続けてみます”


 15:30

“もしかしたらイベント会場で他の人たちと調整しているのかも、譲ってもらえないか交渉とか。とにかくまた連絡します”


 13:00

“連絡がまだつきません、ごめんなさい、もう少しお待ちください”


 12:00

“完売…たったの30番台で、どちらの子も完売っていう情報がネットで回ってきています。彼女たちと連絡がつかないので、鬼電してきます”


 10:30

“抽選番号200番以内に3人ですって! 行けそうですよ、ナオさん♪ えへへ、実は私も男の子2番目の購入順なので、一緒にお迎えですね”


 9:30

“お仕事で連絡が取れないとのことでしたね、私が代わりにやり取りしておきますので、安心して、お仕事頑張ってくださいね! 初お迎え楽しみですね♪”


 なるほど。準備されていた数が予想よりはるかに少なかったのだ。

 そして、松戸さんからの連絡は、たった一通。


 10:00

“良番が引けました。期待してお待ちください”


 歌姫はすでに3回目の販売。企業の立場を考えればやむを得ない判断だろう。

 しかし、怜奈さんが希望していた男の子も数が少なかったとは。これはさぞ辛いだろう。

 かなり焦っている様子。心労をかけているようだったので、慌てて電車を途中下車し、電話をかけた。


「もしもし、奈緒ですが」

「あ、奈緒さん!! お仕事でお疲れなのにごめんなさい、騒がせてしまって。私もうどうしていいかわからなくて、それで…」

 少し涙声に聞こえた。一日中、さぞ辛い思いをしていたのだろう。


「お気遣いありがとうございます。慌てなくて大丈夫ですよ、まずは落ち着いて、ゆっくりで平気です」

 1コールもしないうちに通話がつながった彼女は、息せき切ったように慌てふためいており、目には見えなくとも不安な顔が浮かぶようだ。


 しばし荒い息遣いが聞こえた後、


「ごめんなさい、動転してしまって」

「いいえ、楽しみにされていた、その…”お迎え”に、さぞご心配でしたことでしょう。察するに余りあります」

「奈緒さんだって。奈緒さんこそ。長年の夢で、初恋のドールで、それなのに」

 ああ、なるほど。初恋、初恋のドール。なんと甘美な響きなのだろうか。


 そうか、この胸の高鳴りは、初恋のそれだったのか。

 現実の女性との関係はいつも散々なものだったので、すっかりその言葉を思い浮かべることもなかった。

 仕事でこそ割り切っているが、人間と言えば、正直、嫌悪の感情が先立っていた。


「素晴らしい言葉ですね、“初恋のドール”。ええ、素敵な言葉を贈っていただき、私はもうこれだけでも満足ですよ? ありがとうございます。大層な狭き門であった様子、初恋は実らぬものとも言います。私は諦めもつきますよ。ですから、気に病まないでください」

「奈緒さん、いい人すぎるって言われません?」

「あはは、つまらない男。となら」

「……」


 この時ほど、自分の会話のセンスのなさを恨んだことがあっただろうか。声をかけてくれる女性がいなかったわけではない。しかし数回も会うと、皆こう言って去っていった。流行りの芸能にもスポーツにも興味がなく、面白い話ができるわけでもない。勉学と仕事一筋だったおじさんなど、こんなものだ。

 と、いけない、私の自虐などどうでもよい。

 言葉に詰まってしまったらしい怜奈さんのフォローをしなければ。


「きっと松戸さんたちも、冬の寒空の下、長時間でお疲れなのでしょう。怜奈さんも一日中、本当に大変な思いをさせてしましました。後のことは明日にして、まずはゆっくり、気持ちを休めてください」

 正直、怜奈さんがここまで連絡を取ろうとしても無視されているなら、この後どれだけ連絡を入れても、結果は同じ。徒労に終わるだけだろう。ならば一度、割り切って彼女には休んでもらうべきだ。

「わかりました。お言葉に甘えますね。必ず、彼女たちと確認が取れ次第、またご連絡します」


 こうしてこの日は、セキュリティもしっかりしており、小奇麗で会社にも近いマンションの一室に戻り、眠りについた。

 多少割高ではあるが、結婚の予定もない私には、維持管理の手間が少ないこちらの方が性に合っている。

 明日は月曜日。今週も休日はこうして潰れてしまった……。

 部屋の片隅にある鏡に映る、涙でにじむ目に、見て見ぬふりをしながら。

 うきうきしながら、気の早いことにすでに設置してあったドールスタンド。

 丁寧に折りたたんでおいたドール服。

 部屋の片隅には、それらが寂しげに、所在なげに、置かれたままになっていた。


 …

 …


 怜奈さんと初めて話した秋葉原の喫茶店。

 どうしても直接会って話したいと言われ、再びここに来たのは歌姫人形再販のイベントから2か月後のことだった。

 新年も過ぎ、2月末。外資である弊社の締めは12月なので、日本企業一般のような年度末のプレッシャーはないが、それでも四半期ごとのプレッシャーは厳しい。今期締めの案件も詰めの段階に入っていた。

 年末年始は念願叶って、夢のドールライフの始まり。そう夢想していたのが、はるか遠い日のことのように感じられる。

 まあ、世間が長期休暇の年末年始は、社内システムの刷新だなんだと、システム改修や新規サービスインの時期でもある。案の定、トラブルで呼び出され、休みが潰れた私には、かえって都合がよかったのかもしれない。


 中でも、同じ部門の担当者が国外旅行に出ており、対応する者がいないと。

 政府、官公庁案件の緊急ヘルプが回ってきたときには肝が冷えた。

 インセンティブ、出来高制で、自分の数字にもならない厄介ごと等、誰も手を上げない中。巻き取り対応に手を挙げたのはお人よしが過ぎただろうか…。

 官公庁担当役員からも大層感謝をされたが、もう二度とあの地獄に足を突っ込みたくないと思うには十分すぎる、過酷な経験だった。



「お待たせして申し訳ありません」

「いえ、私も今来たところですよ。むしろ先に席についていて申し訳ない」

 エレガントなベルト付きのトレンチコートを着込み、美しい黒髪を揺らし、席に案内されてきたのは怜奈さんだった。

 ふんわりと体を包むダークグレーのニットが可愛らしい。年の差も考えれば、公衆の面前で口にすることはできないが…。


 あの後知ったことだが、やはり彼女はまだ高校1年生。先輩とは、卒業して大学に入学した女性のことだった。

 年の差は実に20歳。傍から見れば、大人びた娘と親に見えていることだろう。


 やはり、どことなく、憧れの歌姫の面影を感じる彼女に軽く緊張を覚えながらも、いかにも話しづらそうにしている彼女を前に、まずはとにかく、一息入れてもらおうと思い。

 さて、何を話題にすべきか。

 こういう時に気の利いた言葉の一つも口をついて出ないから、つまらない男と言われるのだ。自覚はある。気取っても仕方がない。


「お昼時ですし、何か召し上がりませんか? 私も少し小腹がすいてしまいまして」

「そうですね…」

「どうも、苦いものが苦手でしてね。会社の先輩にもコーヒーの一つも飲めないのか? と、笑われるのですが。食前に、純喫茶店のアイスクリームが入ったクリームソーダでもいいな、と。せっかくですしご一緒にいかがです? ソフトクリームのものが最近多くて、寂しいなと常々思っているのですよね」

「はい、ぜひ」

 クリームソーダに、クラブハウスサンドイッチと紅茶のセットを2人分オーダーする。


「冬にこれはなかったかな? そもそも飲み物もダブルに…いやはや、ついメニューで見かけたら我慢できなくなって、お恥ずかしい」

「うふふ、そんなことないですよ。暖房が効いていて熱いくらいですし、ちょうどいいです」

 人工甘味料の甘味に、底が少し凍ったバニラのアイス。いかにも昔ながらのクリームソーダをつつきながら、少しだけ緊張の色が薄れた彼女の様子を伺う。

 暗い話はやはり済ませてしまうべきだろう。甘いアイスクリームがなくなったのを機に、切り出した。


「先日のこと、ですよね」

 私が切り出した言葉に、そっとスプーンを置き、こちらに向き直る彼女。

「はい。本当に、申し訳ありませんでした。あれから結局、Twikkerで連絡はつくものの、会う事は叶わず」


 私の方へ代理購入を請け負った松戸さんから直接の連絡が来たのは、イベント開催から2日後のことだった。

 冬の寒空の中で並んだためか体調を崩し、連絡が遅れたとの事。

 代理購入は失敗に終わった事。

 返金の“へ“の字もなく、事務的にその2点が送られてきていた。怜奈さんの元にも同じメッセージが届いたという。


“お身体を大事に、無理なさらず”と労いの返信をしたのち1週間。年末年始にかかる時期という事もあり、もう少し様子を見ようと我慢していた。

 その間も、怜奈さんは密にメッセージを送っていたようで、しばしば経過の共有があった。

“お金をすぐに返金してほしい”という彼女のメッセージに対し、“別の購入のあてがあるので待ってほしい”との返事だったという。まさかオークションサイトか? と疑うも、彼女が欲していた男の子ドールは40万円を超えていた。歌姫も20円を超える。どちらも定価を超えており、まずありえないだろう。大赤字にしてまで、購入してくれると信じられるほどお花畑ではない。


 この頃には二人とも疑いは確信に近づいていた。特に彼女は、限られた自由に動かせるお金、おそらくお小遣いか何かだろう。深刻さは一層のもののはず。

 だが、ドールという愛情を向けるべき世界に、悪意を持って潜む者がいると信じたくなかったのだろう。特に彼女はすでに大切なドールたちとの生活を送っている。そこに暗い影を落とすような事はあってほしくない。


 音信不通となり、我慢の限界に達する直前、実に絶妙なタイミングで再び返信が届く。

“実家で不幸があり、連絡が取れずにいた。代替手段はやはり厳しかった”

 たったそれだけのメッセージ。

 では返金をと返せば、また音信不通となり3日が過ぎる。

“代理購入で一番良い番号を引いた人が身内なので、優先順を変えられないか交渉する”

 また1週間が過ぎる。

“ダメでした”

 また1週間。そして、催促に対しては“入院していた”との連絡。


 初めからその意思があったのかはわからない。本当に挑戦してダメで、手元に残った現金を見て、魔がさしたのかもしれない。まだ人の善意を信じたい気持ちもあった。だが、内心はわかっていた。

 私はまだ良い。社会人で余裕もある。何かがあっても勉強代だと、最初から諦めの予防線も張っていた。

 取りうる手段も思いつかないではなかったが、労力に見合うかと天秤にかけてしまった。それも狙いだったのかもしれない。

 だが、本当にドールを愛し、すでに生活の一部としていた彼女の気落ちのしようといったら。メッセージ越しにもあまりに身につまされ、何とかできないものかと、真剣に頭を悩ませる日々だった。

 この2か月、年末年始は“コスプレイベントもあるし、ドールとお出かけもできるし、楽しみです!”と、イベント前には呟いていた彼女のTwikker。あれから一度も更新されることはなかった。“お迎えできるかドキドキ!”という書き込みを最後に。

 新しい写真がアップされない彼女を案ずる返信も見受けられた。


 どういった連絡をするか、どういう手段が取れるか、様々な相談に乗った。

 当事者同士の方が相談しやすいこともあるだろう。

 メッセージや、時に通話で話す彼女が日に日に落ち込み、病んでいくようで。

 そろそろ本格的に何か手を打たねばと、私としては詐欺被害にあった事よりも、彼女のことに意識を割く毎日だった。


「冬休みが明ければ、紹介してくれた先輩が、サークルの知り合い経由で連絡を取ってくれるかもと思ったんです。でも、その子も連絡がつかないって。あまりにうるさい私に嫌気がさしたのか、先輩にも無視されるようになって。しまいには高校の同級生に、いろんな噂を流されてしまって…」

「それはあまりにひどいです。つらい目に遭ってしまったのですね」

 その先輩という方への怒りが胸の内に灯る。何らかの手段をやはり取るべきか……。


「あ、い、いえ、私はいいんです。それよりも、私を信じてくださって。代理購入はいけないって分かっていたはずなのに、奈緒さんに申し訳が立たなくて」

「それこそ、気にしなくて大丈夫ですよ。最終的に松戸さんを信じたのは私です。怜奈さんに責任は一切ありません」

 うっすらと目尻に涙が見える。

 人を思いやって、こうして辛い中行動し、涙できる。彼女は、なんて心清らかな女性なのだろう。


「法的手段に訴えてみるという選択肢もあるかもしれません。長く辛い思いもしてしまうかもしれませんが。あるいは…」

 歌姫人形を迎えるための準備、アドバイス、彼女には良くしてもらった。こうして実際に会って、改めて実感もした。このままでは彼女の心が折れてしまうのではないか? 何かできることはないのか。

「あるいは、オークションで、ご希望の子を私が、いろいろお教えいただいた恩もありますし…」

 考えた申し出。しかし、あまりに無礼であり、口にすべきではないと却下していた案。

 それが、落ち込む彼女を見ていられず、つい口をついて出てしまった。

 渡した後に私のTwikkerを削除し、完全に連絡を絶てば、その後におかしな話にもならないだろう。そう甘く考えていた。

 しかし、それは首を振る彼女に止められた。


「違うんです。もう、あの子をお迎えしたい気持ちはなくて。もちろん今でも好きで、憧れの子です。でも、たとえ彼女から連絡があって、お迎えできたとしても、あの日楽しみにしていた自分の気持ちで愛でることは、二度とできないんです。嫌な気持ちがどうしても噴き出してしまって。可愛がって、癒されたくて、大切にしたくて。それなのに、絶対、辛い気持ちがこみあげちゃうんです。だから、あの子とは縁がなかったんだって、諦めないとダメで。でも最近、他のうちの子たちと遊ぼうとしても、泣きそうになっちゃって、何も手につかなくって…」


 ああ、私はやはりまだまだ、何もわかっていなかったのだ。

 ドールをまだ、”モノ”、代わりのきく”商品”としか本質的に見られていなかったのだ。

 憧れの歌姫人形に見向きされないのも当たり前だ。

 私は確かにこの時、初恋が砕け散る音を聞いた。



「そうか、そういうことなのですね。ドールと共に生きる、共に在る。だからこそ癒され、人生が豊かになる」

「はい。で、でも、せっかくの初めて、初恋を台無しにした私が、自分で許せなくて、どうしたらナオさんに償えるだろうって。それで今日お忙しいのにお時間をいただいたのに、結局こんな…」


 ぐしぐしと、手で目をこすろうとするのをやんわりと止め、そっとハンカチを差し出す。

「ちょっとだけ、失礼します」

 ハンカチを手に、顔を伏せ、席を立つ彼女を見送った。


 入れ違うように運ばれた暖かなはずのサンドウィッチが、とても冷たく、作り物のように無機質なものに見えた。

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