2
……目を覚ますと、そこは見知らぬ天井。
「ここは……?」
柔らかいリネンの感触。眺めていた天井はベッドの天蓋のようだった。ベルベット生地のそれには、魔法使いの杖をクロスさせた意匠の紋章が織り込まれていた。窓から差し込む陽の光は、どこか幻想的な輝きを持っている。周囲には木造の家具が並び、部屋の装飾は中世ヨーロッパ風だ。
(……なんだ、既視感あるな)
ゆっくりと体を起こすと、さらに違和感を覚えた。体がやけに軽い。いや、短い。そして、視界の端に映る手――それは自分のものではない。小さくて白い、子どもの手だ。
「えっ?」
細い腕、小さな手。触ってみると、顔の輪郭も変わっている。慌てて部屋の隅にあった鏡を覗き込む。
映っていたのは、見知らぬ少年の顔だった。まとう寝巻きこそやや高級そうだが、平凡な目鼻立ちで、瞳の赤紫が少し珍しいくらいの、ごく普通の少年――。
(……俺は誰だ?)
混乱しながらも、部屋の外からは人の話し声が聞こえてくる。扉を開けると、廊下の向こうには広がる石造りの館。そして、使用人らしき人々が忙しなく行き交っていた。
(この世界……どこかで見たことがある)
見覚えのある風景。いや、これは――
「まさか、俺の作ったゲームの世界……?」
先ほど資料で見た『ジャルダン・デ・ローズ』の映像に酷似していた。しかし、違和感がある。もし本当にゲームの世界なら、転生するのは錚々たるイケメンのはず。だが、自分の姿は明らかにモブのそれだった。
不安を抱えつつ再び鏡を見つめる。十歳前後だろうか。フリルの寝巻きがまったく似合わない黒髪に三白眼。目の色がやや特徴的なことを除けば、素朴な顔立ち。
(……待てよ。この顔、どこかで見たことが……)
必死に記憶をたどる。やがて、あるワンシーンが脳裏に浮かんだ。
このゲームの一番人気の攻略対象、第二王子アーベル=ミシェル・ド・ロベール=ロレーヌのセリフ内に出てくる友人――ゲーム内で王子が何気なく言及するモブキャラ。
当然、最初はキャラグラフィックなんぞなかったが、リメイクの際に「衛兵A」(俺の顔に似ていると社内で少し話題になった)のカラーバリエーションで用意したはずだ。
「いや……生まれ変わるにしたって、なんでこのキャラ……」
もう少しモテそうなキャラで転生させてくれたっていいだろ。あんまりな展開に、膝から崩れ落ちる。
俺の新たな人生は、まさかのモブキャラとして幕を開けた。
俺が転生した少年の名前はリュシアン・ルルワ。現在十歳で、一か月後に王子も入学する王都の学院に入る予定のようだった。慣れない子どものふるまいや、周りの大人たちの会話に振り回されているうちに夜になり、まぶたが重くなってきた。
(考えてみりゃ、夢かもしれねえしな。このまま眠ったら現実世界に……)
そう考えながら、静かに目を閉じ、眠りに落ちた。
次に目を開けたとき、そこに広がっていたのは――現実とも幻想ともつかない、白銀の空間だった。
「目が覚めましたか」
透き通るような声が響く。目の前に立っていたのは、純白のローブをまとった人物。漆黒の長い髪がふわりと揺れ、精悍な美貌が輝きを放っている。榛色の瞳が、どこか底知れぬ知性を感じさせた。
「あなたは……?」
「私は、この世界を司る女神よ。ツクヨミと呼んでね」
女神と名乗るその人物は、ノリのいい感じで微笑み、俺にウィンクをした。
「えっと……女……神?」
俺の前に立っている人物は、確かに女神らしい白いローブを着て神々しさと美しさを兼ね備えていた。だが――
「なによ?」
聞き間違いじゃない。声が低く甘いテノールのイケボなんだが……? 喉には喉仏。よく見ると、宙に浮いているのかと思ったがそうではなく、単に身長がものすごく高い(多分180はある)ので、見上げないと顔が見えないだけだった。
「そうねー、『女神』って呼ばれることが多いけど、神というよりは厳密には“大きな神性を持つ存在”ってところかしら。あなたは死にました。そして、私の導きによってこの世界へ転生したのです」
「まあ、本人がそうだというのなら別にいいのか……てか、転生!?」
「そ。あなたは元の世界で命を落としたの。でも、偶然にもあなたが作った世界に縁があって、ここへと導かれたのよ」
「俺が……作った世界? ジャルダン・デ・ローズの世界に?」
女神は静かに頷く。『ジャルダン・デ・ローズ』。通称バラ庭。中世ヨーロッパではなく17世紀くらいの貴族社会を舞台にしていたが、「制服着せたいから学園もので作れ」と前日に無茶振りされた俺のシナリオデビュー作だった。
いや、ちょっと待て。この第二王子のセリフに出てくるモブキャラって……確か……
「……一つ、聞いていいか?」
「何かしら?」
「俺は、この世界で殺されるのか?」
第二王子は表向きは爽やかな好青年だが、実際は粘着質で依存気味な性格をしており、どの選択肢を選んでも友人たちは……。
女神は静かに微笑んだ。その長身を悠然と伸ばし、俺を見下ろす。
「ええ! このままだと、良くて火刑、悪くて牛裂きね!」
「あああああああ! やっぱりか!」
「鉄の処女じゃなくてよかったわね~」
「いや、鉄の処女は後世の創作物にしか出てこないから実在が疑われてて……って、そんな話はどうでもいいんだよ!」
女神の目をまっすぐに見つめ返す。
「俺は、どうすればこの世界で生き延びられる?」
女神はまた静かに微笑んだ。
「それは、あなたの知る物語の知識をどう使うかにかかってるわ」
なるほどな。そもそも俺が作った世界で、俺が作った筋なわけだから、そこを改変していけば生き延びられるわけだ。
女神がにっこりと笑う。
「どうか、あなたの新たな人生に幸運があらんことを」
「いや、ちょっと待て」
女神の姿が次第に淡くなり、佐々木の意識も再び闇へと沈んでいった。
――そして、目が覚めたとき、彼は再びあの世界にいた。
佐々木はゆっくりと起き上がり、額に手を当てた。
(さて……まずはどうするべきか)
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