第3話 聖騎士がこんな世話焼きとは聞いてない①




 目を開けると、新緑のような色の天井が見えた。一瞬自分がどこにいるのか分からず、まだ夢の中かと訝しむ。


「……ッ」


 視線を巡らせようとして全身に激痛が走り、小さく呻いた。

 痛みを消すとかいう治癒魔法が切れてやがる。

 身体を起こすのは無理そうだ。

 もともと動かなかった右腕は添え木をつけてガチガチに包帯で巻かれている。壊死して切断したかと思ったが、まだ腕ついてるだけ良かった。

 夢うつつに、骨はくっついたと聞いた気がする。


 視線だけ忙しなく動かしてみるが、顔にも包帯が巻かれているせいで視界が狭い。見える範囲にあるのは強い太陽の光が差し込む両開きの窓と、アイボリーのカーテン、自分の寝ているベッド、柔らかい枕、水差しの置かれた小さなテーブルくらいだ。


「……ぁ、……」


 水を見たら急に喉の乾きを思い出した。熱が出たせいなのか喉がカラカラで、口の中が張りつくようでとにかく水が欲しかった。

 左手を伸ばして水差しを取ろうとするが、遠くて届かない。


「クソ……ッ」


 小さく舌打ちをして身体をそちらに動かすと、背にも激痛が走った。呻きながらシーツの上で左手を握り込む。

 ふいに部屋の外から足音が聞こえてきた。

 カツ、カツ、カツ、と規則正しい音だったのが急に間隔が短くなりはじめ、最後は走るような速度になった。それはこの部屋の扉の前で止まると、勢いよく両開きのドアが開く。


「ああ、起きたのか。良かった……!」

「……」


 入ってきたのはライオネルだった。足音から予想していた相手だ。しかしその満面の笑みはいただけない。

 喜びをあふれさせている様子が眩しくてオレは目を眇めた。……こいつ、貴族の屋敷にいる毛並みの良い大型犬みたいだ。

 狭い視界で目をこらすと、今日も貴族令息のような服装だった。柔らかなドレープの白いシャツと黒いスラックスを身につけている。ずっと騎士団の鎧姿しか見ていないから違和感が半端ない。

 こいつ、本当にオレの知るライオネルか? 自信がなくなってきたな。


「本当に良かった。……水が必要か? 今持っていく」


 ライオネルはベッドに近寄ってきて水差しを取ると、吸い飲みに移してからベッドに近寄った。ぐん、といきなり綺麗な顔が近づいてきて心臓が跳ねる。

 さらさらとした銀髪が頬に触れそうなほど、近くにあった。

 オレの包帯が顔まで巻かれていて表情が見えなくて助かった。


 こら、ライオネルはオレの頭を起こそうとしただけだ、おちつけ。


 バクバクと跳ねた鼓動を何とか鎮めようと努力する。

 後頭部を少し持ち上げられ、ガラスの吸い口が唇に触れた。

 そこまでは良かったが、一気に傾けるので当然オレの口からは水があふれた。


「……っ、ぐ、……ゲホッ」

「あっ、す、すまない。なにか拭く物を……」

「坊ちゃん、こちらへお貸しください。慣れないことはするものではないですよ」


 スッとライオネルの後ろから布巾が突き出てきて、誰かが咽せたオレの口元を拭ってくれる。

 ライオネルの後ろから黒髪の男がぬっと出てきた。そして吸い飲みを奪うと、オレの側に顔を近づけてくる。

 背を支えられ身体全体を起こし、クッションを背にぎゅうぎゅう押し込まれた。それに寄りかかって身体を起こすとだいぶ身体が楽だ。


「まだ水は必要ですか。お手伝いをさせて頂きたいのですが」

「……」


 こく、と頷いて見せると吸い飲みの先端がオレの唇に当てられた。ポタポタ、と滴るくらいの速度で与えられる水を貪るように飲む。

 息をするように口を開けたら一度吸い口が離れ、オレが細い息を吐くとまた添えられた。なるほど、ライオネルがやるよりずっと飲みやすい。

 視界の端で隻眼の男がこっちを凝視しているが無視だ。お前が下手だからいけないんだろうが。


 要らない、と首を横に振るまで黒髪の男はオレに水を飲ませてくれた。

 ようやく人心地ついて視線を上げると、しょげたような表情のライオネルがベッド脇に立っている。自分がやりたかったのか、名残惜しそうに吸い飲みを見てるがオレはもう水は必要ないからな。


 ライオネルも黒髪の男も長身なので、ベッドの両側で立たれると威圧感が凄かった。ふい、と目を逸らして左手で布団を引き上げる。

 顔を隠すように、柔らかい布団の中に潜り込んだ。回復すればさっさと出ていくのだし、顔はなるべく合わせないほうが良いだろう。


「あっ……」

「坊ちゃん、三日も寝込んだ方にまだ会話は難しいでしょう。眠らせてください」

「……ああ、わかった」

「坊ちゃん?」

「ここにいるくらい良いだろう? 無理に起こしたりしない」


 ガタガタとベッド脇に椅子を持ってきて座る気配がした。思わず布団の中で顔を顰める。

 そこでずっと監視してるつもりかよ!

 オレの内心の悲鳴も知らず、黒髪の男の小さなため息が聞こえ、彼はライオネルを置いて部屋から出て行ったようだった。

 ちょっと待て、連れてってやってくれ。

 ライオネルが立ち上がり、また座ったりする音が聞こえていた。その気配はどうにもソワソワとしていて落ち着かない。


 ――不意に、被った上掛けに大きな手が触れた。

 フワッと魔力が流れ込んできて全身の痛みがやわらいだ。あの魔法だ。


 ライオネルの手は、ポン、ポン、と軽く動いて振動を響かせるとすぐに離れていく。なんだ、これをかけようとして近くをうろついてたのか。

 礼を言う気にはなれず、オレは息を殺して布団の中で丸まっていた。こういう態度なら愛想を尽かすのも早いかもしれない。


「……」


 ライオネルは再びベッド脇の椅子に座り、何か本でも見ているようだ。ページをめくる小さな音がしている。

 同じ部屋の中にこいつがいるなんて、寝にくいに決まってる。こんな状態で安心して寝られるものか。

 ……バクバクとうるさい心臓を抱えつつそう思っていたオレは、それでも疲労と眠気には逆らえず、ウトウトと瞼を落してしまった。






 正直、オレは甘かった。組織から逃げ出せば何とかなると思っていた。

 でも身体が言うことを聞かなければ意味がない。まさか一歩も動けなくなるとは、予想以上に体力が落ちていたらしい。

 ゼファーが死んでから数ヶ月、ろくな食べ物を口にしていなかったせいか。それとも眠る時間のほとんどを殴られた傷の回復に費やしていたからか。とにかく誤算だった。

 そしてなにより予想外で最悪だったのが、あの聖騎士サマのご登場だ。まさかあいつに拾われるとは、本当についてない。


 ライオネル・ヴァンフォーレとは『夜の牙』での仕事の関係で何度か顔を合わせている、因縁の相手だった。

 向こうは悪党を捕まえる騎士団、こっちは暗殺を生業とする組織だ、どういう関係かは言うまでもないだろう。

 仕事の最中、オレたちは黒い覆面をしているから、ライオネルはこちらの顔を知らない。でもオレたちからは、白銀の鎧に身を包んだライオネルの姿が網膜に焼き付くくらい鮮明に見えていた。


『君は、まだ子供だろう! そんなところで何をしている!』


 鉱山を出てゼファーと共に仕事を始めた最初の頃、まだ副団長にもなってないライオネルがオレを見つけてそう怒鳴った。

 ハッキリ言って、呆れた。他の奴らより二回りくらい小さいオレの身体を見てそう言ったのだろうが、だからどうした、と思った。子供だろうが大人だろうが、腹は減るし金は要るし、悪事にも手を染める。

 この騎士はそんなことも解らないらしい。


『うるせぇ! ガキだって立派な悪党になれんだよ!』


 ポカンとしたライオネルのバカ面を見てオレは笑った。闇魔法を使って姿を隠し無事に逃走した後は、ゼファーが大笑いしてオレの頭をぐりぐり撫でた。

 啖呵たんかを切ったのはライオネルにむかついただけで、別に強い信念があるとかじゃなかったから、少し居心地が悪かった。


 それから、だ。ライオネルは『夜の牙』が関わる事件には何でもかんでも首を突っ込んでくるようになった。

 そして他より小さくて目立つオレを見つけると目の敵にしてきた。騎士団の他の奴らにも、魔法を使って補助をしているのがオレだとバレたらしく集中攻撃を受けることも多くなった。

 それも、捕縛を目的とした攻撃ばかりだ。

 捕まったら何に利用されるのか解ったもんじゃない。

 ゼファーはすぐにそれに気付いてオレを表に出さないようにしたが、どうしても出て行かざるを得ない仕事もあって、その度にライオネルはオレを捕まえようとした。

 不毛な追いかけっこは毎回闇魔法で姿を眩ますオレの連戦連勝だった。


 ライオネルは何故オレを執拗に追い回してくるのか。

 ……その疑問は、酒場の噂で解決した。

 どうやらあの男はオレに逃げられるたび王に叱責され、他の貴族たちからも役立たずの汚名を着せられているらしい。

 どこまで本当か知らないが、騎士の名誉がかかっているとなれば必死にもなるかと妙に納得してしまった。

 聖騎士ライオネル・ヴァンフォーレが悪党のオレに執着する理由、そんなもの解ってしまえば呆気なかった。

 クソほど軽い、メンツを守るってだけのこだわりだ。

 オレは少しだけ落胆して、でもそう感じた自分に疑問が残って、このことにはフタをすることにした。


 ……そして、あの事件が起きた。

 ライオネルの右目はオレのせいで矢に貫かれ、眼帯をするようになった。奴はその時の怪我が原因でそのうち騎士団を止めたらしい。

 酒場でその噂を聞いた時ゼファーは既に組織にいなかった。

 オレは他のことで手一杯で、面倒がひとつなくなって良かったなと虚ろに笑っただけだった。

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