第37話 かぼそいなき声

 森でノルデン軍を叩き潰したアニスは、軍を反転させ、逆襲を開始した。


 敵に勝利したとはいえ、ノルデン軍は、生き残りも多く、まだそれなりの軍勢を擁している。


 決して侮れる相手ではなかった。


 クルキア軍は、敵の兵糧を断ちつつ、じわじわと包囲網を狭めていった。


 イングルド四世はなんとか本国に戻ろうと北門の突破をはかったが、ルフルトだけでなく、増援の守備兵を派遣した関所の守りは堅く、日に日に追い詰められていった。


 そして十日後、ついに兵糧や矢が尽きたノルデン王イングルド四世は、巨額の賠償金と北の海に面した沿岸三州の領土割譲を条件に、クルキアに和議を乞うた。


 まだベッドに臥せっていたクルキア王、カリアスはこれを即座に承認した。


 ノルデン軍を殲滅できるチャンスであったのに、それをしなかったのにはわけがあった。


 いまだ前線にいる王妃のアニスが、予定よりだいぶ早く産気づいたからであった。


 誰が見ても、戦場の苦労がたたったからに他ならない。





 結局、アニスは、戦場にほど近い、田舎領主の簡素な館で子供を産んだ。


 一か月の早産だった。


 生まれたのは男の子で、まさに世継ぎとなる王子だったが、早産のせいか体は小さく、鳴き声もかぼそかった。


 なんとか出産に間に合った産婆に、生まれた子を見せてもらったアニスは、我が子を見るなり、大粒の涙をこぼした。


(私のせいだ。腹の中でずいぶん無理をさせたのだろう。元気に産んでやれなくてすまない)


 心も体も満身創痍で、この時のアニスには生きていても痛みしか感じられなかった。


 普通なら貴族の子供は乳母が育てるものだが、アニスは我が子をそばに置いて片時も離さず、授乳も、自らの乳房をふくませた。


 アニスの張った胸を、赤子は弱弱しい力で吸った。


 小さな体で、懸命に生きようとしていた。


 そうしていると、アニスの目から、とめどめもなく、涙がこぼれ落ちた。


(すまぬ、すまぬ)





 数日後、王宮から迎えの馬車が来て、アニスはパルシャガルに帰還することとなった。


 アニスは、血の気が失せ、やつれきった顔で、己の腕に小さな赤ん坊を抱き、力なく馬車に乗り込んだ。


 貴族や重臣、将軍たち、そして戦場の苦労をともにした兵士たちが見守る中、馬車はゆっくりと動き始めた。


 馬車の外はしんと静かなままだった。


 アニスは、せめて我が子の誕生と勝利を祝して、盛大に見送ってくれてもよいものをと思ったが、いつもは饒舌な下級兵士ですら、会話をしていなかった。


 不思議に思って侍女に窓を開けさせると、異様な光景が目に飛び込んできた。


 将軍も兵士も、男たちは皆、ひざまずいて祈り、涙していたのだった。


 アニスが早産だったのは噂で伝わっていたし、王妃が戦場で出産するなどということ自体、そもそもあり得ない話だった。


 外が静かだったのは、誰もが泣いて声を発していないからで、それは彼らにとっての、自分を犠牲にして国を守った女性に対する、最大限の感謝と敬意の表れだった。


「ふん」


 アニスは青白い顔で、鼻を鳴らした。


「クルキアの男も、ちったぁマシになったじゃないか」


 型破りの王妃を乗せた馬車は、ゆっくりとした速度で、戦場から離れていった。

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