第5話 謁見とかもう少し慎重にできないか①
朝日が差し込む窓辺で、ライオネルが櫛を手にしている。
抱き上げられてソファまで運ばれたオレは、大人しく髪を梳かれていた。腰まである長い髪は、絡まると面倒なんだ。
数日前まで血や汚れで固まっていたはずの毛束はライオネルによって丁寧に解かれ、今は香油をつけてくしけずられている。
見たことのない艶まで出て、オレの髪じゃないみたいだ。
「ネロ、君の髪は本当に不思議な色だな。この美しい黒が地なのか
「無駄口叩くなら触るな」
「ああ、すまない。真面目に梳くからもう少し。もう少しだけ……」
「……」
オレがこの屋敷で目覚めてから、ずるずると居続け四日が経っていた。
これでも出て行く意志はあった。ただ、こっそり出て行こうとするとバージルかライオネルが必ず立ちはだかる。
そして怪我が治っていないからと引き留められ、軽々と持ち上げられてベッドに戻る羽目になるのだ。
それに一日一回、ライオネルがかける痛みを消す魔法は続いている。
治りきってないのは確かだからまあ、仕方ないんだが。まだ体調が戻ってないから魔法も使い難いしな。
しかし、なんで出て行こうとしたのを察知されるんだ? それだけは解せない。オレは魔法を使わない状態でも、本業は一応暗殺者だぞ。
「今日もリボンは私が選んでいいかな」
「好きにしろ」
明るい日差しが差し込む昼食後、物好きなライオネルは嬉々として櫛を動かしている。オレの髪なんか梳いて何がそんなに楽しいんだお前は。
しかもこいつ、一日に何度も名前を呼んでくる。これはもしかしてペットみたいな扱い……ってことか?
初日からしつこく名前を聞かれていたので、ゼファーがつけた『ネロ』という名前を教えていた。
騎士団に『夜の牙』の内部の名前はバレてないから大丈夫だろう。奴らにとっては『悪党の闇魔術師』が組織にいるという認識でしかない。
ちなみにこの名前、市井には掃いて捨てるほどいる一般的な名だ。
適当な偽名を名乗っておいて呼ばれた時に上手く反応できないとか、そういう違和感をなくすためにコレにした。
親がつけた本名はとっくに記憶の彼方だった。
五歳から誰も呼ばなきゃ、まあ忘れてくもんだよな。
とにかく、このベッタリなライオネルを引き剥がしてそろそろ本気で出て行く算段をする頃合いだ。体力さえ戻れば魔法を使うのも苦じゃない。
もう起き上がることはできるし歩行にも問題はなさそうだし。
折れた腕だけまだ添え木が必要らしいが、じきに外せるだろう。治癒魔法なんて高価なもん使ってもらってるおかげか、本当に回復が早かった。
出て行けと言うなら明日にでも行けそうだ。正体不明の居候とか普通の貴族は嫌がるよな? なんでオレはこんな歓待を受けてるんだよ、意味わかんねえ。
しかし家主のライオネルはのんきにオレの長い髪を櫛で梳いてはリボンでまとめている。
朝は気付くと部屋にいるし、食事を毎回この部屋で一緒に取ろうとするし、オレが動けるようになってからは庭の散歩にもついてきていた。
監視のつもりかと身構えたが、気遣うように俺の背を支える様子に悪意は見えなかった。隠し通しているんだとしたら相当な策士だ。
「ああ、やっぱりリボンは銀が似合うな」
ライオネルは出来映えに満足したようにシルクのリボンを撫でた。
オレの髪は、黒髪に赤髪が混ざったような妙な色をしている。そして長い。十歳から手入れしつつゆっくり伸ばしているので腰まであるんだ。
長髪は正直面倒なんだがこれにはちゃんと理由がある。
ゼファーが言うには、魔術師の髪やヒゲは魔力を溜める役割があるんだとか。できるだけ長く伸ばし、魔力を溜め込んで使う方が良いと、ゼファーは時折オレの髪の手入れもしてくれた。
そうしないと絡まるしごわつくし、下手すれば切らないといけなくなる。
髪に魔力なんて、眉唾な話じゃないかと最初は思わなくもなかったが、オレはもともと黒一色の髪をしていた。
それがゼファーに魔法を教わってから、魔法を使うと髪に赤い束が混じるようになったんだ。魔力が枯渇するまで魔法を使いまくると、黒髪は全部鮮やかな赤に変化してしまう。
そしてまた、魔法を使わずにいるとゆっくり赤髪に黒が混じり始め、真っ黒に戻る。
カキアの阿呆が魔力回復を待たず働かせ続けるせいで、オレの髪はしばらく赤色になっていることが多かった。
ただ、逃げ出した夜は仕事がなかったから、珍しく黒みの多い髪をしていたはずだ。ライオネルはそのせいでオレの地毛が黒だと思ったようだ。
今もよく休んだおかげで黒髪に赤い筋がいくつか入ってるくらいの色合いになっている。そろそろ全快だろうな。
「坊ちゃん、団長からご連絡が」
「ああ、今行く」
オレに銀刺繍のリボンを結んで満足したライオネルは、櫛を片付けて慌ただしく部屋を出て行った。相変わらず騒がしいやつだ。
暇なときバージルに聞いてみたところ、ライオネルはオレより五つ年上だった。つまり今二十三だ。それで副団長ってのは破格の待遇だろうな。貴族の地位のせいだとやっかみも多く受けただろうなと容易に想像ができる。
しかしそうは言ってもライオネルは民衆人気がすこぶる高い。
なにしろ生まれながらの祝福持ちだ。人気取りのハリボテとしての役割なら十二分に果たせたはず。騎士団が市民からの人気を気にするのかというと、ないよりは仕事が楽、という程度だろうが。
その民衆人気がなぜ衰え知らずかというと、まずライオネルは顔が良くて見栄えがする。それだけでなく人々に公平で優しく、職務にも真面目に取り組んでいることが評価されていた。
オレみたいな悪党にとっては鼻について仕方ないが、街の人々には尊いものに見えるんだそうだ。だから余計にいけ好かないんだが。
『仕方ないな。すぐに向かうことにしよう。バージル、用意を頼む』
『はい。向かう先は騎士団の詰め所でしょうか、王城でしょうか』
『王城だ。……それなりの格好で頼む』
『かしこまりました』
手の上に停滞した黒い煙のようなものから、ライオネルとバージルの声が小さく聞こえてくる。この煙みたいなやつは簡単な闇魔法だ。これを対象の影に縫い付けると、その者の周辺の音や風景がこちらで見えるようになる。
闇魔法の中でも最も魔力消費が少なく、盗み聞きにのみ使える変な魔法だった。
ただしこれは距離が遠くなると得られる情報が少なくなるので、なるべく対象と近づいて使う必要がある。今は声だけに絞っているが同じ建物内にいればかなり鮮明に映像も見ることができる。
「ネロ様、お着替えをお願いします。包帯も変えますのでどうぞこちらへ」
「……は?」
さっきまでライオネルの元にいたはずのバージルが、部屋の扉を開け放ってオレに近寄ってきた。
「急拵えではございますが、完璧に仕上げてみせます」
「……え?」
ギラギラと光るバージルの目は本気だった。
そのまま服のたくさんかかったクローゼットのような部屋につれて行かれ、あれこれと服を身体にかけられる。
そして最終的にひらひらした白いシャツにベスト、後ろだけ丈の長い黒のコートにピカピカの靴まで履かされて部屋から送り出された。
ちなみに添え木のついた腕はドレープのきいたシャツだけ着て、上着には袖を通していない。
腫れは引いているとはいえ、顔はまだ治りかけで見苦しいのか、目元や口を残して包帯で巻かれていた。
屋敷の外には馬車が用意されていて、騎士団の正装に着替えたライオネルが傍で待っていた。恐らく式典なんかで着る服なんだろうな。
金糸銀糸のふんだんに使われたモールや刺繍は目を引くし、大きなサファイヤの輝くピンで濃紺のマントを留めている。
それがライオネルの銀髪によく映えていた。他の騎士の正装は見たことがないが、これはライオネルのためにデザインされたのではないかと思うくらいだ。
馬車の前にいたライオネルは、こちらに気付くとパッと顔を上げて微笑んだ。
「うん、とても似合っている。バージルの見立ては間違いないな」
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