転生悪役モブは溺愛されんでいいので死にたくない!

煮卵

契約終了の日までに社内で使用していた荷物をまとめ、返却するものは箱に入れて総務課に提出せよとの通達だった。ファイルや備品のペン立てなどが入った段ボールを、元・俺の机だった場所に置くと、後輩の笹本が話しかけてきた。

「何か手伝いましょうか?」

「いや、大丈夫だ。資料類は社内ドライブにほとんど入っているから、そんな大仕事ってわけでもない」


机の上のものも、ほとんど持ち帰るものはなかった。過去のプロジェクトのPR資料で一部持ち帰りたいものもあったが――変に持ち帰って後から問題になっても面倒だ。シュレッダーにかけなければ。


いつも満杯のランプがついているシュレッダーの中を開け、袋を入れ替える。

シュレッダーくずでいっぱいになった袋を笹本が持って行こうとしたので、止めた。


「ああ、いいって。俺が後で二袋まとめて持ってくるから」

「でも」

「おまえも新しいシリーズの開発に入ってるだろ」

「まだ忙しくないんで。なんか手伝いますよ。

佐々木さんにはお世話になったんで」


笹本は10歳下の後輩で、会社が初めて採用した新卒正社員だ。

俺は派遣社員ながらそこそこ勤めていて、ろくに新人研修もなく放っておかれている新人がかわいそうだったので、ちょくちょく声をかけて仕事を頼んだりしていた。そのつもりはなかったが、向こうは「お世話になった」と思っていたらしい。


「……そ、サンキュー。じゃあホチキス外してくれる?」


ペーパーレス化で紙の資料も最近減っていて、残ったものは古いものしかなかった。小刻みに震えるシュレッダーに、過去の作品の資料が次々と飲み込まれていく。

笹本がホチキスを外し、渡した1枚の資料に手が止まった。


「ジャルダン・デ・ローズ」と簡素に書かれた1枚は、資料の中でもとりわけ懐かしいものだった。


この会社に入って最初に手がけたゲームだ。本格ファンタジーを手がけたいと思って入社したが、第二王子アーベルのイケメンなセリフを百本書かされる羽目になり、社会の厳しさをいろいろな意味で教えてくれた作品だった。

王子の衣装数種類のほかに、市井の人々のイラストも載っていて、思い出に浸っていると不意に笹本が話しかけてきた。

「このモブの顔、佐々木さんに似てるって話題になりましたよね」

「モブ顔だってか? ほっとけ」

「いやいや、そういう意味じゃなくて……これから、どうするんですか?」

「どうするって?」

「仕事とか……」

「ああ……」

「友人の会社が、インディーのゲーム会社を立ち上げて、シナリオライターを探しているんです」

「いや、東京の部屋を引き払って田舎に帰ろうかと思っててさ」

「実家、千葉の方でしたっけ? 一部リモートでも大丈夫なんじゃないかな」


ガタガタと、平成後期に流行った絵柄のキャラクターたちがシュレッダーに飲み込まれていく。


「おやじの介護があるから……ゲーム業界はもう無理かな」

しんと静まり返った二人の間に、資料が裁断されていく音だけが響いた。


「激務だしさ。俺だってもう歳だから」と笑い、バラバラになった過去の仕事を袋に詰めて口を縛った。


地下にあるゴミ収集場所には笹本が持って行ってくれたので、そのまま各部署にあいさつして回った。そっけなくされたり、涙を浮かべられたり、全然関係ない最近やったゲームの話で盛り上がったりして、あっという間に最後の終業時刻を迎えた。


妙に清々しい気分だった。


都内のアパートに戻る。通勤の都合だけで借りた築40年のボロアパート。

アパートの郵便受けに一通の白い封筒が届いていた。会社の後輩の名前と、隣に見知らぬ女性の名前が書かれている。

開けると結婚式の招待状だった。レストランを貸し切ったウェディングパーティーのようで、会費制らしい。


(会社で渡せば郵送費タダだったろうに。てか、会費制の場合ってご祝儀いるんだっけ?)


結婚式の招待状に返信するのも久しぶりで、書き方を忘れていた。

スマホで調べるが、家の中のせいか電波が悪い。スマートフォンを掲げてみるが、電波は相変わらず悪いままだった。


(なんだよ、またか。大家に言ったほうがいいのか……いや、どうせ改善しないか。俺はもう引っ越すし)

ため息をついてタバコを取り出し、窓を開ける。

春先のまだ冷たい夜の風が部屋に吹き込んだ。

(引っ越してきたのもこれくらいの季節だったな)

十年間、仕事が忙しくて土日も仕事だったから、大した時間戻ってきていないが、それでも愛着のある窓からの景色だった。

(それも、もう終わりか)


視界の端に動くものがあった。

「……猫?」


今は空室になっている隣の部屋の手すりの上に、一匹のサビ猫がいた。

細身で、汚れた毛並み。どうやら野良猫らしい。だが、問題はそこではない。


猫の足場はあまりにも不安定だった。体を揺らしながら、今にも落ちそうになっている。


「おい、大丈夫か?」


声をかけると、猫は驚いたのか足を滑らせた。

前足で必死に手すりにしがみつこうとするが、爪が空を切る。

(やばい!)

「あ……すまん」

俺は反射的に身を乗り出し、猫を掴もうとした。


その瞬間、老朽化していたのか、体を支えていた手すりが外れバランスを崩す。

「えっ……?」

世界が逆さまになる。

風が一瞬、耳元を吹き抜け、重力が体を引きずり込む。


視界の隅で、猫はなんとか踏みとどまったのが見えた。

––次の瞬間、衝撃が全身を襲う。

俺の意識は、暗闇に沈んでいった。

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