第36話 奇妙な褒美
そもそも、敵を森に引き込んで殲滅するという作戦を考えたのは、アニスだった。
王都のパルシャガル近郊まで敵の大軍の侵攻を許すのは本来、軍事的・政治的に得策ではなかった。
おまけに、北門からの、ノルデンの軍相手の撤退戦は、困難を極めるというのがその理由だった。
これをうけて策士のアルフレッドが、リマルと協力して森の要塞化を担当。
砦や掘・土塁は、現地の領主の協力や、塩坑の坑夫・地元の住民の尽力のおかげで堅固に造られ、策は見事に功を奏した。
「すべて目論見どおりとなりましたな」
アルフレッドたちと一緒にいるアニスを見つけ、いそいそと歩み寄ってきたのは、近衛軍の将、トイシュケルだった。
ノルデン軍相手に、完全勝利を達成したせいか、その顔はいつになく晴れ晴れとしていて、達成感に満ち溢れていた。
「王妃様の見事なご采配。このトイシュケル、感服いたしました」
トイシュケルが満面の笑みを浮かべるので、アニスも軽く、頬をゆるませた。
「こちらこそ、将軍に急に作戦を伝えて申し訳なかった。敵にバレたらお終いだったのでな。黙っていてすまなかった」
「お気になさらず。私も王が暗殺されかけたり、敵の戦意がやけに旺盛だったので、味方に内応者がいるのではと考えておりました。当然のご対応かと思います」
じつは、アニスは森を活用した撤退戦について、貴族や将軍たちに、事前に一切、知らせていなかった。
そして、退却の直前に連絡するという、徹底的な機密保持を行ったのだった。
もちろん、味方をすべて信じておらず、むしろ内通者がいると確信していたからに他ならない。
それだけ、どんなに抵抗を受けても、力押しに押してくる、北門でのノルデン軍の行動は異様だった。
アニスは、トイシュケルに頭を下げた。
「将軍が無様に逃げる演技も見事でしたな。あれがなくては勝てなかったかと」
「ははは。私は無様でしたか?」
トイシュケルは顔を上気させ、声を立てて笑った。
「ああ。見事な演技だった。潰走とは、まさにああいうことを言うのだろうな」
「なかなか刺激的なお下知で、この老いぼれ、久々に緊張を味わいましたぞ」
「それはすまなかったな」
「なんの、これしき。身重の身で、戦場に立たれる王妃様のご苦労に比べれば、大したことはございません」
トイシュケルはアニスに対し、腰をかがめて、敬意を示した。
アニスが鷹揚にうなずく。
「とにかく、勝つためとはいえ、将軍に恥をかかせて申し訳なかった。戦が終わったら、陛下にお願いして、厚く恩賞をとらせよう。新たな領地の他に、銀の甲冑などはいかがか?」
よい話のはずだったが、なぜかトイシュケルは複雑な顔をした。
「あー、甲冑ですか。悪くはないですがな」
「気に入らんか。では金の象嵌で装飾を施した剣はどうだ?」
「あー、それも嫌ではないですがな」
「そうか。将軍が何を欲しいのか、まったくわからない。まさか首輪というわけでもなかろうしな」
するとトイシュケルは急に眼を見開き、鼻息を荒くした。
「首輪でございますか。まことに結構ですな。もし頂けるなら、私など、それで十分でございます」
「まさか。冗談だろう?」
「とんでもない。この上ないご褒美にございます」
「では、金の首輪でも作らせるか」
「いえ。私めは贅沢は望みません。革製で十分にございます」
「おいおい、本当にそんなものでいいのか?」
「はい。むしろ革です、革」
「革かあ」
「少し、きつめくらいがよろしいかと」
顔をほころばせ、上機嫌なトイシュケルが去った後、アニスは困惑気味につぶやいた。
「あいつ、やはり変態か?」
それからアニスは急に顔をしかめ、時々鈍い痛みを感じるようになった腹を、誰にも気づかれないよう、ひそかにさすった。
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