第4話 聖騎士がこんな世話焼きとは聞いてない②




「……!」


 次に目覚めたときには、窓の外が真っ暗になっていた。魔道具の灯りが弱く室内を照らしていて何か食欲をそそるいい匂いがする。

 ごそごそと布団から顔を出すと、ライオネルがカトラリーを手に食事をしているところだった。

 小さなテーブルに皿をひとつ置いて、優雅に食事をしている……と思ったがその皿の上が異様だった。

 前菜からメイン、デザートまであらゆる料理を一緒に盛り付けさせたらしく、皿の上は残飯より酷い有様だ。

 料理人が見たら泣きそうなことしやがる。他人事のはずなのに同情してしまった。


 でも、そんな状態にも関わらずライオネルは優美さを失わない。フォークを持つ手の曲線、淡い光に照らされる横顔、アイスブルーの瞳に影を落す銀色の睫毛……どこを切り取っても絵画のようだ。

 いや、このままの光景を書き写すことができる画家がいたら、どこの貴族も引っ切りなしにこの絵を注文するだろう。まるで神殿のような清廉な空気が流れているように感じた。


 ……一瞬、時が止まっているような錯覚に陥る。しかしすぐにその空間は破られた。


「起きたのか。腹は空いてないか? 君の分の粥もあるんだが」


 話しかけられてハッと我に返る。

 なんだ、寝ぼけたのかオレは?


「……」

「いまスプーンを持ってくるから……」


 近づいてきたライオネルを警戒して、慌てて布団の中に潜り込む。

 しかし腹は減っている。こいつがかけた治癒魔法のおかげで、身体の痛みがないだけマシだ。

 さっき起きて水をもらったときよりだいぶ体調もよくなっている気がした。

 切り傷より、殴られて動けなくなったあとは痛む期間が長い。効き目のいい高価な薬なんて手に入らないから、いつも自然治癒だった。

 こちとら殴られ慣れ過ぎて回復までの期間を目算するのが得意になってたんだが。

 今回は大幅に外れそうだ。痛みを消す魔法はかけ直さないといけないってのが面倒だが、このぶんならすぐに出ていけるだろう。


「いらねぇ」

「しかし……何か食べたほうがいい」

「じゃあそこに置いて、失せろ」


 まだ上手く動けない状態でこんな態度を取るのは、得策ではないとわかっている。

 なるべくならライオネルに媚びて、拾われたことを感謝した風に見せかけて、怪我がある程度よくなるまで数日ここに隠れる方が絶対にいい。

 そう頭ではわかっていても、どうしても無理だった。

 オレがライオネルに媚びを売る?

 男娼のようにしなをつくる自分を想像するだけで吐き気がした。それなら正体がバレて射殺しそうな目で見られるほうがマシだ。


「……かわりにバージルを連れてくる。それなら食べるだろう?」


 急に知らない名前が出てきて訝しんでいると、ライオネルの気配が部屋から消えた。

 そろりと布団から顔を出し、テーブルに置かれたままの粥の皿に手を伸ばす。


「お待ち下さい。そのままでは零れます」

「……」


 さっきの黒髪の男に声をかけられた。こいつがバージルだったのか。

 ライオネルに呼ばれて慌てて来たらしく、扉を開けた格好で固まっている。

 しかも片手にスプーンを持たされていて滑稽なことこの上ない。しかし仕事はきっちりやる性格なのか、ベッドの傍の椅子に腰掛け粥の皿を手に取った。


「満腹になりましたら首を振ってください。それでは、ひと匙はこのくらいで宜しいですか?」


 スプーンに半分ほど掬われた粥を見てオレは頷いた。顔にも包帯が巻かれているからあまり大きく開かないのを、この男はわかっているらしい。

 やはりよく気のつく男だ。ライオネルが執事として雇っているんだろうか?

 黒髪の男が運ぶ粥は火傷するほど熱くはなく、かといって冷めてもいない絶妙な温度だった。


 バージルと呼ばれたこの男は黒いスラックスに白いシャツ、ベストというお仕着せのような服装をしている。金持ちのことはわからないが、おそらく執事か家令かそんなところだろう。

 年齢は二十代後半くらいだろうか。黒髪は襟足短めにすっきりと切り揃えられていて清潔感があり、黒い瞳の目元は涼やかで切れ長だ。

 肌の色が若干黄色みがかっているので、東方の異邦人の血が入っているのかもしれない。貴族の家の使用人なのだから身元のしっかりした商家の出か、はたまた没落した貴族か。

 バージルからは育ちの良さが感じられた。間違っても、オレみたいな奴隷上がりの悪党を世話させる身分じゃない。


 黙々と食べていた粥が、皿から半分ほど減ったあたりで満腹になってしまった。

 ここしばらくまともな食事をしていなかったせいか量が食べられなくなっている。

 しかし出された飯を残すなんてオレには考えられない。

 次いつ食べられるかわからない生活が続いたせいで、食べられるときには吐く寸前まで食べるのが癖になっていた。

 そのためオレは淡々と口を開けて粥を要求し続けた。大丈夫だ。これくらいの量なら問題なく食べられる。

 そう思った矢先、唐突にスプーンが止まった。


「満腹でしたら首を振って下さい」


 少し咎めるような口調に聞こえた。枕によりかかって少し起こしていた身体が、無意識にビクッと震える。

 どうも満腹で飲み込みが遅くなっていたのがバレたらしく、バージルは無言でスプーンを置き皿を下げてしまった。

 ああオレの飯が、と名残惜しく視線で追っていたらバージルにそっと顎を掴まれた。白い布巾で口元を拭われる。


「お客様、ここはライオネル・ヴァンフォーレ様が個人的に所有されているお屋敷でございます。坊ちゃんが貴方様を客人と仰る限り餓えることなく食事は提供されますし、誰からも痛めつけられることはございません。安心してお過ごしください」

「……」


 その『坊ちゃん』がオレの正体に気付いたら、当然のように剣を向けてくるだろうしお前たちも一斉に襲いかかってくるんじゃないのか。

 オレは嘲笑に見せるため歪んだ笑い方をしてそっぽを向いた。

 そんな態度にもバージルは何も言わず、食器類を片付けて部屋を出て行った。


「『坊ちゃん』ねぇ……」


 オレの知ってるライオネルといえば、騎士団の鎧を身につけ悪党を追いかけ回す聖騎士ライオネル・ヴァンフォーレだ。

 民にとっては輝かしい白銀の副団長サマだが、あいつの執着は普通じゃなかった。噛み付いたら離さない川辺のワニみたいに、執拗にオレを狙ってきた陰険野郎だ。

 それがこの屋敷じゃあ『坊ちゃん』なんだとよ。あいつ年齢いくつだっけか。十代じゃないと思うがあの呼び方、ガキの頃から変わってないんだろうな。

 このおかしさを誰に伝えたらいいものか。ゼファーが生きていたら腹抱えて笑っただろうに、もうあのじじいは傍にいない。


「……」


 はあ、とため息をついてオレは布団に横になった。

 ――自分の立場を思い出せ。

 そうやってくり返し刻み込んだ。そうしていないと勘違いをしてしまいそうだった。

 ここへ来てから、ライオネルの態度は今まで見たことのない、不思議なものばかりだ。調子は狂うし居心地は悪いし最悪だ。

 懐柔されてる場合じゃないだろ。早くここを出て、オレにとっての『普通の暮らし』に戻らなくては。毒されたら辛いのは自分だ。


「早く、治さないとな……」


 悶々と悩んではいたが、幸い睡魔はすぐにやってきて、オレは身体の求める休息を素直に受け入れた。



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