第2話 “代理購入の闇 #1/2”
向かいのビル、半地下にある喫茶店。
長く艶やかな黒髪の、大人しやかで可愛らしい女性が、ケーキセットの紅茶を飲んでいる。
肩を覆う大きな襟飾りがついたロリータ調のクリーム色のコートを脱いだ彼女は、清楚な純白のブラウスにスカート姿だった。
なぜ私は、たった30分前に出会ったばかりの、この可憐な乙女と、お茶を共にしているのか。
時計の針を戻してみよう。
それは、歌姫ドールの限定再販の日にイベントへ行けないと知った、その直後のことだ。
普段の私であれば、警戒心から、宗教の勧誘か、詐欺か? と、話しかけられても無視して足早に立ち去っていたであろう。
だが、“歌姫”という、憧れの人形少女を指し示すその言葉に、思わず足を止めてしまった。
決して、その美しい女性に、まさにその”歌姫”の面影を見いだして、見蕩れていたわけではない。
断じてない。三次元、リアルの人間など、ゴミだ、クソだ。己の心に、過去の出来事を、強く打ち付ける。
「失礼ですが、貴女は?」
「私、怜奈って言います」
いきなり下の名前で名乗られ、怪訝な表情が顔に出てしまっていたのだろうか。
「あ、ハンドルネームですからね? 男性向けのお店が多いですけど、女性向けもありますし、特にここはドールを扱っているので。私みたいな子達も来るんですよ」
SNSの存在は熟知していても、自分で登録することはついぞなかった、すでに36のおじさんだ。オンラインのMMORPGをプレイしていた頃も、“登録すべき“と勧められたが、結局登録する前に引退してしまった。だから、先回りして説明してくれた彼女の言葉が、その親切心が、身に沁みた。
「私が不勉強なばかりに、大変失礼しました」
「いえいえ。それで、その…」
「はい。以前からの憧れでしたもので。ええ。歌姫の人形少女を、購入したいと思っておりました」
「やっぱり♪」
「しかしながら、限定再販の日は、生憎と外せない仕事と重なっておりまして。悲しみに暮れていたところなのです」
「あー、社会人の方だと、よくありますよね。実は私も、学生なもので。関西まで行くのは辛くて」
大学生だろうか? 彼女は声をひそめ、少しだけ顔を寄せた。
「大学生の先輩が、サークル仲間を通じて、関西に住む知り合いにつないでくれるって言っているんです。皆は、こちらの…」
そう言って、歌姫とは別のショーケースに飾られた男性ドールを、指ではささずに、手のひらでそっと示した。
その所作から、育ちの良さを感じた。だが、“大学生の先輩が“という表現から、彼女自身はまだ高校生なのではないだろうか?
「高校生グループのちょっとワルなイケメン男性がコンセプトイメージの、男の子ドールをお迎えするのが目当てなんです。それで、歌姫ちゃんの購入枠が余るので、せっかくだから同じように悩んでいる人を誘っていいよって言われていて。よろしければお話だけでも、聞いてみませんか?」
広告紙に写る、気高く歌を詠ずることに夢中な歌姫人形。その姿に再び心がたまらなくなり、柄にもなく、彼女の話を聞く事にした。
人間への、まして異性への関心などとうの昔に失ったと思っていた私。それなのに、彼女があまりにも長年の憧れ。歌姫ドールの姿に似ていた…。それも、決して小さくない要因だったのかもしれない。
そうして、喫茶店で彼女と向き合うことになったわけだ。
…
…
「なるほど、つまり、現地に行けたとしても、確実に購入できるわけではないのですね」
「そうなんです。購入順の抽選があって、良い番号が引けないと限定数を超えてしまって、完売。購入できなくなっちゃうんです。こういう限定のドールの子たちは毎回そんな感じなので、何人かのグループを作って、お互いの欲しい子がいる時に支援し合うように調整するらしいです。私は今回初めてお願いするのですが、購入権利を得られた人は、限定数に達していなければ2人のお人形どちらもお迎えできるので、お目当てではない方の子を希望していた人に購入後、譲るわけですね」
確かに、こうした限定商品は転売が禁止されているのが普通だ。それでも不正は後を絶たず、オークションサイトでは定価の2倍、下手をすれば5倍以上の価格がついたドールすらあった。
彼女たちが考えた互助的な方法は、一見グレーだが、それだけ切実なのだろう。
「それでですね、今回の男の子ドールは、すごく人気なんです。一方で歌姫ちゃんは、以前にも受注販売があったうえでの再販なので、男の子がお迎えできる順番が引ければ確実に行ける! って前評判なんです」
「なるほど。ところで、話の腰を折るようで申し訳ないのですが、気になってしまいまして。その、“お迎え”というのは?」
12年もの月日が経っていても、私はドール文化を知って間もない初心者のままだった。特殊で、少し宗教染みた言葉に、さすがに気になってしまった。彼女が熱心に語ってくれる話も、頭には半分しか入ってこなかった。
「あ、そっか、初めてでしたよね。ごめんなさい。私たち“ドール者“の中でも、自分のドールを子供とか伴侶、生きた人間みたいに思う人たちの、さらに一部の人たち。ウェットな人達は、”購入”の代わりに、大切な子を“お迎え”するって言うんですよ。もちろん、大切に思っていても“購入“って表現する人もいますけどね」
「なるほど、お気持ちはわかる気がします。私にはまだ少し早い表現かもしれませんが…」
「いいんですよ、人それぞれです♪」
そう言って微笑む彼女に、胸のつかえが少し軽くなる。
「それでですね、今回は歌姫ちゃんの希望が1人だけ。男の子の希望が5人もいまして、4人分までは購入権利をお渡しできるのです」
「その、対価などは?」
「はい。まず交通費やイベント参加費、抽選券購入費、諸経費の一部負担を含めた手数料3万円。これはあくまで成功報酬です。歌姫ちゃんのお迎え資金13万円、合わせて16万円になります。ただ、みんな学生なのでクレジットカードを持ってなくて。前払いをお願いする事になってしまうそうなんです」
関西までの往復を考えれば、手数料はむしろ安い。だが…。
「前払い…ですか」
冷静な私は、ありえないと即座に判断した。購入が確約されているわけでもないのに、現物引き換えの後払いですらない。せめて手数料だけが妥協点だろう。
だが、待ってほしい。
すでに3回目の購入機会。長年の憧れ、歌姫の人形少女は、今後再び再販されるのだろうか。調べてみたが、再販されること自体が稀だというではないか。そんな中にあっての3回目の再販という事は、人気も高いのだろうが…それでも、3階ですでにあり得ないレベルとされる”再販”に、4回目があるか? 仮にあってもそれは何年後だ…?
私はドールの世界にまだ実際には足を踏み入れたこともない、初心者以前の存在だ。
互いに譲り合うような友人もおらず、彼女が垂らしてくれた蜘蛛の糸を掴み損ねれば、二度と…。
それに、もし彼女が高校生だとすれば、親は知っているのだろうか? 誰か保護者がきちんと監督できているのだろうか。余計な不安が頭をもたげる。知ってしまった以上、保護責任があるのでは、と。少し的外れなことまで考えてしまった。
「ご不安は当然だと思います。私も、いくら先輩の知人経由と言っても、心配で。彼女の免許証の写しをしっかり受け取っています。お支払いの時に、同じようにお渡しできると思います。あ、それに私の学生証もお見せします!」
そう言って身分証を取り出そうとする彼女を、私はやんわりと制した。
まだ受けるとも決めていない話に、そのような個人情報を、得体の知れない初対面のおじさんに見せるべきではない。
公的な身分証、それに現実の知り合いの介在。
身分証の提示にどれほどの信頼が置けるかというと、正直怪しいものだ。
しかし…。しかし、だ。苦学生や新入社員の頃であればいざ知らず、今は生活に余裕もある。無駄にして良いお金ではないが、相手は歌姫の人形少女、長年の憧れの君。
本当にいざとなれば、勉強代と割り切ろう。
そこまでして警鐘を鳴らす自分の良心をなだめすかし、私は応諾していた。
「わかりました。いえ、ありがとうございます。このお話、ぜひお願いさせていただけますでしょうか」
…
…
それから彼女に教えられ、流行りの“Twikker”という、画像付きで呟きを世界に向けて発信できるツールに登録した。
今後のやり取りをダイレクトメッセージ、DMという内緒の会話ツールで行うためだ。
もう一つの通話アプリも進められたが、こちらは仕事の関係もあって、認識している情報から個人的にお断りさせていただいた。
ついぞSNSのハンドルネームなど持ったことのない私は、本名の一部を取り「奈緒」と登録。以来、互いの本名も知らない彼女からは「奈緒さん」と呼ばれるようになった。
彼女のアカウントを見てみると、陰のある渋いおじさまドールと、若い目つきの鋭い男性ドールが半裸で絡み合う写真。
妖艶な美女と幼げな少女のドールが、おいしそうなミニチュアフードを食べる写真。
そして彼女自身なのだろうか。”コスプレ”をし、同じ衣装、同じ髪型をした女の子ドールと揃いのポーズをとる写真。
実にたくさんの愛情あふれる写真、いや、作品が並んでいた。
「怜奈さん、どの作品も大変素晴らしいですね」
「え、あ、ありがとうございます! かなり趣味丸出しなので、すごく恥ずかしいですけど。こういうお取引は信用問題なので、せめて私のメインアカウントでつながれればと思いまして。ご不快に感じられないといいのですが…」
なるほど。私が応諾した後も、彼女の身分証の提示を頑なに拒んだため、このような措置を取ってくれたのか。
かえって申し訳ないことをしてしまったのかもしれない。
「不快だなんてとんでもない。その情景を見る視線、共に映る相手のドールとの距離感、どのお写真も初学者な私にも確かに感じられる、愛情にあふれています。すっかりファンになってしまいますよ」
「も、もう、奈緒さんったら!」
断りを入れ、化粧室に立つついでに支払いを済ませておく。
別れ際、大層恐縮されたが、彼女は学生であるし、これくらいは当然だろう。
「では、後日改めてご連絡しますね」
その言葉の通り、翌日には購入枠の2番目の権利が私に譲られたこと。
代理購入を行うという、怜奈さんの先輩つながりの女性、松戸里香さんの学生証の写し。
そして「不安だと思うので一度お電話でお話をどうぞ」と、電話番号が送られてきた。
ここまでしていただいては、当時まだ30代半ばとはいえ、おじさん相手に電話で話すのは色々とまずいだろうと、いつものごとく、いらない気を回し、結局電話はせずに当日を迎えた。
正直、ここまで用意されていれば、悪さをするなら諸々対策済みだろう。としか、思えなかったのが本心だ。
…
…
初めての“お迎え“に不安な私を察してくれたのだろう。あれこれと、準備すべきものを教えてくれる怜奈さん。
この時の私は、代理購入の約束が成立したとはいえ、もともとが狭き門。抽選のうえでの限定販売ということも失念していたのだろう。要するに舞い上がっていたのだ。憧れの歌姫の人形少女と縁がつながったと。
彼女の勧めに従い、事前にいくつかのものを買っておいた。
ドールスタンド。先端がU字型になった金属の棒が、重しとなる台座にはめ込まれたもの。二足歩行の人間をモデルにしているドールは、自立できないため、股部分を支える支持台にあたるものだ。
普段着となる衣装。
「歌姫とはいえ日常の生活もあります。せっかくなら、ご自宅で一緒に過ごしている雰囲気のものを買っておくといいですよ」
彼女の言葉は、まるで神の啓示のように感じられた。なるほど、そうやってドールとの生活が深まっていくのかと感心した。
とはいえ、お洒落な衣装というのは、これもまた限定販売であったり、“ディーラー”という個人が、フリマのようなイベントで販売したりするという。いつでも気軽に手に入れることはできない。オークションでも、素晴らしい衣装はドール本体以上の価格になることもある。ドール生活が始まってもいない私は、さすがに時期尚早と見送ることにした。
結局、急ぎの準備と言い訳をして、無難なワイシャツとスカートをメーカー店舗の常設売り場で買うにとどめた。
「彼シャツ…意外とマニアック…!」と、怜奈さんが呟いていましたが、なんのことか。
こうして準備をする時間が、なんと楽しかったことか。
いよいよ愛しの君が迎えられる。さあ、私の準備は万端ですよ?
イベント当日、普段であれば暗澹たる気持ちで向かう客先へ、晴れ晴れとした気分で向かった。
どんよりと曇った空ですら、天使の梯子が天にかかる美しい名画の風景のように見えたものだ。
仕事先は軍事機密も扱う製造業。
PCやカメラ付きの携帯端末は、全て入館前に預ける必要がある。マシンルーム内での通話も厳禁。
万が一の連絡があってはと一抹の不安を覚えるも、怜奈さんの紹介であることだしと、信じ、割り切った。
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